8『人間模様4~焦燥~』

 時は少し遡る――




「どうだ?」


 期待を込めた目で肩口から自らのスマートフォンを覗き込んでくる千駄木の圧に、ADはその顔に愛想と苦みをないまぜにした半端な表情を浮かべた。


「……正直、あんまり盛り上がっていないっすね。タイミングが良過ぎたせいか、メールの件はあからさまなヤラセだろうって――」

「っんだよクソ共が!」


 突如飛んだその怒号に、休憩中の皆が一様に肩を震わせ、千駄木へと視線を集める。冷や汗を拭いながら遠目に腰かけているカガミやシオも同様だった。

 その中心。自身に全く落ち度はないにもかかわらず耳元で怒鳴られたADは、肩を縮こまらせて目をぎゅっと瞑ってしまう。誰の目から見ても単なる八つ当たりであることは明白だったが、それを即座に指摘するほど胆力――あるいは権限――のある人間はいない。それもこの番組のクルーの間では今や見慣れた光景と化していた。

 だが最後の抵抗といわんばかりに、誰ひとりその行動を肯定するものはいない。気まずい沈黙の後、周囲のしらけた視線を受けた千駄木は舌打ちとともに瓦礫を蹴っ飛ばす。


「穿った目で見やがって……」

「仕方ないさ。画的には地味だったからね。中継を切る前に、画面を映しておくべきだったかな」」


 もはや半泣きになっているADに優しく肩を置いた志賀谷は、いつものとおり場の空気を均しにかかる。傲慢を絵に描いたような千駄木の存在にも関わらずクルーたちがどうにか着いてきているのは、彼が局側の現場責任者として片翼を担っているからに他ならない。


「流石に、かな。これは僕の責任だよ」

 

 千駄木が怒鳴った際すぐ仲裁に割り込まなかったのも、短期な彼の性格上、すぐに仲裁に入るのはかえって火に油を注ぐと分かっていたから。これもまたコンビとして長年歩んできたことで培った彼の経験則だった。

 自身と同等の権限を持つ彼が自らの責任とスケープゴートを買って出た事で、千駄木も二の句の告げようがなくなってしまい押し黙る。そんな隙を見逃さず、志賀谷は苦笑を浮かべながらさりげなくふたりの間に身体を滑り込ませた。


「……最も、僕たちは度肝を抜かれている訳なんだけどね」 


 千駄木の圧からようやく解放され、あがめるような目で自分を見上げるADに目を細めた後、志賀谷はぽつりと言い放つ。

 それは届いたメールを指す事実か、それとも怒号に対する皮肉か。その一言に背中をチクリと刺されたような心地を覚え、そこでやっと落ち着きを取り戻した千駄木がばつの悪そうな表情を浮かべる。


「そうは言うがよぉ……このままじゃ空振りだぜ。『何もありませんでした』じゃそれこそ炎上モンだわ」


 だが、一度の反省で根底が修正されるような性格ならば、クルーたちは今日まで苦労の日々を続けてはいない。何かを思いついた様子でいったんボヤきの文句を止めた千駄木は、再び座らせた目をMCたちの方へと向ける。


「あーあー、シオがあんな啖呵切っちまったからなー」


 突然名前を呼ばれたシオが弾かれたように振り返る。だが一旦千駄木と目を合わせたっきり彼女はまた俯き、膝の上の拳を握り込むだけに終わった。その暗い瞳の奥に抗議の意が宿っていた事を汲み取れるほど、千駄木はデリカシーのある人間ではない。


「……彼女の言動は僕らのディレクションあってのものだろう。そう責めるもんじゃない。それにまだ何も起こらないって決まったわけじゃないだろ?これからいよいよ本当の現場に足を踏み入れるんだから、さ」


 言葉の前半に込めた明確な棘を覆うように、志賀谷は希望的な観測を披露して周りの空気を和らげていく。


「……僕としては正直、これ以上何も起こらない方がいいんですけど」


 そんな彼を手助けするように、カガミが気弱だがどこかおちゃらけた口調で乗っかり、その滑稽さにそれまで表情を硬くしていた数名のスタッフたちからも笑いが起こった。


「正直なのはいいけど、それは心霊番組のMCとしてどうなのさカガミ君」


 少し困った表情で志賀谷が指摘するが、そのことばの裏に潜めているのは援護射撃への感謝でしかなかった。誰しも彼の少し困ったような笑顔を見れば、そんな真意を簡単にくみ取れる。

 ピエロを買って出た甲斐があった。業界内で名の通りがいい志賀谷への覚えが良くなれば、他の仕事も回って来るかも――気をよくしたカガミはそんな淡い期待を秘めて更に口調を軽くする。


「だって怖いもんは怖いじゃないですか!ねぇ、シオちゃ――」

「おめぇらがそんな事でどーすんだよ」

 

 だが、それがいけなかった。素直な告白を自覚の欠如と受け取った千駄木は、またも顔中に不機嫌さを充満させる。

 

「あ、す、すみません……」 


 しぼんだ風船のように意気をなくしていくカガミの詫びに目もくれず、千駄木は再び自らが重くした空気にも全く構うことなく背を向け、顎に手を当ててしばらく考え込む。

 次に飛んでくるのはどんな一声か。志賀谷を含む誰もが言い知れぬ嫌な予感を胸に抱えつつ、腕を組むその背中に目を向けていた。


「……シオ、ちょっと来い」

「え、えっ?」


 やがて思い立った様子で指を鳴らし、空気の弾かれるその音にいち早く反応したシオに目を合わせる千駄木。彼女の反応も待たないまま、半ば強引に手を引いて立たせる。


「ちょっと、千駄木?一体――」

「いーからいーから、お前たちは普通に再開の準備しておいてくれや」


 慌てて立ち上がる志賀谷の制止も全く効果がなく、千駄木はシオの腕をつかんだまま、廊下突き当りの――これから立ち入る『現場』の――部屋を開ける。いそいそと中へ入っていく千駄木に続いて一瞬、シオがクルーへと訴えかけるような目を向けた。

 だがそれで誰かが動く前にバタンとドアが閉められ、後には心配そうな顔を浮かべる面々だけが取り残されていた。

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