1『人間模様1~侵入~』

「再開は15分後になりまーす!」


 香盤表こうばんひょうを確認したADの声にひと時、現場を弛緩した空気が包んだ。

 所々で生まれる話声と、時折混じる談笑。それは不吉な噂に事欠かないこの場所にはおよそ似合わない雰囲気とも言えた。しかし多感な思春期やよほどのオカルト好きならともかく、ここで機材を構えている大人の大部分は、頭から心霊の存在なぞ信じてはいない。


「ったく……」


 せせこましく動き出す一団を最後方から眺め、苛立たし気な面持ちを浮かべて煙草に火をつける男もまた、その大部分のうちの一人だった。


「ずいぶんとご機嫌斜めですね。千駄木さん」


 その横からいささか間延びした声を掛けられ、千駄木と呼ばれた男は首だけ動かして半眼でそちらを見やる。そこにはその声と同様、柔和な面持ちを浮かべながら歩み寄って来る長身の男がいた。その姿が近づく度、首に掛けられている『ディレクター 志賀谷』と書かれたプレートが揺れる。


「……お前もよくよくこんな田舎くんだりまでくっついてきたよな。現場なんて下に任せときゃいいものを」


 毒づきながら千駄木は、スラックスに折り目が付くのも気にしない様子で手近の打ち捨てられていた木箱へどかりと腰掛けた。志賀谷もそれに倣って、近場の切り株に腰を下ろす。


「いい場所じゃないですか。いかにもって雰囲気があって」

「つってもパッと見、単なる廃ビルだぜ?遠くに明かりも見えちまってる。カメラが苦労してんぞ」


 ――ほれ。

 志賀谷を一瞥してから、千駄木は煙草の先を廃ビルの脇へと向けた。赤々と燃える火種は逆側のフェンスを越えた先、遠くに並ぶ明かりの群れを指し示していた。星と違い明滅もせず等間隔に並ぶその光は、近隣のマンションのものだろう。その隣にはコンビニのものと思しき三色のラインが煌々と灯っている。千駄木のいうカメラの苦労とは、演出したい雰囲気にはおよそ不都合なそれらを、画角からいかに外すかという腐心についてだった。


「あんなもん映り込んだら一気に興ざめだろうさ。直前になってプロデューサー権限でロケ場所変えやがって」


 ――ロケハンでなんかあったんか?

 続くその問いに、志賀谷は濁った笑顔で返すのみで一向に答えようとはしなかった。しばらく開いた間の後、千駄木は苛立たし気に踵でタバコの火をもみ消す。 


「予定通りX吠岬とか、Y鳴トンネルとかで良かったんじゃねえのか?ここよか近いし、画的に映えるのはどう考えてもそっちだろ」


 睨む千駄木に対し、千駄木はいよいよ返答に窮した様子を見せた。それが単なる難癖ではなく、この番組が局の外にいる彼と内にいる自分の二人三脚でようやくここまでの人気番組に作り上げていたが故の、責任者として真っ当な意見であるから却って困る。

 逃げるように目線を外して腕を組み、しばらくうーんと唸ってからあやふやな口調を細い唇に乗せる。 


「……ま、考えようですよ。おかげで買い出しに苦労もしないし電波を探さなくて済む。現場を仕切るものとしてはその方がありがたいんです。それに遠くの山道より、人の息づく場所にポンと恐怖がある方が、リアリティを感じやすいでしょ?」

「そんなもんかねえ。ともあれおかげでこっちは3時間バスに揺られっぱなしだ。ケツが痛ぇのなんの……それによ」


 千駄木は一度言葉を切り、志賀谷から視線を外して再びカメラの方を見やる。さらに険しさを増したその視線の先に、折り畳みのベンチに座って一息ついているアイドルふたりの姿を捉えていた。  


「彼らが、何か?」

「バスん中で、シオの奴がいっちょ前に意見してきたんだよ。俺にな」


 その時の感情が蘇ったのか、語尾を強めた千駄木の表情が歪む。


「意見?シオちゃんがですか?」


 目を丸くして顎に手を当て、物珍し気な表情を浮かべる志賀谷だったが、その内容に見当が付いているわけはいなかった。彼のシオに対する印象は、大手タレント事務所の辣腕……もとい、名物プロデューサーである彼の従順な駒。それは彼が初めて自分の前に連れて来た時から今日までずっと変わらず、それを不思議に思った事すらない。

 志賀谷がシオを蔑視している、という意味でもない。正統異端。どんな人間性、アイドル性を持っていたにせよ、彼の下についた者誰しもが例外なくそうなるのだ。なぜならそれが芸能人としてブレイクする一番の近道だから。

 局側も同じくヒットメーカーである千駄木が連れてきたのならと、どんな無名の新人でも疑わずに起用する。誰もが疑わない功績に裏打ちされているがゆえに、自分のアイドルの使い方のみならず、番組の構成そのものに口を出すという越権行為も黙認されている。

 そんな彼に何故シオちゃんが、それも今日に限って……?

 鸚鵡おうむに返して続きを促す彼を視界の脇に捉えた千駄木は大仰に頭を振って見せる。


「ああ。あいつな――」


 ――間もなく再開しまーす!

 言いかけたその口を遮るように、遠くからADの声が響く。その合図に構わず、志賀谷は続きを期待する目を向けていたが、千駄木は軽く肩をすくめて立ち上がり、尻を払って一足先に一団へと戻っていった。 




 


 ※     ※     ※






「では、いよいよ入ってみたいと思います」


 押し殺した声の中に、どこか煽るような調子を乗せて、カガミはゆっくりとドアを引く。


「うっわ、埃の匂いが……所々床も抜けてますね。みんな、気を付けて」


 後続に気を遣うカガミの後ろで、シオは天井を仰いでから目をつぶり、ゆっくりと首を垂れる。カメラの画角から体を半分ほど外して行われたその一礼は、まるでその姿が映像に残ることを厭っているようだった。


「すごい、ちらかりよう、ね。その……例の現場は上の階?」


 目を開けたシオはカガミの横へと歩み寄り、時折咳き込みながらも自身の行動を台本に書かれていたものへと戻す。カメラに映る2人はおろか、撮影スタッフ全員が直前のミーティングで建物の老朽具合や内部の間取り、そして噂の元となる部屋の場所まで詳らかに把握している。いわばこのやりとりはスタジオ、そして視聴者への説明も兼ねた復習だった。


「ええ。このエントランスを曲がってすぐ、階段があるはずです」


 カガミもそれに淀みなくに答え、カウンターの脇へと向かって爪先を曲げる。

 その数メートル先には踊り場があり、そこまでの道は事前にスタッフの手によって不自然に見えない程度に瓦礫やごみが除けられ、たいした尺を取らずに階まで登れる――


「……あれ?」

「えっ」

 

 

 間の抜けた声とともに、カガミの目が丸く開かれる。予想……否、事前の確認とは全く異なるシオもまた表情を硬くしたようだった。

 一行の目に映り込んだのは『不自然に映らない程度に通れるスペースを確保した』というスタッフの説明とは全く異なるものだった。壊れた棚や得体の知れないゴミがうず高く積まれ、とてもではないがその先に向かえるような様相を呈してはいない。

 むしろその先への侵入を拒んでいるようにすら映る異様さに、声を失ったふたりは固まる。


「……ちっ」


 それを見た志賀谷と千駄木が互いの顔を合わせ、即座にADへと二言三言耳打ちした。


「あー、お、奥にもうひとつ、階段があるみたいですね。廊下は通れそうですし……少し歩きますが、そちらから登っていきますか」

「……仕方ないわね」


 カンペに殴り書きで書かれた文字を、全く上の空で読み上げるカガミ。それに比べれば仕方なく追従するシオの声色はまだ、テレビ番組としてはマシな部類と言えた。

 ぎこちない足取りで奥へと進んでいくふたりを見ながら、千駄木はほっと胸を撫で下ろす。不自然な間こそ空いてしまったものの、どうにか進行を妨げずに済んだ。

 ……が、それとこれとは別問題。カメラが充分に遠ざかってから、千駄木は形相を変えてスタッフへと振り向いた。


「おい、どーなってやがる。ちゃんとワラっ片付けたんじゃねえのかよ」


 その声をマイクに拾われないようにと大きさこそ潜めてはいるものの、予定通りに事が進まない苛立ちがはっきりと籠っていた。


「え、ええ。それからは誰もこの中に入ってないハズですが」

「んなワケねえだろじゃあなんで通れねえんだよ」


 早口でADに食って掛かる千駄木を制するようにふたりの間に入り、志賀谷は胸の前で広げた両掌をゆっくり前後させる。


「落ち着いて」

「いいのかよ。時間狂うぞ」

「歩いている間に、ふたりには噂の詳細を話してもらおう。本当は部屋の前でやる予定だったけど、これなら却って間延びしなくていい」

「わ、わかりました」


 自分たちの都合で映像を切れない以上、直接伝えるわけにもいかない。


「……でも、本当に一体誰がやったんですかね。これ」


 ADがさっきよりも丁寧な文字でカンペに長文を掻き起こしながら、ふと呟いた。


「んなもん知るかよ」

「だって、1人2人じゃどうやっても無理じゃないですか、こんな積み方……」

「……確かに」

 

 2人の押し問答に割って入った志賀谷は顎に手を当てながら、改めて瓦礫の山を見やる。侵入を拒むバリケードはちょうど彼の肩ほどの高さにまで積まれており、通路の端から端までを塞いでいた。


「この高さまで積むには、人がいなきゃ無理だよね。いったいいつのまに、何のために」


 志賀谷は瓦礫の頂上を睨む。

 むしろどうして崩れずに済んでいるのかわからないと言っていい程乱雑に積まれて出来たその山には、どう贔屓目に見ても人が立ち、下から荷物を受け取れるほど安定した足場など見当たらなかった。


「誰が……」


 思わずぽつりとこぼれたその声に答える者は、誰もいなかった。

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