無力な霊能者と無害な悪霊~ままならない僕たちのお話~

三ケ日 桐生

『プロローグ』

「……蒸し暑さの残る夏の夜、皆様いかがお過ごしでしょうか……MCのカガミです」


 緊張に顔と声を強張らせ、若い茶髪の男がこちらに語りかけてくる。

 俺はそれを散らかった部屋の真ん中で、頬杖を突きながら眺めていた。男の言う通り、窓から吹き込む風はまるで熱々に蒸したタオルで仰がれているかのような熱気と不快さを伴い、それにつられたのか虫の声も一向に鳴りを潜めようとはしない。


「僕は現在、S県北部にある、とある廃ビルの前に来ています」


 静かな口調とともに逸らした半身。その向こうで一陣強く吹いた風がざあっと木々を揺らし、カガミと名乗った男はびくりと肩を震わせた。一瞬その整った顔立ちに青ざめたものを走らせたが、すぐに平静を装い直した彼は、乱れた前髪を手櫛で治して続ける。


「あそこにある看板が見えますでしょうか……」


 その呼びかけに答える形でカメラが左へと薙いで画角から外し、立入禁止と書かれたフェンスの向こうへとピントを合わせた。そこには生い茂った蔦の合間から、飾り気のない長方形のプレートがひっそりとその顔を覗かせている。 


「文字はもう潰れて読めませんが、ここは元々小さなホテルでした。平成の半ばに営業を終え、取り壊されることなく元号を跨ぎ、あとは誰の目にも止まらぬまま風化するに身を任せるだけ建物――」


 の、はずでした。

 急にトーンを変えたその声を合図にカメラがカガミの顔へと戻っていく。


「この廃墟に妙な噂が立ち始めたのは、今から約4年前」


 ……あれ、もうそんなになるっけか。

 自分の記憶と照らし合わせてみるが、俺はいまいちどちらが正しいかどうかの確証が得られずにいた。

 ある程度頭の中を漁り、結局もともとさして重要でないものの記憶なんてそんなもんか、と諦めて続きに耳を傾ける。

 吹く風が更にうるさくなり始めたが、まだ充分に聞こえる範囲だ。


「誰もいないはずのこのビルの前に、ある日突如として止まった救急車とパトカー。その日を境に、この地域へとある『噂』が流れ始めます」


 一度言葉を切り、カガミはカメラとともに正面入り口へと歩を進めていく。俺は横にしていた視線を起こして身を乗り出し、彼らの背中を追った。


「『ここの3階にある一室で、男性の奇妙な遺体が見つかったらしい』。ですが現在はおろか、当時いくらニュースサイトや新聞を当たっても、そのような記事は出てきませんでした。しかし……皆さんも検索してみてください。当時のSNS上では確かに、その日緊急車両がここに停まっていた事が話題となっている」


 歩きながら語るカガミを追いかけていた一団は、やがて網目が乱暴に破られた一枚のフェンスの前で足を止めた。


「あの日ここで一体『何』があったのか……ある者は悪戯半分に、そしてある者は度胸試しに……この柵の向こうへと足を踏み入れた人たちを、次々と科学では説明できない現象が襲ったのです」


 そこで挟まれた長い間に、俺は真っ暗な天井を仰ぐ。

 蘇る記憶と、襲い来る締め付けられるような感情に身を捩っている間に、カメラの前に立つカガミが再び喉を振るわせ始めた。


「いつしかその噂はこの街を越え、県を跨ぎ……4年経った今でも、ここは国内でも有数の心霊スポットとして、ネットやオカルト界隈を騒がせています」


 カメラは再び、闇の向こうにそびえる建物を映し出す。偶然にも今日この時までカガミが語った廃墟の沿革を知らなかった者にとって、今やその佇まいには違った意味合いを捉えてしまえることだろう。


「そこで深夜帯からお引越しして一発目の今回、「S県超有名心霊ホテルの怪を祓う!」と称しまして――」


 やや語調を上げたカガミが、そこでいったん言葉を切った。

 それを合図として、いままで画角の外で歩いていたひとりの女性が、ピンと背筋を伸ばした歩みで彼の隣へと立った。


「当番組レギュラーにして現在人気急上昇中のアイドルグループ「Es」のメンバー。そして有名な神社を実家に持つ霊能者、『シオ』さんをお迎えしてこの中へと入ってみたいと思います……!」


 紹介のつもりだろうか。太鼓持ちもかくやといったその持ち上げ方にも、女性は眉ひとつ動かさず、建物を睨んでいる。

 年齢は20代そこそこだろうが、こちらを睨みつけるその眼光は見た目の年恰好に似合わない鋭さ――いや、むしろ険しさと言った方が近い――を宿している。


「……ど、どうでしょう、シオさん。ここに――」

「『いる』わね。間違いなく」


 おずおずと伺うようなカガミの口調を遮っての断言に、スタッフのものであろうどよめきが続く。


「それも噂通り、がいる」


 その判断に絶対の自信があるのか、はたまた番組の盛り上がりを考えての事か。一歩前に出ながら半身を翻し、カメラに自分と建物を映させながらシオが危険を煽る。


「あ、危ないん……ですか」


 流石はプロというべきか。それに呼応するかのように声を震わせたカガミの様子は、スタジオのゲストやテレビの向こうの視聴者を恐怖に引き込むにふさわしいものだった。


「でも安心して。私がいる限り、皆を危険には晒させないから」


 そこで初めて、シオは胸を張って瞳を細める。その笑顔は穏やかだが力強く、そしてアイドルを名乗るに相応しい華やかさが備わっており、現場の空気を確かに変えた。


「……それではこの後、いよいよこの中へと足を踏み入れたいと思います。『霊ドル~禁域潜入~』スタートです」






 ※     ※     ※






 ――はい、OKでーす!

 5秒ほどの間の後、ADの快活な声が響き、カガミは肩の力を抜いてカメラから視線を離す。シオも同様に軽く息を吐き、彼の隣からさっと離れた。

 中継中という戒めから逃れ、三々五々に動き出すスタッフたち。どうやら一度スタジオに返してコメントやらを拾ったあと、改めてこちらに入って来る心づもりらしい。

 いよいよにおでまし、か。

 あれだけ導入を盛り上げたのなら、こちらも相応しい歓待をしてやらなきゃ、粋じゃないってもんだろう。






 ――ようこそ 『俺』 の根城へ。






 それにはいろいろと準備が必要だ。さて、久々に忙しくなるぞ……

 俺は破れた窓から身を引いて、廊下へと出た。

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