第4話 霊視ビジネス


「なんだね、その横の若い人は」


片岡の爺さんが僕を指して言った。場所は薄暗い例の社殿の中である。僕は緊張しながら、強敵の皺が多い偏屈顔を盗み見た。


「彼は私の新しい助手です」とミチルが強張った声で言った(野崎ミチルというのが、彼女の名前だ)。


彼女は目上の者に対してあまり物怖じしない女の子。肩までかかる美しい黒髪のキューティクルが輝いているが、残念ながら少し寝癖がついている。いつも家業の事を考えていて、寝癖にまで気が回らないということだろうか。可哀相なミチルちゃん。


「あんた自身が、まだ見習い巫女なのに、助手なんか持てる身分かねえ」と田舎の典型的な生真面目な爺さん、という感じの片岡さん。でもその声はなんだか疲れていた。


「彼には霊視能力があるのです。うちの父と同じように」とミチルは、少し目を細めて低い声で言った。


「ふーん、じゃあミチルさん、あんたのほうが助手ということかね」と片岡さんは僕の能力には疑問をはさまず、ミチルを詰るように言った。

「で、でも彼が霊視するには、わ、私の協力がいるんです」

ミチルはプライドを傷つけられた感じで刺々しく答える。


「誰が霊視してくれても構わんよ。あんたのお父さんのように、わしに”あいつ”の様子を聞かせてくれるんなら」と若造の僕にすがるような目つきで彼は言った。

「分かりました。精一杯頑張らせていただきます」と僕は緊張しながら答えて、目の前の爺さんの周りに漂っているはずの霊の気配に意識を集中させた。


「ううううん」


僕は三分間ほど集中して霊視をやってみたが、何も見えてこない為に、思わず唸ってしまう。人前でやるプレッシャーや緊張は予想以上に、僕の集中を妨害してくれちゃっている。ていうか、自分で望んで霊視したことないから、そういう自発的な霊視が可能なのかどうかも確信が持てない。その不安は焦りとなって僕の表情を強張らせた。


「やはり、インチキか」と、僕がまるで使い物にならないと感じたのか、はき捨てるように言って爺さんは急に立ち上がった。


「待ってください」とミチルが叫ぶが、その声を無視して爺さんは社殿の入り口に向かって、疲れた様子でヨタヨタと歩いて行った。そして彼がこちらに背をむけている間に、ミチルは僕の方を向き無言で睨んだ。


「ねえ、そ、そんな顔しないでくれるかな。は、迫力あり過ぎだよ」と僕は思わず情けない声を出してミチルに言った。年上なのに、な、情けない。

「いくわよ」とミチル。

「え」と間抜けな声をあげる僕。


 そういった後でミチルはなんと僕にキスをしてきたのだ。しかも、唇と唇を軽くあわせただけでなく、その可愛い小さな口から大胆に舌を僕の口に差しいれて。キスが終わると、彼女は冷静に僕に聞いてきた。


「どう、霊視できそう」

「……あ、ああ」

「欲情すると霊視能力が高まるんでしょう?」と彼女は真剣な顔で僕に確認してくる。

「ああ、うん」と僕は今更ながらミチルの家業への本気っぷりに、圧倒されながら言った。

「片岡さんの肩の辺りになにか見えない?」と彼女はその顔をめちゃくちゃ僕のほうに接近させて、質問する。


 そういわれて僕は薄暗い中で目を凝らして、外に出ようとする老人の背中の辺りを凝視した。確かに何か、薄い影のような、光のようなものが見えたような気がする。

「今度はいけるかも」を僕はミチルを失望させたくないので、空元気を出していった。

「頑張って、た、頼りにしているから」そういって、ミチルは健気にも僕を励ますようにニッコリ笑った。僕は無言で頷く。ミチルはすばやく立ち上がり、今にも外に出ようとする老人を追いかけていく。その小さな背中を見ながら僕は、ひそかにお腹に気合をいれた。


「後ろにおばあさんがいますね。眼鏡をかけた知的な感じの。右の目の下に黒子がある」と僕はミチルに説得されて、不承不承戻ってきた片岡さんに言った。

「……よく見えたな」


片岡さんは表情を改めて、見直すような顔で僕に言った。ミチルから予備知識を得ていると疑われなかったのは、ラッキーだった。頑固そうでも所詮田舎の老爺は疑うことを知らないのだろうか。


「亡くなられた奥様ですか」

「その通りだ。半年前に亡くなったばかりでね。あいつの表情はどうだね」と片岡さんは心配そうに聞いた。

「どうといわれても……」

「なんかその、暗い……というか……なにか陰気なその、良くない雰囲気はないかねえ」とまとまらない説明をしながら真剣な顔で老人は、若輩者の僕に意見を求めてくる。

「それはないですよ。ただ少し憂い顔ですが」と僕は間抜けなことを言った。なぜ間抜けかというと、大抵の霊は憂い顔だからだ。満面の笑みを浮かべて、幸せそうな霊など見たことがない。幸せなら現世に漂っている必要などないだろう。とっくに天国にいって、下界の人間の苦悩を肴に宴会でも楽しんでいるはずだ。


「あ……あいつはワシを怨んでないか心配でならないんだ」と片岡老人はついに彼の心配事を打ち明け始める。

「何故なの。何かひどいことしたの」とミチルは詰問するように口をはさんでくる。

「肝臓の末期癌で回復する見込みがないのに、無理矢理手術をさせたからな。あいつは静かに自宅で最後の時間を過ごしたがっていたのに」と片岡老人はミチルの非礼も気にせずに、その抱えた苦悩を僕たちに明かした。


「彼女は全く怨んでないみたいですよ。いつもあなたの事を心配そうに見守っています」と僕はなるべく落ち着いた声で彼に説明した。

「……そ、そうか。昔から優しい奴だったからなあ。五歳年上でいつもワシのことを心配してくれていた」と爺さんはしみじみと呟く。

「素敵、年上の奥様ですか。どういった出会いなのですか」とミチルは脳天気な声を出して聞く。

「あれは、従姉妹なんだ。わしは独りっ子だったので、子供の時から姉のようにわしに接してくれておってなあ。勝手にわしが憧れていたんだが」と片岡さんは、楽しそうに話してくれた。なんとなく後ろの奥さんの霊も、嬉しそうだった。


「確かに、顔が似ていてお二人は姉弟にも見えますねえ」と僕は言った。

「あいつが見合いをすると聞いて、居ても立ってもいられなくて、あいつの家に行ってわしの気持ちを告白したんじゃよ」と爺さんは往事のロマンスを語るのに夢中である。僕もミチルと結婚したら、神社での不思議な出会いを、孫たちに熱く語っているのだろうか。何にせよ熱く語れる思い出がある人生は素晴らしいものだ。


「とにかく奥様は何の恨みも持っていませんよ。片岡さんが奥様に手術させたのも、奥様が手術をすることで助かってほしいと願ったからでしょう」と僕が言うと。

「まあ、そうだがな。結果は……しないほうがもっと長く生きられただろうな」と老人は自嘲気味に言った。


「最近あなたの酒量が増えていることを、彼女は心配していますね」と僕は彼に教えた。

「そんなこともわかるのか?」と片岡さんは僕に尊敬の眼差しを向けながら言った。

「ええ、霊たちの言いたいことが、何となくわかるんです」と僕は照れて言った。

「孫も大きくなってよりつかんし、一人で生きていてもつまらんからな……」と老人は淋しそうに言う。

「じゃあ時々この神社にきて手伝って下さいよ。父がいないと何かと不便なんです」とミチルが言った。


「そうだったな、あんたの御母さんはとっくに亡くなっとるし」と老人が顔をしかめて答える。


「え、御母さん……そ、そうなの」と僕は驚いてミチルに聞いた。そういえば、御母さんの姿が全く見かけない(お父さんのお見舞いに行っていると思っていたけど)。


「御母さん、私が小さい頃に交通事故にあって……」とミチルは、神社の境内の桜の木を見ながらそっと呟く。

「ミチルさん、あんたにはこんな頼もしい相方がいるじゃないか。わしみたいな年寄りはいるだけ邪魔だよ」と片岡さんはいつのまにか側によって、ミチルを励ますように彼女の肩に手を置いた。

「この人はまだ見習です。私は神社経営をするうえで、年長者の意見が聞きたいんですよ」とミチルが顔を少し赤くして言った。

「こんなわしで良ければいつでも、手伝いますよ」と片岡さんは嬉しそうに言った。僕はミチルの健気で明るい性格からは分からない、結構苛酷な過去がありそうだと感じる。そして境内の桜の花びらが散っていく風景を、彼女と一緒にぼんやりと見ていた。

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