第22話 食料はここにある

 まぶたを突き刺すような朝日の陽光が僕の意識を覚醒させる。


 乾いた大地の中でも、早朝の空気はどこか湿り気を帯びたような、そんな爽やかさを感じた。


 僕は自分の身体を確かめるようにゆっくりと指先に力を込めた。ぎこちない動きで指を開いたり閉じたりしてみる。一日休んだせいか、昨日倒れた時よりかは幾分力が入るような気がした。


 そのまま腕、肩、腰、太もも、膝と順番に身体に命令を出していく。産まれたてのアンドロイドのようなぎこちない動きで何とか起き上がると、少しの眩暈がして木に手をついた。

 ふと気が付くと隣で座っていたヌラも立ち上がって僕をみつめていた。


「あぁ、ヌラ。何とか立てるようになったよ」


 擦れた声で僕がそう告げると、ヌラは一度だけゆっくりとまぶたを閉じ、そして開いた。

 正直、立っているのもやっとな状態だったけど、ここにとどまって死を待つよりは少しでも足掻いてやろういう気持ちだった。

 寄り掛かっていた木から手を離し、二歩、三歩と足を動かす。すぐさま膝が折れ、倒れそうになった僕の身体をヌラの手が支えてくれた。


「ははは。情けないなぁ」


 ヌラは僕の手を自身の肩に回し、身体を支えながら歩き出す。

「グオ」と言って地平線を指さしたヌラに、僕も頷く。


「行けるとこまで、行こう」


 乾いた大地に、僕らの足跡だけが伸びていく。


 いつしか周りには植物の影も無くなり、一面細かい砂に覆われた砂漠のような様相を呈してきた。

 照らす日差しは強いのに、ほとんど汗もかかなくなっていた。

 僕の頭はからっぽだった。ただ足元だけを見つめて、一歩一歩、足だけを前に進めていく。

 隣で肩を組んで歩くヌラからも、ひゅーひゅーと空っ風のような呼吸音が聞こえてくるだけで、限界が近いのが僕にも分かった。


 そうやってどれくらい歩いただろうか。ついに僕は力尽き、その場で前のめりに倒れこんでしまった。


 僕に肩を貸していたヌラもつられるように僕の隣に倒れ込んだ。

 焼けるような暑さの砂の上で、自分の呼吸の音しか聞こえない。


 ――あぁ、水が飲みたい。ご飯が食べたい。アイスが食べたい。母さんに会いたい。あぁ、でも。……もう、無理だ。


 朦朧とした目線の先に、ヌラの手の平が見えた。そこには剥がれかけの絆創膏があった。


 ――あぁ。貼りなおしてあげないと。


 そうぼんやりと考えてはみるものの、身体は言うことを聞いてくれない。


 僕の意識が失われそうになったその時、不意に辺りが暗くなる。日の入りまではまだ時間があったはずなのに。僕は身体の向きを変え、目線を空に向ける。僕の目に映ったのは、太陽が端から円形の影に侵食される光景だった。初めてリアルタイムで目の当たりにする日食の様子に、僕は朦朧としながらも感動してしまっていた。


 日差しが遮られたせいか、辺りの温度も下がってきたような気がした。そんな小さな変化だけでも、今の僕にとっては救いだった。


 気温が下がったところで、僕の命があとわずかなことには変わりない。見渡す限りの砂の世界。ここまで歩いてくる中で、水場の一つも、生き物の一つも見当たらなかった。地平線に目を向けて見ても、果てのない砂漠が延々と続いている。


「……もう、ダメだね、ヌラ」


 それは呼びかけというよりかは、独り言に近かったかもしれない。でも、僕のその言葉に反応するかのように、ヌラがゆっくりと立ち上がった。


「……ヌラ?」


 僕は顔だけを動かしてヌラの様子を伺う。日食が進んだのか、辺りはまるで夜のような暗さになっていた。

 立ち上がったヌラが僕の顔を見つめている。暗闇の中できらりと光るその瞳は、どこか寂しそうに見えた。

 ヌラも体力の限界が近いのか、上体がゆらゆらと揺れている。ヌラはゆっくりと自身の背中に差していた槍を抜き取った。


 ――あぁ、そうか。


 槍を手に取ったヌラの姿を見て、僕は悟ってしまった。


「そうだよ、ヌラ。食料なら、ここにあるじゃないか」


 僕はヌラに向かって微笑む。


「ありがとう、ヌラ。ここまで連れてきてくれて。今まで一緒にいてくれて」


 僕はふっと息を吐いて力を抜いた。出来るなら、痛くないといいな。そんなことを思いながら、僕は目を瞑った。


「ぐえ!」


 突如、お腹の上に重いものが飛んできて、僕は情けない声を上げた。何かと確認してみると、それはヌラの石槍だった。


「……ヌラ、これは?」


 ヌラはまっすぐに僕の方を見ている。僕は石槍を掴むと、それを杖代わりにしてなんとか身体を起き上がらせた。

 僕が起き上がったのを確認すると、ヌラは少しだけ距離を取ってから、そこで石槍を構えた。

 しかし、ヌラは石槍を構えたまま動かない。それはまるで何かを待っているようにも思えた。


「……僕が構えるのを待っているの?」


 大きな口を天に向け、ギャオギャオと叫びながらヌラが僕に向け石槍を突き出す。彼の持つものとまったく同じ造りの石槍を片手で握った僕は、それでも刃先を地面に向けたまま、構えることが出来なかった。

 黒に覆われた砂漠の世界。目に見える範囲にはキミと僕しか存在しない。


「こんな、こんなことって……」


 消え入りそうな声で呟いた僕に向かい、ヌラが大きく口を開け、カチンカチンと二回牙を打ち鳴らした。


 ――美味しい。美味しい。


「……そうか。……わかったよ、ヌラ」


 涙でにじんだ視界を腕で拭い、僕は歯を食いしばり石槍をヌラに向かい突き出した。


「……勝った方が、食べる。……そういうことだね」


 乾ききった身体から、涙と鼻水が止めどなく溢れ出てくる。キミと僕の冒険は今日ここで終わる。僕の気持ちが伝わったかのように、鱗に覆われたキミの顔が、何故が僕には笑っているように見えた。



 ――僕はね、ヌラ。今となってはこの世界に飛ばされて良かったとさえ思ってるんだ。それまでの僕は、嫌なことから目を反らして、逃げて、黙って、まるで死んでいるように生きていたんだ。けどね。この世界に来てからは、毎日生きるのに必死で。その間は元の世界であったことも、忘れることが出来ていたんだ。満天の星空の下で、君と食べた肉はとても美味しかったよ。なんだか少しだけ、強くなれた気がするんだ。……ありがとう、ヌラ。言葉は分からないかもしれないけれど、僕は何度だって君に言うよ。……ありがとう。ありがとう、ヌラ。



 ――さようなら。



 ヌラが槍を持つ手に力を込めたのがわかった。そして地面を蹴り、僕の方へと突進してくる。僕の目にはそれがスローモーションのように見えた。ヌラの槍が近づいてくるのを確認してから、僕は自身の手に持つ槍を地面に落とし、大きく手を広げて目を閉じた。


 ――ザクッ!


 槍の刺さった音が聞こえた。あぁ、力を抜いたせいか痛みすらも感じない。――このまま死ねるなら、最高だな。なんてことを考えながら、ゆっくりと目を開ける。


 槍は僕の身体の脇をすり抜け、地面に深く突き刺さっていた。僕の胸元には、ヌラの頭頂部だけが見えている。


「……ヌラ。……なんで」


 顔を上げたヌラと目が合う。それはひどく悲し気な顔に見えた。


「……なんで。……食べてよ、ヌラ。……僕を」


 僕はヌラの両肩に手を置き、訴える。


「ねぇ。……なんで」


 ぼろぼろと止めどなく涙が溢れてくる。悲しいのか、悔しいのか、切ないのか、なんなのか。


 いつの間にかヌラの手が僕の背中に回っている。それは愛情を込めた抱擁。種族は違えど、愛しい者にしかしない行為だ。


 僕もヌラの背中に手を回し、大声を上げて泣いた。どこにこんなエネルギーが残っていたのかは分からないけれど、力の限り声を張り上げ、子供のように泣き声を上げた。


 ヌラも僕に応えるように、「ギャオギャオギャオ」と声を出している。砂漠の真ん中でトカゲと二人、抱き合ってわんわんと泣いている。


 そんな最中、突如強い風が吹き砂嵐を巻き起こす。日食の続く暗闇の砂漠で、影の塊のような砂塵さじんが僕らを襲う。


「う、うわ! なにこれ!」


 目も開けられないほどの強風と砂嵐にさらされ、僕はヌラの身体を強く抱く。ヌラも同じく力を込めているようだ。


「くっ! ヌラ、大丈夫――」


 ヌラに話しかけようとしたその瞬間、ふわりと身体が浮き上がる感覚がした。


「わわわ!」


 凄まじい風になすすべもなく身体がもてあそばれる。僕とヌラは一つに重なり合うかのように強く強く互いの身体を抱きしめ合った。


 ほどなく、一際強烈な突風が吹き、僕らの身体が吹き飛ばされた。ぐるぐるぐるぐる回り、上下左右の感覚も分からなくなっていた。


 全身に力を込めて風に抗っていた僕だったが、ある瞬間に糸が切れたかのように気を失ってしまっていた。

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