第19話 思い出の登山遠足

 気が付くとテントの外は明るくなっていた。どうやら僕はそのまま眠ってしまっていたようだ。

 体を起こし伸びをする。毛皮の布団のおかげか、ここ数日で一番気持ちの良い寝覚めだった。

 まぶたを擦りながらテント内を見回す。ヌラの姿がなかった。

 テントを出ると、ヌラが川で水浴びをしているのが見えた。


「おはよう、ヌラ」


 僕が声をかけると、ヌラも「ギャギャ」と声を出す。


「良かった。もう元気になったみたいだね」


 川の水に頭をつけたり出したりしているヌラを横目に見ながら、僕も顔を洗い、水を飲んだ。

 ヌラがばしゃばしゃと水しぶきをあげながら近寄ってくる。水に塗れた鱗はきらきらと輝いていて、全身に宝石をまとっているようにも見える。

 僕のそばまで来たヌラが「ギャオ」と鳴き、まっすぐに僕を見つめてくる。


「ん? どうしたの?」


 ヌラはゆっくりと森を指さす。僕は振り返りその方向を見た。でも、特に気になる所は無かった。


「何か取りに行くの?」


 意図が分からない僕はヌラに聞き返す。しかし、ヌラは黙って僕の顔を見つめている。

 首を傾げる僕を横目に、ヌラが川から出てテントへと向かう。僕も後をついて行くと、下に敷いた毛皮を丸め始めた。なんとなく僕もその作業を手伝う。そうして丸めた毛皮の中心を、ヒモでぐるぐる巻きだした。


「どこかに持っていくの?」


 僕が問いかけると、ヌラは「ギャ」と一声鳴いた。

 丸めた毛皮をいったん地面に置き、今度は焚火のそばに置いてあったヤシの実の水筒を手に取り水を入れる。


「そっか。ここを離れる準備をしているんだね」


 僕も残った水筒を手に取り水を入れた。合計四つ。

 水の入った水筒と、丸めた毛皮。そしてヌラは槍を背中に固定すると、僕の目を見て「グァ」と鳴いた。


「うん。行こう」


 水筒二つを肩にかけた僕に、ヌラが自身の首に下げていた首飾りを一つ手渡してきた。それはなんだか一人前と認めてくれたようで。僕は嬉しくなってとびきりの笑顔をヌラに向けた。


 ヌラもまっすぐ僕を見つめて、一度だけ頷いてくれた。


 歩き出そうとしてから、ああそうだと思い出し、昨日残しておいた猪の肉を弁当代わりにズボンのポケットに突っ込んだ。


 

 目の前を行くヌラは方角を確認するかのように、時折空を見上げながら歩く。尻尾がなくなったバランスの悪い足取りで、それでも力強く歩いている。

 ヌラは山の頂上を目指しているようで、坂道の上へ上へと向かっていった。

 急な勾配の坂道では、ヌラの持つ重い毛皮を後ろから支えてあげながら、二人で協力して登っていく。


 そうしてどのくらい歩いただろう。


 山の頂上に近づくにつれ、徐々に植物の姿が減っていくのが分かった。見渡す限りにゴツゴツとした岩肌が露わになった殺風景な場所になっていた。それでも上を見上げると、頂上まではまだ距離がありそうだった。


 息を切らしながら歩き続け、途中にあった大きな岩に腰かけて休憩をとった。

 僕はポケットから肉をひと固まり取り出しヌラに渡す。もう片方のポケットから自分の分を取り出すと、水筒の水を一口飲んでから肉に噛り付いた。


 肉はかちかちに固まっていて、ビーフジャーキーの塊を食べているような気になったけど、空腹と、眼下に広がる壮観な森の景色がスパイスとなり、そこまで悪い食事ではなかった。

 僕は先のことを考え、肉を半分残してまたポケットへと突っ込んだ。

 ヌラはというと渡した分の肉をぺろりと食べてしまったようだ。


「後で欲しくなってもあげないよ」と言う僕に対して、気にしていないような素振りでちらりと目線をくれるだけのヌラだった。


 少し元気が出た僕たちは、腰を上げてさらに上を目指す。

 周りに木々がないのと、標高が高くなっているおかげで、空の様子がはっきりとわかった。


 右手のほうには機嫌の悪そうな灰色の雲の塊。あの真下では雨が降っているのだろうか。左手のほうにはアイスクリームのようなふわふわの白い雲が浮かんでいる。

 そんな景色を堪能しながら、休むことなく足を動かしていく。


 僕は中学校時代の遠足登山を思い出した。


 クラスメイトが楽しそうに登る中、体力のない僕は一番後ろの方で先生に付き添われて登ったっけ。


 先生が背後から僕たちのお尻を押すように「がんばれがんばれ」と声を掛ける。最後尾グループのメンバーは、みな死んだような顔つきだった。そこにはなんの会話もない。そもそも一緒に手を引いて登ってくれる友達がいないような連中だ。まるまると太ったやつ、メガネをかけた成績の良くないガリ勉、そしてただの陰キャ野郎の僕。みな、普段はなにかしらクラスメイトからイジられるようなやつの集まりだ。


 一つも楽しくなかった。


 でもなぜか、会話も出来ないトカゲの背を追う今日の登山は、不思議なやる気と達成感に満ちていた。

 そんなことを思っていると、先を行くヌラが振り返り、僕の目を見て「ギャギャ」と鳴いた。


 ヌラの横に着いた僕の目に映ったのは、眼下に広がる地平線まではっきりと分かるような広大なサバンナだった。


「うわぁ。すごい」


 僕は後ろを振り返ってみる。僕たちが基地にしていたジャングルが、遥か下に広がっている。


「ここが山の頂上なんだね。すごい。こっちとあっちで環境がガラリと変わるんだ」


 僕が感嘆の声を漏らすと、ヌラがジャングルとサバンナを交互に指さし「ギャギャギャ」と声に出す。僕はなんとなく頷いてみる。その後、ヌラはサバンナの方を指さしながら「ギャッギャ」と鳴いた。


「あっち。あっちに、何かがあるんだね」


 僕も同じように指さすと、ヌラは満足げに頷いた。


 ――きっと、僕が帰れる方法が。


 目標がはっきりとしたおかげで、身体に力がみなぎってくる。


「よし。行こう! ヌラ! ゴーゴー!」


 僕はこぶしを突き上げ声を出す。

 突然元気になった僕を、奇妙なものを見るような顔で見てきたヌラだったが、「クァ」と呆れたような声を出したあと、また力強く歩き出した。

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