第18話 ギャラクシーオンステージ

 日差しにまぶたを刺激されて、僕は目を覚ました。


 昨日はあのまま眠ってしまったようだ。周りには完成したヒモが数本転がり、焚火は真っ白な灰になっている。


 大きく伸びをした僕は、ふいにお腹の痛みに気付いた。


「あ、ヤバい」


 急いで森の中に入り、よさげな草むらを見つけるとズボンを脱いで屈みこんだ。

 少し力を入れただけで、今まで貯めこんでいた鬱憤うっぷんを晴らすかのように、凄い量のうんちが出てきた。


「くぁぁぁ」


 僕は腹痛と排便の快感が入り混じった声を漏らす。


 ようやく出きった感覚があり、僕は周りに生えていた手ごろな草をいくつかちぎり取り、お尻を拭いた。


「ティッシュ、欲しいなぁ」


 そう言えば、ウエストポーチにティッシュペーパーが入っていたことを思い出し、そしてウエストポーチは粉々に砕け散ったことを思い出した。


「スマホも財布も入ってたんだけどなぁ」

 と呟いてはみるものの、すでにスマホも財布もどうでもいいと思っていた。


 未だに少し痛むお腹を押さえ、立ち上がる。少しだけ考え、ズボンとパンツは脱いで手に持った。川で身体を洗ってからにしようと考えた。


「やっぱり野菜が足りてないのかなぁ」


 ぐるぐると動いている腸をさすりながら呟く。


「サラダ食べたいなぁ。シーザーサラダ、ポテトサラダ。ハンバーガーも食べたい。フライドチキンも食べたいし、やっぱりカレーも食べたいなぁ」


 野菜の話から、いつの間にか食べたいものリストに変わっていた。


「牛丼、ちゃんこ鍋、お寿司……」


 一度妄想が始まるとなかなか止めることが出来なかった。


「はぁ……、帰りたいなぁ」


 寂しさよりも、食欲から来る呟きだった。


 基地に戻り、ズボンとパンツを持ったまま川の中に入った。


 息を止めて頭まで水に浸かる。シャンプーはないけど頭をガシガシと擦った。それだけでも少しさっぱりした気分になった。

 履きっぱなしだったズボンとパンツを、軽くこすり合わせて洗う。裾に付いていた泥や汚れが川の流れに合わせて茶色い線を描いた。


 川から上がり、ズボンとパンツを乾かすように大きな石に広げて置いた。上のシャツも一度脱いでから、両手で絞る。ポタポタと水が滴り落ち、地面に円形の跡を作った。


 両腕にはそこかしこにスリ傷やアザがあった。僕はなんだか自分が強くなったような気がして、細い腕を折り曲げて力こぶを作ってみた。鏡で自分の姿を見れないのが残念だ。


 物音がした気がして後ろを振り向く。見ると、ヌラがテントから顔を出し、よろよろと歩いている所だった。


「ヌラ!」


 僕はヌラに駆け寄ると、肩を抱くようにして彼を支えた。

 ヌラはちらりと僕の顔を見た後、視線を下半身に向けた。僕はフルチンだった。


「あっ、いや、いまズボン乾かしてて」


 どこか言い訳をするように答えた僕に、ヌラは眉間にシワを寄せて不思議そうな顔をしている。


「ヌラたちは服を着ないもんね」


 もしかしたら、僕は脱皮をしたようにも見えるかもしれないな、なんてことを考えた。

 ヌラをすでに火の消えた焚火のそばに座らせた。切れた尻尾の部分を見ると、体液はもう染み出ておらず、薄いかさぶたのような膜が張っているのが見て取れた。

 僕はヤシの実の水筒を使い川の水を汲んでやる。振り返ってヌラを見ると、焚火のそばに置いてあった猪の肉の残りを見つけたのか、ぱくりと一口で食べる所だった。


「元気になってきた?」


 僕が水筒を差し出すと、力強くそれを受け取り、がぶがぶとうまそうに水を飲んだ。


「ヌラはまだゆっくりしてて。僕は猪の肉を取ってくるよ」


 僕はまだ乾ききっていないパンツとズボンを履き、槍を手に持ち森に入ろうとした。すると「ギャオ」とヌラが鳴くので振り向くとまだ弱弱しい足取りで、ヌラが僕に近づいてくる所だった。


「ヌラ、危ないよ?」


 支えるように腕を取り、声を掛ける。しかしヌラは「一緒に行く」と言わんばかりに、森を指さした。


「分かった。じゃあ、一緒に行こう」


 僕はヌラの腕を首に回し、彼を支えるように一緒に歩き出した。


 尻尾がないとバランスが取りにくいのか、ヌラはたびたび足を引っかけ転びそうになっている。

 その度に僕は足に力を込めて彼を支えた。

 あんなに力強かったヌラの弱弱しい姿に、なんだか少し悲しいような寂しいような、そんな感情が湧き上がってくる。


 それでもなんとか協力して、猪の死体の場所までたどり着いた。ヌラをいったん木陰に座らせる。ヌラは疲れたのか少し苦しそうだ。

 死体の周りにはコバエのような虫がたくさん飛んでいた。僕は軽く手を振って虫を避ける。


 ――肉はまだ腐っていないだろうか。


 僕は少しの不安を抱えながら、残った後ろ足に槍を突き立てる。

 一度経験したからなのか、昨日よりは順調に作業が進む。ざくざくと槍の刃を肉に突き刺し、残るは太い骨だけになった。

 僕は昨日骨を砕くために使った石を足元で確認し、それを持ち上げようとしたその時だった。背後からヌラがゆらりと現れ、猪の腹に手を当てた。


「どうしたの?」


 僕が声を掛けると、ヌラが手を差し出してきた。槍を指さし寄こせと言わんばかりに手の平を広げた。


「これ?」


 僕が槍を手渡すと、ヌラは大きく振りかぶり、猪の腹部に突き刺した。ぶしゅっと赤黒い血が噴き出してくる。

 ヌラはそのまま横一文字に槍を突き刺していく。ほどなく、猪の腹からせきを切ったかのように内臓がぼろりとこぼれ出てきた。強烈な生臭さが辺りに充満し、僕は思わず鼻をつまむ。


「おぇ」


 大量の赤黒い内臓が辺りに広がるグロさと、そのあまりの生臭さで僕は一瞬吐き気を催した。

 臭いにつられたのか、大小の鳥がどこかからやってきて地面に広がった猪の内臓をついばんでいる。

 ヌラはというと、その内臓を意にも介さずぐちゃぐちゃと足で踏みながら猪の身体に槍を突き刺し続けている。


 そうして様子を見ていると、猪の身体に槍の斬撃で付けられた長方形の刺し傷が出来ていた。

 長方形の各辺がきっちりと交差したのを確認すると、ヌラが槍を僕に投げて寄こしてきたので僕は慌ててそれをキャッチする。


 ヌラは長方形の角の辺りに自身の爪を差し入れると、そのまま辺に沿って滑らせるように手を動かした。同じ作業を何度かしていくと、猪の身体から皮が剥がれていくのが見て取れた。


「おお。毛皮を取るんだね」


 ヌラの鋭利な爪がナイフさながら猪の身体から皮を剥いでいく。面積が広いせいで多少時間はかかっていたが、黙々と作業を続けたヌラは、その後見事に毛皮を剥がすことに成功した。


「すごいね!」


 収穫した大きな毛皮を誇らしげに広げるヌラに向け、僕は声を上げ笑顔を向けた。そして気を取り直し、僕は猪の足に石を投げ当て、その後ろ足の肉を確保した。


 

 帰りは結構大変だった。


 片手で猪の後ろ足を持ち、もう片方の手で槍を持ちながらヌラを支える。ヌラはヌラで収穫した毛皮を引きずって歩くもんだから、僕の腕にかかる負荷は相当なものだった。


 へろへろになりながらやっとのことで基地に到着した。


 空がオレンジがかっている。日が完全に落ちる前に、やれることをやっておかないと。

 僕はいったんヌラを座らせてから、再び森に戻る。今日の焚火用の火虫を探すためだ。

 なんとか火虫を見つけ持ち帰ると、ヌラが毛皮を持って何か作業をしていた。近づいて様子を見てみると、毛皮の内側についた肉を石でこそぎ落としている。

 そんなヌラの作業を横目で見ながら、僕は焚火の準備をする。


 パチパチと焚火が火花を散らし出す頃には、辺りは暗く、静かになっていた。

 ヌラは黙々と毛皮から肉をこそいでいる。僕は僕で焚火の明かりを頼りに、猪の肉をブロック状に切り分けていく。


「ヌラ、生肉もあるけどどっちがいい?」


 僕はヌラに肉と焚火を交互に指さし問いかける。

 ヌラは一瞬作業の手を止めこちらを見ると「グォ」と言い火を指さした。

 僕は少し微笑み肉を木の枝に突き刺していく。肉を火にかける直前、ヌラが「ギャオ!」と声を上げ毛皮を掲げるようにして持ち上げた。


「終わったの?」


 僕がそう問いかけると、ヌラは自慢げに「ギャギャオ」と毛皮を見せつけてきた。ヌラが見せつけてきた毛皮の裏側は、脂のせいかてらてらと光って湿り気を帯びているようだった。僕はそれを見て(あれをそのまま被るのは嫌だな)なんて思っていると、ヌラが毛皮の四方に尖った石で穴を開けだした。


 開けた穴にヒモを通し、そして長さ二メートルほどの丈夫そうな木を何本か見繕ってきて毛皮に繋いだヒモをくくりつけた。


 僕は肉を焼きながらヌラの作業を眺めている。

 そうしていると、突然ヌラが「ギャ」と鳴き毛皮を繋いだ木の枝を指さした。毛皮の四方にヒモで繋がれた木の棒だ。


「ん? それを持つの?」


 僕が腰を上げヌラに指示された木の棒を手に取ると、ヌラが反対側の木の棒を二本持ち上げた。毛皮がふわりと持ち上がる。僕が持っていないほうの木の棒がゆらゆらと揺れるので僕は慌ててそちらの棒も手に持った。四本の木の棒の真ん中で揺れる毛皮。なんだか出来損ないの担架のようだった。


 そしてヌラが焚火のほうへと向かい、手に持った木の棒を安定するように地面に突き刺し足元の石で固定した。


「ギャオ」


 ヌラが指さす方に僕も棒を突き刺す。そして理解する。


「あぁ、焚火の上に配置するんだね」


 残った一本を地面に突き刺すと、毛皮の内側がちょうど焚火の上、燃えないほどの距離で広がっている。

 腰を屈めるとちょっとした屋根のようだ。

 なんとなく僕にも分かった。多分焚火の熱か煙で内側のぬめった部分を乾燥させるんだろう。


 毛皮の作業がひと段落したので、焼けた肉をヌラと分けっこする。相変わらず、焼き立ての猪の肉は美味しかった。明日食べるくらいの肉も残しておけそうだ。

 ヌラを見ると昨日よりは幾分か勢いよく肉にかじりついている。

 とにかく、ヌラに元気になってもらわないと話にならない。

 僕はヌラの様子を気にしながら、歯に挟まった猪の肉を指と舌でかきだした。


 食事を摂り、少し落ち着いた僕はその場で仰向けに寝っ転がった。頭上に広がる星空をじーっと眺めていると、身体が浮遊して宇宙に吸い込まれていく感覚に襲われる。


 ふわふわふわふわ、僕の身体はどんどん加速していく。月を横目にさらに遠く。火星を追い越し木星をすり抜け、土星の輪っかに手を触れる。


 気が付くと僕は鼻歌を歌っていた。大好きなアニメのテーマソングだ。あまり歌が上手でない僕だけど、不思議な解放感に後押しされて、声がどんどん大きくなる。

 人間の最大の発明は音楽だ、と誰かが言っていたような気がする。

 ふと気が付くと、ヌラがまっすぐ僕を見ていた。


「ごめん、うるさかった?」


 僕は身体を起こしてヌラに向き合う。


「ギャギャオ」


 ヌラが僕を指さす。その表情は穏やかだった。


「さっきのはね【ギャラクシーオンステージ】っていう歌なんだ。僕の好きな歌」


 そう言って僕は歌を口ずさむ。さっきは鼻歌だったけど、今度はしっかりと歌詞まで口にする。

 

 ******


 この億千の星の中 それぞれに輝きを放つ

 大きな光は目立つけど 小さな光も確かにあるんだ

 この億千の星の中 それぞれに輝きを放つ

 私が星の一つなら あの中のどれになるだろう


 たとえ小さな光でも 何億光年のその先の

 あなたにいつか届くように 私はここで歌を歌うよ

 なにものでもない私の光を


 ******


 静寂に包まれた森の中で、僕の歌声が響いて溶ける。

 隣のヌラをちらりと見ると、僕の歌に合わせて身体を揺らしている。

 

 人間の最大の発明は音楽だ、と誰かが言っていた気がする。

 

 確かにそうなのかも知れない。

 そしてそれは、他の生き物にもきっと届くものだ。

 ヌラの身体の揺れはどんどん大きくなっていく。僕の声もどんどん大きくなっていく。

 音に合わせて手を叩く。ヌラも木の棒を持ち、ドラムさながら地面を叩く。


 ――ギャラクシーオンステージ。


 この広い宇宙の中で、いまこのちっぽけなスペースが、僕たちのライブ会場だ。



 結局僕はまるまる一曲歌いきってしまった。

 心地の良い達成感が身体を巡る。


 ヌラを見ると、僕が歌い終わっているにも関わらず、まだ嬉しそうに木の棒でリズムを刻んでいる。


「ははは。ヌラはトカゲ界初の音楽家になれるかもね」


 僕が笑い声を上げると、ヌラも嬉しそうに「ギャギャギャ」と鳴いた。



 焚火を眺めながら微睡まどろんでいたところで、ヌラの立ち上がる気配がした。焚火の上で乾燥させていた毛皮の状況を指で触って確認すると「ギャオ」と僕に向かって鳴いた。


「もういいの?」


 僕は立ち上がり地面に突き刺した木を引き抜く。ヌラも反対側で同じように木を引き抜いている。

 毛皮が火に当たらないように注意しながら、ゆっくりと下に降ろす。

 いぶしていた毛皮の内側を触ってみると、確かにしっかりと乾燥してぱりぱりになっていた。


 ヌラと協力して四方のヒモを解いていく。さっきより少し縮んだような気がしたが、僕の身体ならすっぽりと入ってしまいそうな大きな毛皮だ。

 ヌラが毛皮の端を持ったので、僕も反対側を掴み持ち上げた。そのままテントへと向かい、床に毛皮を敷き詰めた。


「はは。すごい」


 僕は倒れこむように毛皮のベッドに寝転んでみた。

 猪の毛はごわごわであまり柔らかいものではなかったけれど、今までの寝床に比べるとその心地よさは格段に違っていた。


「あー。いいねー、これ」


 と呟いたところまでは覚えている。

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