第17話 この世界の一員

「ううぅあ。……あぁ!」


 息が止まる感覚がして、僕は勢いよく飛び起きた。夢と現実の区別がつかず、しばらく肩を揺らし荒々しく呼吸をする。

 ほどなく、落ち着きを取り戻した僕は隣のヌラに目線を向けた。


 ヌラは目を閉じたまま、苦しそうに息を継いでいた。


「ヌラ、どこか痛むの?」


 僕はヌラの下半身に目を向ける。昨日までそこにあった堂々とした尾っぽが跡形もなく消え去っている。


 僕はヌラの額に手を当てる。人間みたいに熱はなく、ひんやりとした鱗の感触がした。切れた尾っぽの断面を見ると、白い骨のまわりにピンク色の肉があり、透明な液体が染み出しているのか光を反射しててらてらと光っている。


「痛いのかなぁ」


 僕はその断面を見て思わず顔をしかめる。

 苦しそうなヌラを見て、僕は気合を入れて立ち上がった。足はパンパンに張っていて、変に力を入れると足がつってしまいそうだ。

 ヨタヨタとテントから出て川に向かう。冷たい水で顔を洗うと気持ちが引き締まった。


「よし!」


 僕は両頬を叩くと、一人森へと入って行った。


 ひとまず僕は水筒として使っていたヤシの実のような果実の木を探した。ヌラに水を飲ませてあげたいのと、今後も水筒は必要だと思ったからだ。


 迷わないように、目印となる木にキズをつけながら歩く。


 しばらく歩くと、目当ての実をつけた木を見つけた。僕はためらうことなく木に蹴りを放った。しかし、一回蹴っただけで、僕の足は悲鳴を上げる。筋肉痛のめちゃくちゃ痛いやつだと思った。

 でも、うずくまっている時間はない。痛みに耐えて二度、三度。僕は必死になって木に蹴りを放つ。そうして何度か頑張っていると、僕の想いが伝わったのか、頭上からぼたぼたといくつかの実が落ちてきた。僕は両手を使い、なんとか四つの実を抱えた。


 いったん基地に戻り石を使って実に穴を開ける。中に入っている酸っぱい液体を捨ててから、川で中をキレイに洗い、一度口をつけてみた。

 まだ多少の酸っぱさは感じたが、飲めないことはなかった。

 僕はそのうち一つの実の中に水を満たし、テントへと持っていく。


「ヌラ。水持ってきたよ」


 テントの中では、ヌラが未だに苦しそうに丸まっていた。

 僕はヌラの横に座り、彼の身体を抱き起した。


「飲める?」


 うっすらと目を開けたヌラが僕から水筒を受け取る。僕は水がこぼれないように、水筒の底を支えるように手を当てた。

 ヌラはゆっくりと水筒を傾け、中の水を飲む。喉が渇いていたのか、速度は遅いものの凄い量の水を一気に身体に流し込んでいる。


「ゆっくりでいいからね」


 中にあった水をすっかり飲みほしたヌラは「ギャ」と一言、かすれた声を出した。

 僕は空っぽになった水筒を受け取り、もう一度川で水を汲んでから、テントで横になっているヌラのそばに置いた。


「水、ここに置いとくからね」


 僕が声を掛けると、ヌラは声を出さずに目だけで返事を返してきた。


「あとこれ、借りるね」


 僕はヌラの槍を一つ手に取る。ヌラも特に何も言って来ないので、承諾しょうだくしたものとして考えよう。


「さて、次は」


 テントを出て空を見上げると太陽が真上にあった。日が落ちるまでに、アレを回収しないと。

 僕はもう一度森に入る。うろ覚えの道を辿ると、少し開けた場所が見えてきた。たぶん、あそこだ。


 果たして、それはまだそこにあった。


 一見すると巨大な岩石にも思える獣の身体。例の猪の化け物の死体だった。

 僕は死体に近づくと、まずは顔を確認した。蟻のような虫が行列を作って群がっている。その光景に少しだけ気持ちが悪くなって顔をしかめた。


「一日くらいじゃ、腐ったりしないよね?」


 誰に言うでもなく呟くと、僕はヌラから借りた槍を猪の太もも辺りに突き刺す。初めは分厚い皮と脂肪に阻まれ刃が滑ったが、何度か挑戦しているうちにブスリと突き刺さる感触が手に伝わった。

 そこを突破口にして円を描くように刃を刺していく。途中で骨に当たった。ひどく硬い骨で槍先についた刃では到底切り離せそうになかった。


 僕は諦めて骨以外の部分に槍を突きまくる。刃の当たった部分の肉が潰れたり切り離されたりしてだんだんと柔らかくなっていく。そしてあらかた骨以外の肉が崩れたのを確認すると、僕は辺りを見渡し、手ごろな石を見つける。それは両手でやっと持ち上げられるほどの大きめの石だ。


 僕は奥歯を噛み締め力を込める。石を大きく振り上げると、骨の浮き出た猪の太ももへと思いっきり投げつけた。


 パン! という小気味のいい音が響き、硬かった猪の骨が砕けた。


「やった!」


 僕は額に浮いた汗を拭い、安堵のため息をついた。


 切り離された猪の太ももを掴む。長さ一メートルほどのそれは、想像以上に重たかった。それでもなんとか引きずりながら、僕は基地にそれを持ち帰ることに成功した。


 焚火のそばでいったん手を離して肉を置く。ヌラならともかく、僕はこのままの大きさじゃとても食べれそうにない。僕は槍を使い、太ももをいくつかのブロックに切り離した。そこからもう一度こぶし大くらいになる程度に切り分けていく。

 脂が多いのか、途中から槍の切れ味が悪くなった。川に向かい水で洗ってみる。しかし、刃先にこびりついた脂はなかなか取れずにぬるぬると指が滑ってしまう。僕はため息を吐きテントに向かう。


 ヌラはまだ体調が悪いのか身体を横に向け寝息を立てていた。


「ヌラ、ごめん。もう一つ借りるね」


 そう断ってから僕はヌラのもう一つの槍を手に取る。

 変えた方の槍は切れ味が良く、残った肉を切り分けることに成功した僕は腰に手を当てて一息つく。辺りはすっかり暗くなっていた。


「焼いたら保存が効くのかなぁ」


 他に方法を思いつかない僕は焚火のそばに肉を並べて熱を通していく。

 自分用に枝に刺した肉を良く焼いてから、ふーふーと息を吹きかけてかじりついてみる。


 それはびっくりするほど美味しかった。


 小動物の肉とは比べ物にならないほどの脂が噛むほどに口の中で広がる。多少の臭みも気にならないほど、脂の旨味の衝撃が麻薬のように脳天に突き刺さる。


「うま。うんま」


 語彙力を無くした僕は次々に焼けた肉に食らいつく。久しぶりに脂っこいものを食べたせいなのか途中で胃がキリキリと痛んだけれど、それでも構わず食べ続けた。

 ようやく落ち着いた頃には周りに置いた肉にもしっかりと火が通ってそうだった。

 僕はそのうち二つに木を突き刺すと、立ち上がってテントへと向かった。


「ヌラ、起きて」


 僕が声を掛けると、ヌラは虚ろに目を開き気だるそうにゆっくりと上半身を起こした。


「肉。食べれる?」


 僕が手に持った肉を差し出すと、黙ってそれを受け取った。

 まだ湯気の立つ猪の肉の匂いをスンスンと嗅いだ後、大きく口を開けてがぶりと肉に食らいついた。

 味うかのようにゆっくりもちゃもちゃと咀嚼している。僕は黙ってその様子を見ている。

 そうしてごくんと飲み込んだヌラが、ようやくはっきりと僕の顔に目線を向けた。


「どう? 美味しい?」


 僕が問いかけると、ヌラは「ギャ」と鳴きカチンカチンと牙を鳴らした。ここ数日の付き合いだが、それは美味しいものを食べたときにする彼のクセのようなものだった。


「そう、よかった」


 僕は笑みをこぼし、残ったもう一つをヌラに差し出した。今度はさっきよりも多少元気よく肉を食べているヌラを見て、僕は少しだけ安堵した。


「早く元気になってね。肉、まだあるから」


 僕はヌラにそう告げテントを出て焚火へと向かう。


 焚火のそばに腰かけ、残った肉を焦げないように移動させながら、僕はそばに置いてあった蔓を手に取った。

 ほどよく乾燥された蔓を端から半分、もう半分と割いていく。細かく割いて繊維の束となったそれの一端を足で押さえつけ、両手を使いよりあわせていく。

 力を込めてねじっていくと、手の平の中から繊維がヒモとなって出てくる。わずかにねばついた樹液が繊維同士を結合させ、ヒモは固く丈夫になっていく。


 僕は無心で作業を続ける。作業に集中している間は、余計なことを考えずに済んだ。


 どこかでジワジワと虫が鳴いている。暗闇の中で川のせせらぎが聞こえる。焚火にくべた枯れ木がパチンと大きく火花を散らした。


 僕は作業を止め、大きく息を吸い込んだ。湿り気を帯びた、とても澄んだ空気だ。空を見上げると天然のプラネタリウム。その中でもひときわ輝く星を見つけて、ゆっくりと手を伸ばしてみる。掴めるはずもないのに掴んでみる。


 ――あぁ。僕はいま。この世界の一員だ。


 何故だか恋に落ちたかのように、胸がきゅっと苦しくなった。

 誰かに認められた訳じゃないけど、僕は確かにここにいる。

 僕が、ずっと求めて、欲しがっていた感覚。


 僕は体育座りになって、両膝を抱えて目を閉じた。

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