第13話 トカゲの落書き

 目を覚ますと、いつの間にか僕は地面に寝っ転がっていた。朝特有のさわやかな空気が鼻孔をくすぐる。

 ゆっくりと身体を起こすと、筋肉痛かはたまた昨晩ころんだせいか、身体の節々に痛みが走った。肘に目を向けると筆で無造作に引っ張ったような赤い筋が、それこそ塗りたての絵の具のように鮮明に浮かび上がっていた。つんつんと傷口を触ってみるが、血が固まりかけているのか痛みはそれほどなかった。


 声が聞こえたので振り返ると、そこにヌラの足があった。僕は視線を上に上げる。ヌラは僕を見下ろすように立っていた。昨日よってたかって殴られていた怪我は大したことがなかったようで、その身体に傷らしい傷はなかった。


 ヌラは僕の顔を確認すると僕の横に腰を下ろし、近くに落ちていた小枝を掴んだ。そのまま地面を手の平で少しだけ均し、手に持った小枝でなにやら地面に描き始めた。


 僕は黙ってその様子を見る。


 ヌラはまず綺麗な円を描いた。そしてその下にもう一つ小さな円。その小さな円の下部から直線を伸ばし、交差するように横にも線を引く。それは記号のメスのような形だった。ヌラはその♀と僕を交互に指す。


「これ。これは、僕?」


 僕が♀の記号と自分を交互に指さすと、ヌラは肯定するように頷いた。僕はパラパラまんがの棒人間のようなそれを凝視する。


 そして、地面に描かれた僕の隣に今度は長方形を描いた。記号の僕がすっぽり入るほどの大きさだ。


「……なんだろう」


 ヌラはそこまで描くと一度顔を上げ、最初に書いた大きな円を小枝で指し、そして天を指さした。


「……太陽。そうか、これは太陽か」


 僕も空を指さすと、ヌラはまた大きく頷いた。


 ――太陽と、僕と、そして横の長方形。


 僕が地面に描かれた図を見ていると、ヌラが太陽の円をトントンと小枝で叩いた。意図がわからない僕が首を傾げていると、ヌラはその太陽の内側を雑に塗りつぶし出した。〇だったものが徐々に●になっていく。


 そうしてあらかた塗りつぶすと、今度は長方形の図形の内側も塗りつぶしていく。


 ――なにをしているんだろう。


 僕は黙って移り変わっていくその図形を見ていた。そして、長方形の内側も塗り終わると、ヌラは手の平を使い僕の記号である♀をザッと一気にかき消した。


「あっ! 何するんだよ」


 僕は自分の分身である記号が乱暴に消されたことに対し抗議する。が、その時はたと気が付いた。


「……これ。……消える。……戻れるってこと? 元の世界に」


 太陽と、何かと、消えた僕。僕は戸惑いつつも期待を込めてヌラの顔を見る。言葉が分かっている訳ではないだろうけど、ヌラはまっすぐ僕の目を見て、そして大きく頷いた。


 ――帰れる。元の世界に。


 心の中でそう呟くと、謎の安堵感で胸がいっぱいになってきて、じんわりと目頭が熱くなってきた。鼻の奥の生まれたての鼻水が、垂れてこないようにスンと鼻をすすった。

 そんな僕の肩を叩き、ヌラがどこか森の先を指さす。

 きっと僕をどこかへと導こうとしているんだ。


「うん。行こう。……僕は君を信じるよ」


 僕は奥歯をぎゅっと噛み締めた。この先の行程が厳しいものであろうとも、帰れる可能性があるのなら、僕は頑張れる。それこそ死ぬ気で。頑張らないといけないんだ。

 ヌラがゆっくりと腰を上げる。僕もそれに続いて立ち上がった。


「行こう、ヌラ。その場所へ。僕を連れて行って」


 ヌラは「ギャ」と一言だけ鳴いて、僕に背を向け歩き出した。

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