第12話 動物園の猿

 連れて行かれた先はまたしても檻であった。しかし、この世界に来て初めて入れられた檻よりも、造りはしっかりしていそうだった。広さは三メートル四方くらいだろうか。僕一人が寝転がってもまだ余裕がありそうなほどの広さはあった。


 檻の中であぐらをかいて座った僕は、ぼんやりと辺りを観察する。


 目の前には見張りのトカゲがひとり、その先にやはりキャンプファイヤーほどの大きな焚火が揺れていて、ほのかな熱がここまで届いてくる。


 その奥には例の王宮の姿がうっすらと見える。日は完全に落ち切っていて、焚火のまわり以外の状況ははっきりと確認出来ない。室内で火を灯す習慣はないのか、大きな王宮の中も、明るい場所は見当たらなかった。


 ――あの村長みたいなやつはあの建物に戻ったんだろうか。


 夜の世界に微かに浮かぶ暗く静かな王宮を眺めながら、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。

 ふと、背後から物音がして僕はそちらに顔を向けた。そこにはくりくりの大きな目を興味深そうにこちらに向けた子トカゲがいた。


 ――さっきの子かな?


 子トカゲはきょろきょろと辺りを警戒しつつ、僕の顔を見つめてくる。


「ははっ。僕が珍しくて見に来たの?」


 大人に比べると半分ほどの小さな手を檻にかけ、物珍しそうにこちらに視線を送ってくるその姿は、人間の子供のそれとほとんど変わらないように思えて、なんだか少しほっこりしてしまう。


 しかし、よくよく考えてみると、いまの僕は動物園の猿のようなものなのか。


 その事実に気付き、僕は少しだけ肩を落とした。そんな情けない僕の姿を見て、子トカゲは嬉しそうに「キャキャ!」と甲高い声を上げた。


 すると、そのの声に気付いたのか、見張りのトカゲが怪訝な顔をして檻をぐるりと回り込む。子トカゲの姿を見つけた彼は、呆れたように息を吐き、それから眉間にシワをよせて子トカゲを指さし注意するように「ギャオ」と声を掛けた。


 その時だった――。


 見張りのトカゲの後ろからぬっと影が顕れ、ボカっと大きな音がしたかと思うと、見張りのトカゲがゆっくりと膝から崩れ落ちた。


 驚いて微動だにしない僕と子トカゲの目に、一体のトカゲの姿が映った。


「……ヌラ!」


 確信を持って声を上げる僕に、ヌラはすぐさま声を抑えるようにと僕に向けて手の平を向けてきた。


「良かった、無事だったんだね」


 僕は小声で、しかし喜びの感情を込めてヌラに問いかける。ヌラは僕の声に応えずにちらりとこちらを見た後、立ちすくんでいる子トカゲに目線を合わせるように腰をかがめた。


 子トカゲは済んだ瞳でヌラの顔を見ている。


 ヌラはフンっと鼻息を漏らした後、子トカゲの頭を大きな手の平でぐりぐりと撫でた。子トカゲは嬉しそうに目を閉じ喉を鳴らしている。そして、ヌラが手を離すと、子トカゲはフンフンと鼻息を出してから、ゆっくりと目を開いた。


 ヌラが子トカゲに対して「静かにしてろ」と言わんばかりに、自身の口元に指を一本当てた。


 僕はその様子を見ながら、(どこの世界でも静かにしろってポーズは同じなんだな)なんてことをぼんやりと考えていた。

 子トカゲもその意図をくみ取ったのか、黙って首を二回縦に振る。


 ヌラは腰を上げて、背中の槍を抜き、僕を閉じ込めている檻の継ぎ目の辺りに思いっきり槍を打ち当てた。

 ザッという音と共に檻を組んでいるヒモが切り落とされる。ヌラはもう二、三か所同じように槍を打ち込み、その骨組みを緩ませていく。


 ほどなく、人ひとりが通れるほどの隙間が開いた。僕は足だけを動かし、その隙間を通って檻から脱出した。

 抜け出てきた僕の身体に槍の刃先を当て、ヌラは僕を縛っていたヒモも切り離す。窮屈な縛りから解放された僕はそこで大きく息を吸った。


 その時、倒れていた見張りの喉がググゥと鳴り、僕は身体をびくりと揺らした。彼が目を覚ます前に逃げないと。

 ヌラも同じことを考えていたようで、すぐさま僕の腕を掴み、どこかへ走り出そうとする。


 僕はヌラに腕を引かれながら、ちらりと子トカゲのほうを振り返ると、子トカゲはくりくりの目を大きく開いたまま、小さな手を身体の前で振っていた。


「……バイバイ」


 僕は彼に応えるように、小さく声を出し手を振った。




 僕たちは必死で走る。点在している住居を避けるように、暗いところを選んで走った。月に薄雲がかかっているせいで今夜の視界はかなり悪い。僕は目の前を走るヌラを見失わないように、その背中に必死に追いすがる。


 やがて、明るく光る場所が見えた。僕たちが入ってきた入り口だ。見張りの視界を確保するためか松明のようなものが両側に備え付けられている。その松明の下、見張りのトカゲが町の外側を警戒するように視線を向けている。

 しかし、視線を外側に向けてくれているせいか、中から走ってきている僕たちには気づいていないようだ。


 ヌラは一瞬だけ後ろを振り返り、僕がついてきているのを確認すると、そのままの勢いで入り口を飛び出していった。僕も足に力を込め、全速力で通過する。


 中から飛び出してきた僕らに驚いたのか「ギャギャ!」と声を上げた見張り達だったが、あまりに突然のことに対処出来なかったのか、そのまま立ちすくみ追いかけてくることはなかった。


 森に飛び込んだ僕らは、それでも速度を緩めない。僕の脳内には、背後からトカゲの大群が雄叫びを上げながら追いかけてくるイメージがありありと浮かんでいる。それは、恐怖感から来る幻想なのかもしれない。でも、その幻想が僕の足を動かす原動力になっているのは確かだった。


 どれほど走ったか分からないくらいのところで、いよいよ僕の足が悲鳴を上げた。上手く足を上げきれなかったのか、足元の木の根に引っかかり、その勢いのままごろごろと派手にすっ転んだ。


「いってー」


 あまりの衝撃に声を上げた僕に気付き、前を行っていたヌラが急ぎ足で戻ってきた。疲労と痛みにより、僕はもう一歩も動けそうになかった。


 ヌラは背後を確認し、追手が来ていないことを確認すると、ドカっと僕の横に腰を下ろした。


 僕は躓いて擦りむいたであろうヒジやヒザを確認する。所々から血が出ているのか指で触れた部分にヌルっとした感触があった。でも、その割には頭は冷静だった。暗闇による視界の悪さのせいで、傷口を直視出来ないからかもしれない。これがもし昼間のような明るさだったら、真っ赤な血の流れる擦り傷がはっきりと確認出来て怖くなっていたかもしれない。


 見えないものは怖くない。きっとそういうものだろう。


 隣にいるヌラと肩が当たっている。トカゲは汗をかかないのだろうか。そんなことを考える。ただ触れ合っている部分には、鱗の硬い感触しかなかった。

 しゅーしゅーとヌラが呼吸をする音がする。真っ暗闇の中で聞こえるその音を聞いていると、何故か気持ちが落ち着いてくる。


「……なんで、僕を助けてくれたの?」


 体育座りの両膝に顔を乗せて、小さく呟いてみる。


 聞こえているのかいないのか、暗くてヌラの表情もわからない。ただくっつけあった肩と肩は、その夜を通して離れることはなかった。

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