第8話 魚を得るための祝砲

 酷く悪い寝覚めだった。気温は少し肌寒いくらいなのに、全身に汗をかいている。


 僕はゆっくりと身体を起こし、隣で寝ているヌラを起こさないようにテントの外に出る。外に出た僕の目に飛び込んで来たのは、昨日の雨のせいか水量が増している川だった。泥を含みにごったその川は、大きな音を立てながら目の前を流れている。


 昨日の夜に外を出た時は暗すぎて気が付かなかったが、油断して足を取られなくて良かったと僕はひとつ息を吐く。

 森の手前で用を足して、振り返ったところでテントから出てくるヌラが見えた。


「おはよう、ヌラ」


 僕は手を上げて声を掛ける。なんとなく伝わったのか、ヌラも少しだけ手を上げて

「ギャ」と鳴いた。


 そして、ヌラはそのまま目の前の川に視線を向ける。


「すごいよね。テントまで水が来なくて良かった」


 僕が一人呟くと、川の真ん中あたりでチャポンと何かが跳ねた。


「あ、魚?」

「ギャギャギャ!」


 ほとんど同じタイミングで、ヌラと僕が声を出した。ヌラは僕に何かを訴えるように、川を指さす。


「ん?」


 ヌラは川の際まで歩いていくと、足元にある大きめの石をどんどんと川へ投げ入れ出した。ぼちゃんぼちゃんと大きな音と水しぶきを上げて、石が川の中へと入って行く。僕も良く分からずに同じように石を投げ入れた。


 そうしてしばらく石を入れていくと、川の中に石垣というか塀というか、とにかく石が壁のようになって盛り上がってきている。


「あぁ、そうか。ここで魚を逃がさないようにしたいんだね」


 ヌラの意図をくみ取った僕は、川の中へと入っていき、投げ入れた石の形を整えた。昨日まで足首ほどの深さだった川の水位は、今日は膝の高さまで上がっている。そうして石の形を整え、ちょっとした池掘りのようなものが出来上がった。


 水はまだ少し濁ってはいたが、目を凝らすと十五センチほどの魚が泳いでいるのが分かる。


 ヌラは背中の槍を抜き出し、水中の魚に向け、放った。しかし、魚は俊敏な動きでするりとその刃先を避ける。その後も何度か繰り返すが、その度に魚は嘲笑うかのように意図も容易く逃げ去ってしまう。


 ヌラは「ギャギャギャ!」と大きな声を出して悔しがった。


「僕がそっちに寄せるよ」


 僕はヌラに声を掛け、身振りでそっちに行くぞと伝える。ヌラもそれを見てこくりと頷いた。


「……行くよ」


 僕はヌラのいる方の反対側に回り、バシャバシャと大きな音を立てて川を歩く。魚は僕を避けるようにして、思惑通りにヌラの方向へと逃げている。


「今だ!」


 僕が叫ぶと同時にヌラが大きく槍を突き出した。


 しかし、奮闘むなしくヌラの槍先にはなんの獲物もかかってはいなかった。


「だめかー」


 僕はがっくりと肩を落とす。ヌラも地団駄を踏むように足を踏みつけ、川に苛立ちをぶつけていた。


「ヒモで網を作る? いや、時間が掛かるか。……なにかいい方法あるかな?」


 僕はアゴに手を当てアイデアを捻る。――ここにあるものだけで何か出来ないものか。

 その時、僕の脳裏にあるひらめきが浮かんだ。


「……そうだ。これならどうだろう」


 僕は川から上がりヌラを森へと手招きする。ヌラも首を傾げながらついてきた。

 森に入った僕は、大きめの石をどんどんとめくり、目的のものを探す。そしていくつかの石をめくった時に、それはいた。

 虫が苦手だったはずの僕が、素早い動きで必死にその虫を捕獲した。


「ヌラ、ほら、これ!」


 僕の手にあったのは、真っ黄色の虫。――そう、以前ヌラが火を起こすときに使ったあの虫だ。


「これ、何匹か集めたいんだ」


 虫を指さしながらヌラに訴えると、ヌラも「クァ」と言いながら虫を探し出した。

 そうして、僕らは両手いっぱいになるほどのその虫――僕はこいつを「火虫」と名付けた――を確保し、川へと戻った。僕のズボンのポケットは火虫でいっぱいで、中でうぞうぞと動いて気持ちが悪かった。


 僕は火虫をポケットに入れたまま川へと入って行き、そのままゆっくりと腰まで水に浸かった。そうしてしばらくすると、ポケットの火虫たちがの動きを止めたのがわかった。火虫が動かなくなったことを確認すると、僕はいったん川から上がり、ポケットをめくり出した。中からぼろぼろと黄色いものが落ちてくる。これが飴玉なんかだったら可愛いんだけれど、実際はカメムシほどの虫の死骸だ。


 ヌラは隣で不思議そうに僕の行動を観察している。


「よし。ヌラ、これで試してみよう」


 僕はヌラに笑いかけると、川の中に石を積み上げ、一番上に平たい石を乗せた。

 その上に火虫をめいっぱい乗せる。いつの間にか隣にいたヌラも横から首を伸ばして覗いている。


「よーし。それじゃあ、ヌラ、離れて」


 僕は手を振ってヌラを川から出るように促す。そして僕は両手でようやく持てるくらいの大きい石を持ち上げ、火虫を並べた石から少しだけ離れた。


 ――頼むぞぉ。


 僕は両手を大きく振りかぶり、並べた火虫に向かって大きな石を放り投げた。空中に浮かんだ石は、ゆっくりとした軌道で火虫の上に――着地した。


 その瞬間、僕の目の前が真っ赤に染まり火柱が上がった。それと同時に強烈な破裂音が辺りに響く。ボカンなのかバツンなのかドゥカンなのか、正確には表現出来ないがともかく、僕はその衝撃で一瞬気を失いそうになった。


 目の前にお星さまが飛んでいそうな感覚を頭を振ってどうにかやり過ごす。ヌラのほうを見ると、彼も音と衝撃にやられ口を半開きにして間抜けな顔をしていた。

 僕はゆっくりと川の様子を伺う。


「……やった。やったよ! ヌラ!」


 そこには、音と衝撃にやられた魚たちが水面にぷかぷかと浮かんでいた。

 ヌラもそれを見て「ギャギャ!」と嬉しそうな声を上げる。

 僕らは急いで川に入ると、気絶しぷかぷかと浮かんでいる魚を次々とすくい、地上へ放り投げた。


 合計十匹。大きいものはニ十センチくらいはありそうだった。形は奇抜なものではなく、僕が知っている川魚とそう変わりはなかった。

 ヌラは川から上がるなり、その一番大きい魚を掴み、大きな口を開けて飲み込んだ。


「あぁ! 一番大きいの食べたな!」


 僕が声を上げ指摘すると、ヌラは一瞬だけ僕のほうを向き、それからシラを切るようにそっぽを向いた。


「……まぁ、いいけど」


 僕は僕で、残しておいた火虫を石の上に置き、そのへんに転がっている枯れ木や枯草を集め、それに向かって石を打ち付けた。さっきとは違い、ポンっと可愛い音と火花が散る。火種が移った枯草にゆっくりと息を吹きかけると、ほどなくはっきりと分かるほど炎が大きくなった。


 僕は川魚に枝をぶっ刺して炎にかざす。なんだかほんとに自分が凄腕のキャンパーになったような気分だ。

 ぽいぽいと魚を口に放り投げていたヌラが興味深そうに僕に近づいてきた。


「ヌラたちは焼いて食べたりはしないの?」


 言いながら僕は焼けてそうな小さめの魚をヌラに差し出す。少しだけ首を傾げたヌラだったが、僕の手から魚を受け取り、湯気の立つその魚をゆっくりと口に入れた。


「どう? 美味しい?」


 僕は不安げにヌラの顔色を伺う。するとヌラは目を見開き、嬉しそうに何度も牙をカチンカチンと打ち鳴らした。――うん、喜んでくれたみたいだ。


 僕もこんがりと焼けた魚を一つ手に取り、ふーふーと息を吹きかけてから、がぶっとかじりついてみた。


 ――美味い!


 朝から作業した上に自分で獲った魚ということもあるだろうが、塩気のない素材そのままの味が、今まで食べたどんな魚よりも美味しいと感じられた。中からじわっと染み出てくる魚の脂は上品な甘みがあり、たまに歯に絡んで来る小骨も食感のアクセントとして楽しめる。お腹のあたりにかじりつくと、苦みを含んだ内臓が出てくるが、味気のないこの状況の中ではその苦みすらもたまらなく美味しかった。


 僕は一匹目を頭まで全部食べ切ると、すぐさま二匹目を手に取った。


 そうして二人――一人と一匹か――でむさぼるように食事を摂り、十匹ほどの魚のすべてを食べ切ってしまった。


「あー、満腹」


 僕はその場で寝っ転がり伸びをする。そのまま寝そべっていると、ぽかぽかと温かい陽気が眠気を誘ってくる。

 でも、隣にいたヌラがそれを許さなかった。僕を叩き起こすように揺すると、森を指さし「ギャギャ」と鳴く。


「なに? また何かあるの?」


 眠りを遮られた僕は少し不機嫌な声を出す。しかしヌラは気にもせず森へと入っていく。僕も気合を入れ直しヌラの後を追った。


 森に入ったヌラは、またしても何かを探すように辺りを伺いながら歩いている。昨日の雨のせいか森の中はぬかるみと水たまりがやたらと多かった。着たまんまの制服のズボンのすそがどんどん茶色に染まっていく。僕は靴を履いたままの状態でこの世界に来れたことに改めて感謝した。裸足では到底この森を歩くことなど出来なかっただろうと思う。


 しばらくすると、ふいにヌラが立ち止まった。目の前の木を見上げている。僕も釣られて見上げると、木の上部になにやら実のようなものが見えた。

 ヌラはそれを指さし「クァ」と言った。どうやらアレが目的のものらしい。ヌラは足を大きく振ってその木を蹴りこんだ。ずぁぁっと頭上で葉が揺れて音を立てる。しかし、実は落ちてこない。


 僕も同じように木に前蹴りをかます。木は少しだけ揺れはしたが、実は未だに落ちてはこなかった。僕は自分の非力さに肩を落とす。


 ――田村くんとかならきっとすぐに落とせるんだろうな。


 僕は背が高くて体格のいい田村くんを思い浮かべる。でも、今はそんなことを考えている場合じゃない。とにかく、あの実を落とさないと。

 それから何度か、僕とヌラは交互に木にキックを食らわせる。すると何度目かのアタックでようやく数個の実がぼたぼたと落ちてきた。


「はぁはぁ。……良かったぁ」


 元々運動神経の良くない僕はこんなことだけでも息が上がってしまっている。

 落ちてきた実はヤシの実にとても良く似ていた。ヌラはそれを二つ手に取ると、すたすたと基地の方へ戻っていく。僕も落ちている実を一つ手に取り後を追った。


 基地に戻ったヌラは、手にした実を地面に置き、尖った石でその上部を叩きだした。


 ――ココナッツミルクみたいなのが取れるのかな?


 僕も手ごろな石を手に取り、同じように上部を叩いた。外側の皮は思ったよりも固く、少しずつしか削れてくれない。頑張って叩き続けていると、ようやく上部に直径五センチほどの穴が開いた。中には液体が入っているようで、揺らすとちゃぽちゃぽと音がしている。


「やっぱり、ココナッツミルクみたいなやつか」


 僕は思わず唾を飲み、その実の空いた穴に口をつけて中の液体を吸い出した。


「……すっぱぁぁぁーい!」


 そのあまりの酸っぱさに、僕は思わず実を投げ出し川に走り水をごくごくと飲んだ。そんな僕の様子を見て、ヌラが「ギャギャギャ」と笑っている。


「なにこれ、飲み物じゃないの?」


 顔をしかめてヌラを睨みつけた僕に対して、ヌラは見せつけるようにその手に持った実を傾け、中身の液体をじょぼじょぼと地面に捨てている。


「だったら先に言ってよ」


 僕は頬を膨らませ不満げにヌラに訴えるが、そもそも言葉が通じないことに気付き「言える訳はないか」と一人呟いた。


 口に残る不快感を我慢しながら僕も中の液体を捨てる。すると、その実の中が空洞になっていることに気付いた。液体を出し切ったヌラはその実を川の水で洗いだした。酸っぱい液体が入っていた中までしっかりと水で洗うと、濡れたその実を焚火の近くに置いた。


「乾燥させて何かに使うってことか」


 僕も同じように実を洗い焚火の近くに置く。顔を上げるといつのまにか空が真っ赤に染まっていた。


 僕はふと、海が見たいなと思った。高台にある自宅から見る夕日は、沿岸に立ち並ぶミニュチュアのような建物たちを染めながら、水平線の向こうにゆっくりと消えていく。

 マジックアワーという言葉を聞いたことがある。日没や日の出の数分間だけ訪れる魔法の時間。水平線の見える場所で育った僕はこの魔法の時間を体感で知っている。静かに静かにゆっくりと。赤やオレンジや青や灰色が一つの汚れもなく交わって移り変わっていくあの時間。また、あの光景が見たいと思った。


 僕は泣きそうになっている自分に気付いて首を振って気持ちを持ち直した。


 ほどなく日が落ち切り、焚火の明かりが円を描いて辺りを照らしている。普段であれば晩御飯を食べた後、自分の部屋のベッドの上で寝転がりながら動画サイトかネットゲームで時間を潰している頃だろうか。


 僕はウエストポーチに入っているスマホのことを思い出す。思えば、元の世界にいたときは時間があればすぐにスマホを触っていたような気がする。そしてスマホさえあれば時間を潰す方法は無限にあった。SNSで好きなアニメの画像を漁るだけで深夜になっていたこともあった。でもここでは――。


 僕はふーっと息を吐き空を見上げた。そこには昨日と同じように、満天の星空がある。目を閉じると川のせせらぎと風に揺られた葉の擦れる音が優しく耳に入ってくる。思えば生まれてこの方、こんな場所でキャンプした経験もなかった。


 明日も分からないこんな状況だけど、少し、ほんの少しだけこの経験が出来てよかったと思ってしまう自分がいた。


 隣で座っているヌラに視線を移すと、彼は昨日と同じように空を見上げ、星をまっすぐと見つめていた。火に照らされたその瞳はてらてらと光り、炎の揺らめきのせいか涙を湛えているようにも見えた。


 そのまま様子を見ていると、ヌラはまるで遥か遠くにある星を掴むかのように天に向かい大きく手を伸ばした。


 それはやはり祈りのようにも思えて。


 彼らには信じる神はいるのだろうか。何を信じて、何のために生きているのだろう。



 ――ねぇ、城崎くん。……キミ、何のために生きてるの?


 ふいに、夢の中の桜木さんの言葉を思い出す。


 ――あぁ、そうか。……僕だって。


 そのことに気付いて僕は奥歯を噛み締めた。



 胸がどんどん苦しくなってきて、目頭が熱くなってくる。

 僕は涙が流れないように、空を見上げて大きく息を吸った。

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