第6話 蔓とプラネタリウム

 息苦しさを感じて目を開けると、目の前ではトカゲが大きな口を開けて眠っていた。上を見ると、葉っぱに覆われた狭い天井が見えた。


 ――夢、か。


 僕は上半身だけ起こしてみる。葉っぱを敷き詰めただけの床の寝心地はあまり良くはなかったようで、全身が錆びついたロボットのように固まっていた。


「いててて」


 僕は少しでも身体がほぐれるように両腕をゆっくりと伸ばす。ふと気が付くと、自分の腰のあたりからヒモが伸びていて、その端をヌラが握っているのが見えた。


「両手を自由にしてるんだから、意味ないじゃん」


 僕はふふふと笑みをこぼし、ヌラを起こさないようにそっとその手からヒモを抜き取った。ゆっくりとテントの外に出る。


 テントのそばでは焚火たきびの残骸がうすい煙を上げてかろうじてくすぶっていた。僕はそこに乾燥してそうな落ち葉や枯れ木を追加し、その炎を蘇らせた。このわけの分からない世界の中で、この炎だけが僕にとっての確かなものだった。


 しばし炎を眺めてから、僕は森の際まで歩いていきズボンのチャックを下ろした。

 普段よりも黄色く見える液体を眺めながら、僕はふっと一息つく。――昨日の二の舞だけは避けれたな。


 水辺に戻り手をすすいでから、そのまま顔を水につけた。氷水のような冷たさが、脂の浮いた顔の不快感を取り除いてくれる。バシャバシャと顔を洗い息をつくと、後ろからヌッと槍が伸びてきて僕の頬をかすめた。


「うわぁぁ! びっくりするじゃないか!」


 僕は思わず尻もちをつき、後ろで仁王立ちをしているヌラに文句を言う。ヌラは無表情のまま僕を見つめている。


「に、逃げたりなんかしないよ」


 僕は両手を上げて敵意の無いことを表す。そこでようやくヌラも槍を下ろし「ギャッ」と一声鳴いた。その後、何かに気付いたようにヌラが空を見上げる。僕も釣られるようにして空を見た。青々とした空にふわふわの雲が浮かんでいる。

 しばらく空を見上げていたヌラだったが、僕のほうへと顔を向けると槍を背に戻し空を指さし「ギャオ」っと鳴いた。


「ん?」


 ヌラは僕から視線を外し、森の方へと歩みを進める。僕もそれについていく。

 森に入ったヌラは何かを探すように首を左右に動かしている。そしてとある木から垂れ下がっているつるを見つけると、力任せにそれを引っ張った。


 木の上の方からバキバキと枝が折れる音がし、葉っぱが舞い落ちてくる。そうして引っ張り続けた結果、長い蔓がブチンと千切れて落ちてきた。

 ヌラはそれを巻き取り肩にかける。続けて同じように垂れ下がっている蔓に体重をかけて引っ張っている。


「これを集めるの?」


 僕も見様見真似みようみまねで蔓を掴み、その場で飛び上がるようにして体重をかける。勢いよく蔓が千切れるもんだから、僕はそのままお尻から地面に落ちてしまい、腰を強打した。


「いってー」


 打ち付けた腰をさすると、ヌラが可笑しそうに「ギャギャギャ」と鳴いた。


「なんだよ。慣れてないんだから仕方ないだろ」


 僕は悪態を吐きながら、次の蔓へと手を掛けた。そうして何本かの蔓を手に入れた僕らは、基地へと戻った。

 基地に戻ると、ヌラが手に入れた蔓を焚火のそばを囲むように置いていく。僕もそれに倣って蔓を置いていく。ぐるっと円を描くように焚火の周りに蔓が置かれた。

 ヌラは満足そうに「ギャオ」っと鳴くと、空を見上げて目を細めた。いつの間にか灰色に雲が空を覆っていた。


「雨が降るのかな?」


 僕も空を見上げて呟いた。


 ヌラがまたしても森へと歩いていく。いつの間にか、僕を手招きすることもなくなっていた。見失わないように僕も後を追う。

 ヌラは昨日仕掛けたワナの前でしゃがみ、再度小枝をセットしている。腰を上げたヌラの目の前の木にハサミムシのような虫がいて、ヌラは素早い動きでそいつを捉えた。「いるか?」と言わんばかりに僕の目の前にその虫を差し出してくるが、僕は両手を振ってそれを断る。


「ご、ごめん。やっぱり虫はちょっと……」


 僕が申し訳なさそうにそう言うと、ヌラは「ギャオ」っと言ってそのまま虫を自身の口に放り投げた。ぱりぱりとスナック菓子のような音を立てながらヌラが虫を飲み込んだ。その様子だけを見ていると、なぜが旨そうに思えてしまって、僕のお腹がぐぐぅと鳴った。思わずお腹を押さえる。


 そんな僕の様子を見て、ヌラは少し思案するように首を傾げてから、何かを思いついたかのように「ギャ」っと鳴く。

 歩き出したヌラは、キョロキョロと何かを探している。そして、とある植物を見つけると嬉しそうに声を上げた。

 それは地面から生えていて、高さは一メートルほど、例えるならデカイ青ネギのような色合いをしていた。


 ヌラは背中の槍を手に取ると、根元をざくざくとえぐっていく。ほどなく、その植物はぐらりとその身を横たえた。

 ヌラは倒れたその植物を持ち上げると、周りの薄皮をいだ。中から柔らかそうな白い身が現れる。

 いたその身を僕に差し出し、カチカチと牙を鳴らす。食べてみろということか。僕はそれを受け取り、瑞々しく光るその身にかじりついてみた。植物特有の青臭さはあったが、よく煮込んだ白ネギのような触感で、うっすらと甘みも感じられた。


「うん! 美味しいよ、これ!」


 ヌラも僕と同じようにその植物をかじる。その味に満足しているのか「グゲゲ」と初めて聞く声を鳴らしている。虫も食うし肉も食うし植物も食べる。トカゲとはこんなにも雑食だったのかと僕は思うが、まぁ、何でも食べるようじゃないと人間大まで大きくならないかと一人で納得する。


 その一帯に生えていた植物をあらかた食べ尽くすと、お腹の虫もようやく治まったようで、僕は軽くゲップを吐いた。

 ふいに、僕の頬に水滴が当たった。空を見上げると雲の色がさっきよりも濃くなっている。ヌラもそれに気付いたようで、「ギャギャ」っと僕を手招きすると、急ぎ足で基地へと向かった。


 戻るなり、ヌラは焚火の近くに置いてあった蔓を回収し、テントの中に投げ入れ出した。僕も同じように蔓を回収する。

 すべてをテントに入れるとすぐに、ざぁぁという大きな音を引き連れ、豪雨といっていいような雨が降ってきた。

 僕はヌラと共にテントの中に逃げ込んだ。しかし、身体はすでにびしょ濡れだった。


「あー、タオルがあればなぁ」


 ぽたぽたと落ちる水滴を払いながら、一人呟く。ヌラを見ると、水をかぶった鱗がてらてらと光っていて、むしろ心地よさそうだった。僕は制服のシャツを脱いで気休め程度に身体を拭く。


 少し落ち着いた様子のヌラは、テントに入れた蔓を一つ手に取ると、それを端から二つに割いていく。火のそばで乾燥させていたそれは、しゅーっという音が聞こえそうなくらい気持ちよくきれいにけていった。

 手持ち無沙汰な僕も、蔓を一つ手に取り、同じようにやってみる。あまり力を込めなくても、それはきれいに割けてくれた。


「ははっ。 これ、楽しい!」


 ヌラは二つに分かれた蔓をさらに四つ、八つとどんどん細く割いていく。僕も同じようにしていくと、最終的に蔓は細かい繊維の束となった。そこまでいくとヌラが「ギャギャ」と声上げ、まるで(見とけよ)と言わんばかりに自身の持っている蔓を見せつけてきた。


 ヌラは引き裂いて細くなったその繊維の束の端を足で押さえ、その根元から両手の平でこすり合わせるようにしてねじりだした。そのまま徐々に上へ上へとねじり上げると、手の中から丈夫そうなヒモが出てくる。


「あぁ、なるほど。そうやって作っているのか」


 僕も同じようにぐりぐりとねじっていく。強くねじっていくと繊維の中から粘着質の樹液がわずかに染み出してきて、それぞれの繊維を強固に結合させていく。僕はその植物の不思議な特性に驚きながらも、黙々と作業を続けた。


 そうして二人で作業を続けた結果、何本もの丈夫なヒモが完成した。テントの外では未だに雨が降り続いていて、雨避けの葉をばたばたと打ち付けている。

 ぼーっと外を眺めていると、ふいに肩を叩かれた。顔を向けると、ヌラが黙って手を差し出している。


「ん?」


 見せつけてくる手の平には、剥がれかけた絆創膏が見えた。


「なに? 付け替えて欲しいの?」


 ヌラは僕の問いかけに答えずに、黙って手の平をこちらに向けている。僕はふふふと笑みをこぼしつつ、テントの中に転がっていたウエストポーチを手に取った。


 外側のポケットから絆創膏を取り出すと、ヌラの手に残った絆創膏を剥がした。キズはほぼ塞がり、血も出ていなかった。僕がそこに新しい絆創膏を貼ってやると、ヌラは新しくなったそれを見て、満足気に「ギャギャギャ」と鳴いた。


「それ、気に入った?」


 嬉しそうなヌラを見て、僕もなんだか楽しい気分になってくる。森の中でトカゲと二人。こんな状況でも、意外と人は笑えるんだ。

 ウエストポーチを戻そうとして、ふと手が止まった。


 ――ちょっと待て。この中に。


 僕はヌラの様子を横目で伺う。ヌラは絆創膏の貼られた手を閉じたり開いたりしてご満悦だ。僕は気づかれないように、ウエストポーチのメインポケットのチャックを開ける。手を入れるとすぐに分かった。


 ――あった。


 僕は緊張と興奮により震える手でそれを取り出す。薄くて硬いその板は、現代に生きる者にとってはなくてはならないもの――スマートフォンだ。


 僕はヌラに悟られないように、サイドの電源に指を当てた。祈るような気持ちで画面を確認してみるが、充電が切れているのか、画面は暗いままであった。


 ――やっぱり、ダメか。


 一縷いちるの望みを絶たれた僕はがっくりと肩を落とした。そんな僕の様子に気が付いたのか、ヌラがこちらを向いて首を傾げる。


「い、いや。なんでもないよ」


 僕は両手を振って取り繕う。その行為が伝わるのかどうかも分からないが、心臓は強く鼓動していた。ヌラはちょっとだけ眉間にシワを寄せたが、すぐに興味が無くなったかのようにテントの外に視線を向けた。

 僕はといえば、未練たらしくスマホを指で撫でていた。ここ二日間は頭の中がいっぱいいっぱいで意識することもなかったが、いざ現実世界の利器に触れてしまうと、元の世界のことが気になってしまう。


 ――メッセージは入っているだろうか。母さんは心配しているだろうか。


 届くはずのない電波に思いを馳せる。


 ――いったいここはどこなのだろう。


 スマホの存在に気付いてしまったせいで、いきなり現実に戻された気がした。崖から落ちて、トカゲに捕まって。そしていま、そのトカゲと一緒に過ごしている。考えれば考えるほど、意味不明なこの状況が恐ろしくなってきて。恐怖と孤独と絶望で、心の中が苦しくなった。


「うぅぅ」


 気が付くと僕は泣いていた。嗚咽を漏らし、子供のように。

 歯を食いしばってみるものの、口の端からしょっぱい液体がどんどん溢れてくる。


 ヌラもそんな僕に気が付いたようで「グア?」と首を傾げ、僕の顔を覗いてくる。なんだかその動作が、トカゲに心配されているようで。情けなくて情けなくて、僕はなおさら涙を流した。

 ヌラが困ったように僕を見つめてくる。


 ――なんだよそれは、同情か?


 僕は自分の不甲斐なさで押しつぶされそうになっていた。スマホをぎゅっと握りしめ、ぽたぽたと垂れ落ちる涙のその雫を、いつまでも目で追い続けた。


 どのくらい時間が経っただろう。

 気が付くと雨の音は止み、外は真っ暗になっていた。焚火も雨で消え失せ、夜の静寂が辺りを包んでいる。


 ふいに、肩を叩かれた。ぼんやりと浮かぶヌラの姿が、外を指さしている。僕はぼーっとした頭のまま、彼についてテントの外に出る。

 「グァ」と鳴きながらヌラが指す方を目で追うと、プラネタリウムのような星空がそこにあった。


「うわぁ」


 僕はそのあまりの美しさに息を飲み、しばらくの間まばたきするのも忘れてしまった。

 隣にいるヌラが空を指さし「グォ」と鳴く。その指の先には大きく輝く星があった。ヌラはそのまま指をスライドし、別の星を指さし「グァ」と鳴いた。


 彼が何を伝えようとしているのかは分からなかったが、何かを伝えようとしていることだけは分かった。


 ヌラはそのままいくつかの星を指さし、その度に「グァ」とか「グォ」とか言っている。僕は分からないなりに頷く。


 どこかに僕の知っている星座はあるだろうかと探してみる。知っているのはWのような形の星座や北斗七星くらいのものだったが、光っている数があまりに多すぎてどれもがWのような形にも見えてしまった。


 もし、ここが地球ではないどこかなら、この輝く星のどれかが地球なのだろうか。そんな果てのない考えさえ浮かんできた。


 ふと隣のヌラに目をやると、手の平を空に向けて大きく伸ばしていた。彼の目はまっすぐ空へと向かっている。それは何かの祈りのようで。僕は彼から目を離せなくなっていた。


 ヌラが僕の視線に気づいたのか、「ギャ」っと鳴いて手を下ろした。彼の訴えたかったことは分からなかったが、少なくとも先ほどまでのふさぎ込んでいた気持ちはこの星空に吸い込まれてしまったようだ。


「ありがとう」


 僕はヌラにお礼を言う。


「ギャッギャ」


 ヌラも応えるように鳴く。


 この先、どこにたどり着くのか分からないけれど、もう少しだけ彼に着いていこうと僕は決めた。

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