第2話 トカゲと獣

 口に当たる砂を感じて、僕はうっすらと目を開けた。すでに日が落ちているのか、辺りは薄暗く感じる。目の前には雑草が生い茂っていて、辺りの様子がよく分からない。身体を起こそうとして違和感を覚えた。手が、足が、動かない。しかしそれは痛みやケガのせいなんかじゃなかった。物理的に、動かせないんだ。


 徐々に頭が冴えてきた僕は、首だけを動かし自分の身体を見た。そしてその違和感の正体に気付いた。手足がヒモのようなものできつく縛られていた。


「な、なんだこれ?」


 驚いてイモムシのように跳ねた僕の背中に何かが当たった。そして頭上からギャオギャオという鳴き声のようなものが聞こえてきた。

 僕は恐る恐るその声のほうへ首だけを動かし顔を向ける。その瞬間、驚きと恐怖でおしっこを漏らしそうになった。


 そこにいたのは人間ほどの大きさの、――トカゲのような生き物だった。


 薄暗い中で細かいうろこがてらてらと光を反射している。イグアナみたいなゴツゴツしたものというよりは、ニホントカゲのようなツルツルした鱗みたいだった。

 いや、そんなことはどうでもよくて。その生き物は無機質な瞳で僕を見下ろすように二本の足で立っていた。


「うわわっ!」


 悲鳴に近い声を上げながら得体の知らないその生き物から離れようとするが、手足の自由が利かないため、十センチも動けなかった。

 そんな僕の姿を見て、またしても大きくギャオギャオと鳴いたそのトカゲは、鋭い爪のついた手を伸ばし僕の腕を掴んだ。


「い、痛い、痛い!」 


 爪が皮膚に食い込み思わず声を上げてしまうが、トカゲは気にする様子もなく力任せに僕を立たせた。

 背丈は僕とほとんど同じくらいで、腕を掴むその手はひんやりと冷たい。間近でみるその顔はやけにリアルで、僕はお腹の底から出てくる悲鳴を抑えることが出来なかった。

 大きな声を上げる僕を逃がすまいと、握った腕に今一度ちからを込めてから、トカゲは空に向けギャオギャオと大きく鳴いた。

 すると、木陰から同じようなトカゲが二体現れた。手には武器のような棒っきれを持っている。そして僕を取り囲むと、まるで神輿みこしを担ぐように三体で僕の身体を持ち上げた。


「や、やめろよ! なんなんだよ!」


 僕は必死に身体を動かし抵抗するが、先頭のトカゲが手に持った棒で僕の頭を強かに叩いた。


「いだっ!」


 そのあまりの痛みに僕はちぢこまってしまい、されるがままトカゲに連れ去られてしまった。



 しばらく森のような場所を歩いたかと思うと、突然先頭のトカゲが立ち止まった。

 ギャオギャオと後ろの二体に声を掛けると、二体も答えるかのようにギャオギャオと返した。

 そして投げ出すように僕を下ろすもんだから、僕は地面に身体を強く打って、またしてもうめき声を上げてしまう。

 すぐさま僕の腕をつかんだトカゲは、無理やり立たせた僕を何かの中へと押し入れた。


 それは、木とヒモで作られたおりのようなものだった。


 縛られ、身動きの取れない僕はそのまま中に倒れこんでしまう。そんな僕の様子を確認してから、連れてきた三体のトカゲは入り口の扉のようなものを閉め、入り口をヒモで縛って僕を閉じ込めた。

 檻に入れられた僕ば少しだけ気を取り直し、戸惑いながらも辺りの様子を確認する。


 まるでそこはアマゾンの部族の集落みたいだった。


 檻の少し先にはキャンプファイヤーのような大きな炎が躍っている。それを中心として、大きな葉っぱを重ね合わせて作られたようなテントみたいなものがいくつも並んでいる。


 ――なんなんだよ、これは。


 あまりに現実感のないその光景に、僕の頭はうまく回らない。

 そもそもあのトカゲのような生き物はなんなのだ。ここはどこだ? 僕の住んでいた町では絶対にないだろう。あんな生き物がいたらすぐに全国ニュースになるはずだ。――その時、僕の頭の中に浮かんだのは、【異世界】という言葉だった。


 小説やアニメでよく見るあれだ。僕たちの世界ではない別の世界。そうでなければ説明がつかない。――もしくは悪い夢か。崖の下に落ちた僕は気を失って、悪い夢を見ているんだ。目が覚めたら病院の天井が見えて、母さんが涙を流しながら僕に笑顔で話しかけてくるんだ。


 そんなことをぼんやりと考えていると、いくつかの鳴き声と足音が近づいてきた。そちらに目線を向けると、五体ほどのトカゲが近づいてくるのが見えた。そいつらは檻の前で立ち止まると、興味深そうに僕を見つめる。僕は警戒するように、身体を少し強張らせた。


 真ん中にいるトカゲがギャオギャオと周りに声を掛けると、周りにいた奴らも口々に鳴き声で応えた。声をかけた真ん中のやつが恐らくリーダーなのだろう。よく見るとこいつらは四角い木片の付いた首飾りをつけていて、真ん中のやつだけがその本数が多く、三本の首飾りをつけていた。他のやつらは一本だけだ。僕はリーダーが手に持っている物を見て思わず声を上げる。


「あっ! 僕のカバン!」


 その声に反応し、トカゲたちは少し身構え、口々にギャオギャオと叫んでくる。しかし、しばらくするとリーダーが周りのトカゲたちを制するように手を上げた。それを合図に彼らの興奮も収まったようで、それぞれが口を閉じ、辺りにわずかな静寂が生まれた。


 リーダーが端にいるトカゲに顔を向け、ギャオと一声鳴いた。声を掛けられたトカゲは頷くような仕草をして、檻の入り口にポジションを取った。見張り番なのだろうか。他のトカゲはそれを見てから、踵を返し檻から離れていった。


 見張り番のトカゲは僕のほうを見つめている。首から下げている木片をよく見ると、象形文字のような模様がいくつか描かれていた。描かれていたというよりは、無作為につけられたキズのようでもあったが、その中心に大きくつけられたキズが僕の目にはカタカナのヌとラのように見えた。


「……ヌ、ラ」


 僕の呟きが聞こえたのか、見張りのトカゲが大きくギャオと声を出し威嚇してきた。

「なんだよ。そんなに怒るなよ」と僕はトカゲに悪態を吐く。

 あまりに現実感のないこの状況に、僕の恐怖心は振り切れてしまい、どこかに飛んで行ってしまった。頭は妙に冷静だ。


 見張りのトカゲは僕の様子を眺めていたが、しばらくするとくるりと向きを変え、僕に背を向けた。彼の背中には棒が二本、エックスのような形で携えられていた。先端には石で出来た鋭利な刃のようなものが付いていることから、それはただの棒ではなく、槍のようなものなのだと理解した。腰のあたりには僕を縛っているのと同じようなヒモが何重にも巻かれていた。

 トカゲの奥に見える炎を眺めながら、自分がこれからどうなるのかということを考える。


――僕は食べられてしまうのだろうか。それともペットとして飼われたり、もしくは何かの儀式に使われるために生かされているのか。いくつもの考えが頭を巡るが、答えは当然出なかった。人間大のトカゲに捕獲された時の対処法やその後のことなど、学校で習った覚えはなかったからだ。


 少しだけ手足を動かしてみる。ヒモはきつく縛られているようで緩む様子はない。後ろ手になっている手の先を動かし、何かヒモを切れる小石などはないかと探ってみるが、期待できそうなものは何もなかった。

 僕は諦めて、せめて姿勢だけでも直そうと、体をひねって上体を起こす。不格好な女の子座りのような状態ではあるが、なんとか体を起こすことには成功した。

 そうすると先ほどよりはかなりはっきりと周りを確認することができた。テントのようなものは全部で十個ほど、それだけでコイツらの仲間がそこそこの数ここにいることが推測される。


 ――なんとか、逃げる手立てはあるだろうか。


 辺りを伺いながら考えを巡らせていたその時だった。突如、辺りが騒がしくなった。鳥が一斉に羽ばたく音が聞こえたかと思うと、キャーという甲高い鳴き声が聞こえた。それを合図にそこかしこからギャオギャオと威嚇するような声が響き、そのうち、大勢のトカゲたちがテントの中から顔を出した。


「な、なに?」


 爬虫類に感情があるのかどうかは分からないが、目に見えるトカゲたちの表情は一様に緊張感に満ちていた。

 檻の見張りをしていたトカゲも、背中の槍を一本抜き取り、辺りを警戒するように身構えている。明らかに異常な光景だ。これから何が起こるのか、僕は固唾を飲んで見守るしかなかった。


 その時、ギャッという短い鳴き声と共に、森の近くにいた一体のトカゲの姿が消えた。全員がそちらに向け槍を突き出す。すると、森の中から黒い影が走り、別の一体の姿も消え失せた。


 ――なにか、いる!


 影の消えた暗がりへと数体のトカゲが槍を構えたまま突撃した。闇の中からトカゲのギャオギャオという鳴き声と、「キョアー!」という何かの鳴き声がこだましてくるが、しばらくするとどちらの声も聞こえなくなった。


 しばしの間、辺りを警戒していたトカゲたちだが、先ほどのリーダーらしきトカゲがギャオギャオと声を出すと、そのリーダーを中心にトカゲたちが一か所に集まりだした。みな、槍を構えて影の消えた方向を睨みつけている。と、またしても森から影が走る。数体のトカゲが影に向けて槍を突き出すと、どれかが命中したのか、影が悲鳴を上げて距離を取るように止まった。


 そこでようやく僕はその影の正体をはっきりと確認した。小麦色の毛が短く体表を覆っている。胴が長く、手足は短い。顔は長く伸びていて、口元には鋭い牙が見えた。さらには尖った耳と鋭い目つき。それはトラほどの大きさのある、キツネのようなイタチのような、そんな獣だった。


 ――トカゲの次は巨大な獣?


 僕は檻の中で目を見開きながら、唾を飲み込んだ。この先なにが起きるのか、見当もつかなかった。


 トカゲたちは意を決したように雄叫びを上げてその獣に飛び掛かっていく。獣も牙をむき出し唸り声を上げてトカゲたちに襲い掛かっていった。体格に勝る獣がトカゲたちを蹴散らす。身体の割に短い腕をぶうんと振れば、鋭利な爪が一体のトカゲの身体を両断し、辺りにその臓物をまき散らした。そのまま一回転しながらしっぽを振ると、直撃したトカゲたちはちりぢりに吹き飛ばされ、そのまま動かなくなった。


 獣は動かなくなったトカゲたちを見回すと、足元に落ちている半身になったトカゲの身体にかぶりついた。腕と口を使いトカゲの身体を引きちぎると、そのままむちゃむちゃと音を立てて咀嚼する。血と肉片が行儀悪く飛び散っている。


 そのグロい光景に、僕は腹の奥から酸っぱい液体がせり上がってくるのを感じて嗚咽を漏らした。すると、その音に気付いたのか獣の顔が僕を捉えた。目の合った獣が僕に向かい少し笑ったように感じた。


「ひっ!」


 僕は恐怖のあまり短い悲鳴を上げた。獣がゆっくりと檻に近づいてくる。


「や、やめろ!」


 僕は檻の中で必死で身体を動かし獣から距離を取ろうとするが、小さな檻の中では無駄なあがきだった。

 獣は檻の目の前まで来て、すんすんと鼻を鳴らし匂いを嗅いでいる。生ぬるい鼻息が僕の顔に当たると、生ごみのようなひどい臭いがして、僕は思わず顔をしかめた。


 しばらく檻の周りをぐるぐると回っていた獣であったが、ふいに大きく立ち上がると檻に向かい腕を振り上げ、強烈な一撃をお見舞いした。

 バキバキと檻を構成していた木が悲鳴を上げて砕けると、獣はゆっくりと無防備な僕に近づいてきた。口からはねばついた唾液がぽたぽたと流れ落ちている。僕は恐怖のあまりに動けずにいた。ただ、僕の人生は今日終わる。その確かな実感だけが、頭の中に充満していた。


 ――と、その時だった。


「ギャオッ!」という鳴き声と共に、背後から何かが獣に飛び掛かった。その瞬間、獣が悲鳴にも似た声を発し、痛みから逃げるように転げまわった。よく見ると獣の首筋から鮮血が噴き出している。「ギョアー!」という叫び声がするほうへ顔を向けると、一体のトカゲが槍を突き出し牙を剥いていた。――なるほど、コイツがやったのか。


 しばし転げまわっていた獣であったが、ようやくよろよろと立ち上がると、忌々し気にトカゲを睨みつけてから、後ずさりするようにゆっくりと森の闇へと消え去っていった。


 しばらく獣が消えた方向に槍を向けていたトカゲであったが、危険が去ったと判断したのかその力を緩め槍先を落とした。そしてゆっくりと辺りを見渡し、仲間たちのもとへと近づいていく。


 地面に臥せっている仲間の生存を確かめるかのように手を当てては、次の仲間のもとへと歩を進める。しかし、その様子を見る限りは、生き残ってるのは彼一匹のようだった。そうして、最後の一体――どうやら例のリーダーのようだ――に手を当てると「キャッ」と短い鳴き声を出し、リーダーが持っていた僕のウエストポーチと、彼に掛けられていた首飾りを一つ取り、自身の首にゆっくりと掛けた。


 立ち上がり、炎に照らされ揺らめくトカゲの表情はひどく悲し気で、なんだか僕まで感傷的な気分になってしまう。


 しばし立ちすくんでいたトカゲであったが、気を取り直したかのように今度は僕のほうへと向かってくる。無駄な抵抗だとはわかっていたが、僕は少しだけ後ずさり、警戒の色を強めた。

 僕のすぐそばまで来たトカゲは、少しだけ僕の目を見つめ、背中に刺した槍を掴んだ。


 ――あぁ、殺される。


 思わず目を固く閉じた僕だったが、次の瞬間、足元からざくりという音が聞こえ、窮屈だった両足が自由になったのを感じた。

 恐る恐る目を開けた僕の目に、切り落とされたヒモが見えた。確かに、足を拘束していたヒモのようだ。トカゲが槍で切ってくれたのか。と、思ったのもつかの間。今度はヒモを持ったトカゲが僕の上半身をぐるぐると拘束しはじめた。


「お、おい! なんだよ!」


 自由になった足をジタバタさせてはみるものの、後ろ手になったままの身体はうまく抵抗出来ずにされるがままヒモを巻かれてしまった。上半身から伸びたヒモはトカゲの手に握られている。


 トカゲがヒモで巻かれた僕を満足げに見下ろすと、ヒモをぐいっと引っ張り、僕の身体を起こした。


「い、痛いよ! 立てばいいんだろ?」


 トカゲの希望通りに立ち上がった僕は、さながらリードをつけられた犬のように、歩き出したトカゲの後をしぶしぶついていくこととなった。――なるほど、僕を歩かせるために足のヒモだけ切ったのか。

 僕は情けなく引っ張られながら、そんなことだけ冷静に考えていた。


 歩き始めたトカゲがふいに立ち止まり、動かなくなった仲間たちに視線を送る。


 名残惜しそうにしばらくそれを見つめてから、僕につながったヒモに力を込め、ふたたび森へと歩き出した。

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