第102話 傷痕の片鱗

 大気がビリビリと振るえ、地面が振動する。それまで混乱して動き回っていたクリーチャーたちがピタリと動きを止める。いや、よく見ればどのクリーチャーも微かに震えている?


「キャーッ!! 」「クッ! 」「な、なんだッ!? 」「おいっ! なんだ、あの声はっ!! 」「何なのよっ!! 」「……」


 あまりの咆哮の大きさにリースベットさんが耳を塞いでその場にしゃがみこみ、アルバンさんは表情を歪める。エルネストさんとジルベールさん、ディーサさんが戸惑いの声を上げる中、スギミヤさんだけは森の方角を睨んでいる。



 暫くすると空気を切り裂く様に響いていた咆哮が止んで辺りに静寂が訪れた。


 あれだけ活発に動いていたクリーチャーたちは咆哮が聞こえてからその場を動かず、今だ小刻みに体を震わせている。俺たちも誰一人言葉を発せず、身動ぎすることも出来ない。


「ん? 何か聞こえないか? 」


「えっ? 」


 エルネストさんが漸く言葉と同時に「ドタッドダッ」という音が聞こえてきた。


「来るぞッ!! 」


 ジルベールさんが指差した先、森の木々の隙間から人喰い蜥蜴マンイーターリザードが顔を出した。数は先ほどの大群や俺たちが戦っていたクリーチャーたちほどではない。精々20匹ほどの少数の群れだ。その人喰い蜥蜴マンイーターリザードたちに少し送れて奴らより頭一つ大きな個体が現れる。


「……変異種……」


 誰かが呟く。

 現れたのは残る2匹の変異種のうちの体が小さな方だった。小さいとは言っても通常の人喰い蜥蜴マンイーターリザードが2mほどなのに比べると3m近くある巨体だ。更に通常の人喰い蜥蜴マンイーターリザードにはない額の角と口の両側から伸びた牙、体中を血管の様に走る赤い筋、と改めて見ても異様な雰囲気を漂わせている。


 ―ドズッドズッ―


 そして、最後尾。


「えっ!? 」


 先ほどから地鳴りの様に聞こえる足音はこいつ1匹で出していたんじゃないかと思うほどの巨体を揺らしリーダー変異種が姿を現した。だが、俺はその姿を見て一瞬、思考が停止する。


「な、なぁ、ノブヒト……俺たちはあのとき遠目に見ただけだから分からないんだが、あの変異種は近くに見るとあんなにデカい、のか……? 」


 固まった俺にエルネストさんが恐る恐る質問してくる。


「デ、デカく……なって……ます……」


 俺はなんとか一言だけ搾り出す。

 そう、奴は明らかにデカくなっていた。先日相対したときは3mを少し超えるくらいだったはずだ。だが、今の奴はそれよりも明らかにデカい。恐らくは先日戦った大鬼熊オーガベアと同じくらい、つまり4mを越えているということだ。


「っ!? 」「そんな…」「勝て……る、の……か……? 」「……ウソ……」「マジかよ……」


 俺の言葉に蒼月の雫の面々が絞り出す様に呟く。


「ギャゴォォォォッ!!! 」


「ウッ! 」「クッ! 」「「キャッ!! 」「ウワッ!! 」


 突然リーダー人喰い蜥蜴マンイーターリザードが再び咆哮した。先ほどよりも短いが近い分、音圧が凄い。俺たちは慌てて両手で耳を塞ぐ。


「グゴォォォッ!! 」「ウォォォンッ!! 」「ギャァァッ! ギャァァァッ! 」


 奴の咆哮に先ほどまで小刻みに震えていたクリーチャーたちは一度ビクッと大きく体を震わせると、咆哮が止むのに合わせて返事をする様に一斉に吼える。


「おいッ! レイジッ! 待てッ!! 」


「えっ? 」


 クリーチャーたちの咆哮が終わった瞬間、アルバンさんの声がした。慌ててそちらを見るとクリーチャーたちの包囲からスギミヤさんが一人飛び出したのが見えた。


「スギミヤさんッ! 無茶ですッ!! 」


 俺は慌てて彼を追い掛ける。


「待て! ノブヒトッ!! 」「お、おいッ! チッ! こいつら急に動き出しやがってッ! 」「クソッ!! 」「ちょっとッ! 」


 後ろから制止の声が聞こえるが止まる訳にはいかない。どうやらクリーチャーたちも咆哮が終わると同時に動き出したらしく、蒼月の雫の面々は足止めされてしまっているようだ。


「スギミヤさんッ! 一人でその数を相手にするのは無謀ですッ!それに――えっ!? 」


 俺は人喰い蜥蜴マンイーターリザードの群れに向かって突っ込んでいくスギミヤさんへ制止の声を掛けたのだが、その途中でありえない光景を見て言葉を詰まらせる。なんと咆哮と同時にこちらへ向かって動き出した人喰い蜥蜴マンイーターリザードたちが向かってくるスギミヤさんを避けていくのだ。いや、スギミヤさんだけではない。奴らは俺のことも避けて後ろの蒼月の雫へと向かっていく。


(誘き出された? )


 考えたくない可能性が頭を過ぎる。その間にもスギミヤさんはリーダー変異種へと飛び込んで首元へと剣を振り下ろしている。


「チッ! 」


 リーダー変異種の首元を捉えると思ったスギミヤさんの一撃は、いつの間にか彼とリーダー変異種の間に割り込んだ小変異種が額の角で受け止めていた。スギミヤさんの口から舌打ちが漏れる。小変異種は剣を受け止めたまま首を振る様にしてスギミヤさんを弾き飛ばす。スギミヤさんは後ろへと飛ばされるがそのまま両足で地面に着地する。どうやら自分から後ろへ飛んだようだ。


「スギミヤさんッ! 大丈夫ですかっ? 」


 俺は急いで彼に駆け寄り声を掛ける。


「ああ、大丈夫だ。そんなことよりこれはチャンスだ。このまま奴らを倒す! 」


「ちょ、ちょっと待ってください! 奴の中には彼の、マサキ・ペレスフォードの魂があるかもしれないんですよね? なんとか説得出来ないんですか? 」


 俺はこのまま奴らを倒すというスギミヤさんをなんとか押し留める。本当に俺たちの仮説が正しいのであれば、あの変異種たちの中には人間の意思が生きているかもしれないのだ。俺たちの言葉に反応してこれ以上の暴走を思い留まってくれるかもしれない。


 だが、スギミヤさんは俺の言葉に一言、「無理だ」とだけ告げた。


「何故ですか? 彼の中に人間の意思があるなら声が届く可能性はゼロじゃないはずです! 説得してみましょう! 」


「あれの中にあるのは意思じゃない。ほぼ間違いなく残留思念だ。諦めろ」


 説得を主張する俺にスギミヤさんは無情に言い放つ。俺の頭に血が上る。


「何故そうやって決めつけるんですかッ! そこまでして願いってやつを叶えたいんですかッ!! 」


「確かにどんな手を使っても願いは叶えたい。だが、俺が断定した理由はそれじゃない」


 怒鳴りつける俺に対してスギミヤさんは淡々と言葉を重ねる。


「じゃあ何だって言うんですかッ! 根拠を教えてくださいッ! 説明出来るならね!! 」


 俺はどうせ出来ないだろうと思いつつ彼に向かって言い放つ。


「根拠はある。至極単純なことだ。お前はあいつらが暴走していない理由を覚えているか? 」


「急に何です? はぐらかしても無駄ですよ? 」


 スギミヤさんが関係ないことを言い始めたと思い俺の声が低くなる。


「いいから、あいつらの暴走していない理由を覚えてるなら言ってみろ」


「……確か、“勇者の欠片”を3体で分割して取り込んでるから、でしたか」


 俺は彼が奴らが暴走していない理由をしきりに聞いてくることを次第に訝しく思いながら渋々答える。


「そうだ。そして、もし欠片の中に魂があったとしても分割されてしまっている。つまりどれほど意思のようなものを感じたとしてもあのリーダー変異種の中にマサキ・ペレスフォードの完全な意思が存在していることはありえない」


「っ!? 」


 スギミヤさんの言葉に俺は頭を殴られた様な衝撃を受けた。確かに彼が言うとおりだ。本来なら現地生物が欠片を取り込めば暴走するはずのところ、奴が暴走していないのは欠片が3体の変異種に分割して吸収されているのではないか、と俺たちは推測した。もし、欠片に魂が宿っていたとして分割してしまったら……?


「じゃ、じゃあ、あのリーダー変異種の振る舞いは……」


「恐らく彼の強烈な復讐心がたまたま奴の本能と合致した結果、なのだろうな」


「そんな……」


 俺は言葉を失う。まただ……俺は考えが浅かったからスギミヤさんにひどいことを……



『信人、―――を忘れるな。そうすればいつか……』



『ごめんね……あなたの―――は――には――さよなら……』



 頭の中に思い浮かんだ風景。





嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!



「はぁはぁはぁはぁはぁ」


 胸が苦しい。空気が足りない。呼吸、呼吸しないと――


「ニシダ? おい、大丈夫か? ニシダ! 」


「ハッ!? はぁはぁはぁはぁ、大……丈夫、です」


 スギミヤさんの声に景色が戻ってくる。一瞬のフラッシュバックした記憶に飲み込まれたみたいだ。


「今は戦闘中だ。余計なことは考えなくていい。奴らのトドメは俺が刺す。お前はサポートだけしてくれればいい」


「そんなッ! 」


「今のお前には無理だ。それに蒼月の雫のメンバーも足止めされている。だが、これは逆にチャンスでもある。こちらの世界の人間に邪魔されずに奴らを倒せるんだからな」


「ですがッ!! 」


「俺は小さい方を先に片付ける。お前は俺が小さい方を仕留めるまでリーダー変異種の足止めを頼む! 」


「ちょっ! スギミヤさんッ!! 」


 彼はそう言うと俺の言葉を聞かずに小変異種へ走り出してしまった。


「クソッ!! 」


 俺は頭を振って余計な思考を外へ追い出す。スギミヤさんが行ってしまった以上はリーダー変異種の足止めをしなければならない。


 ―カタカタカタカタ―


 剣の柄に掛けた手が震える。


「クッッソォォォォォォッ!!! 」


 俺は全てを振り払う様に絶叫すると剣を抜き放ち、リーダー変異種へ向かって地面を蹴った。

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