第61話 一難去ってまた一難

 迫る黒い塊。「ブンブン」と耳障りな羽音が音量を増していく。


「っ!! スギミヤさんっ! 第二波来ますっ! 」


「くっ! 分かったっ! 」


 後ろにいたスギミヤさんに声を掛け、【吸血蜂ブラッドビー】に視線を向けたままポーチからポーションを取り出してコルク栓を開けると一気に飲み干す。若干の苦味が舌を刺す。眉間に皺が寄るのを感じながら空き瓶をアイテムボックスへ放り込む。


 魔法銃は牽制にはなるが少ない魔力量では仕留められない。ここは少しでも数を減らしておきたいと思い、俺は太もものベルトから投擲用のナイフを3本引き抜いた。そのまま奴らが仕留められる距離まで近付いてくるのをじっと待つ。


 50m……


 40m……


 30m……


 20m……ここだっ!


「なっ!? 」


 俺がナイフを投げようとした瞬間――木の陰から黒い何かが【吸血蜂ブラッドビー】の群れを薙ぎ払った。「グシャッ」という音とともに数匹が地面へと叩き落とされ、直撃したらしい蜂は元が何だったのか分からない様な残骸へ変わり、巻き添えになったものも地面でピクピクと痙攣している。


 生き残った蜂たちが慌てた様にバラバラと散り散りに逃げていく。そんな獲物を気にも留めず薙ぎ払ったは、悠然と木の陰からその姿を現した。


 デカい。とにかくデカい。優に4mはあるのではないだろうか? 黒い毛皮に覆われ、頭部には2本の角、剥き出した口に鋭い牙が見える。蜂を薙ぎ払った人の頭など容易に握り潰せそうな大きな手には、これまた鋭い爪が見える。胴が長く肉がみっちり詰まっており、その巨体を支える脚は短いながらも太く強靭なことが窺える。


「……大鬼熊オーガベア……だ、と……」


「………」


 後方からスギミヤさんの驚愕の呟きが聞こえた。俺はあまりの驚きに声すら出ない。


大鬼熊オーガベア】。頭部に特徴的な2本の角を持つことからそう呼ばれている熊のクリーチャーだ。気性が荒く獰猛なことで知られており、今も地面に転がる【吸血蜂ブラッドビー】の天敵と言われている。


 中でも今目の前に現われた奴は体長が4mを越えており、この辺りのボスであっても不思議ではない。そんな奴がこんな浅いところにいること自体、今この森で何か異常なことが起こっていることを物語っていた。


 奴は悠然と辺りを見回し、逃げ出した獲物には目もくれずゆっくりと前足を下ろして先ほど仕留めた獲物へと近付いた。そうして獲物の傍までくると、まだピクピクと痙攣している獲物へと食らい付いた。


「バキバキ、グチャグチャ」という蜂が捕食される音と、奴が出す「フンフン」という鼻息だけが辺りに響く。俺とスギミヤさんは動けない。ただ奴が食事を終え、そのまま立ち去ってくれることを祈って息を殺している。


 そうして痙攣していた数匹を平らげた奴は、続いて自分がバラバラに潰した獲物の破片を貪り始めた。それすらも食べ終わると「スンスン」と鼻を鳴らしながら周囲をキョロキョロと窺い始める。


(おいおい、もう十分食っただろう! さっさとどこかに行ってくれ! )


 息を殺しながら祈る。心臓が早鐘を鳴らし息苦しい。


 暫く鼻を鳴らしながら左右を忙しなく動いていた首がピタッと止まり、奴はゆっくりと来た方向を向き始める。


(ふう、帰ってくれるの――)


 俺が安心して胸を撫で下ろそうとした時、ゆっくりと振り返った奴と目が合った。奴の視線が俺の足元へと落ちていくのが分かる。そう、俺の足元には先ほど仕留めた蜂の死骸が――


「グオォォォォォ!!! 」


 奴の雄たけびが周囲の空気を振るわせたかと思うと、その巨体からは想像出来ないスピードでこちらへと突進し始めた。


「クソッ! 」


 瞬きの間に俺との間合いを詰めた奴は顎を引いて額の角を振り被った。咄嗟に左へ転がって躱す。持っていた投擲用のナイフを落としたが気にしている余裕はない。慌てて左右の鞘から剣を抜いて奴の方へと向き直る。


 奴は体を起こして2本の足で立ち上がると、その太い腕を振り上げて鋭い爪を振り下ろしてきた。


「ぐっ! 」


 振り下ろされた腕を2本の剣を交差させることで何とか受け止める。重い。恐らく数百キロはあるであろう巨体から繰り出された一撃だ。とてもではないがこのまま受け続けることは出来ない。なんとか一瞬だけでも押し返して距離を取りたい。そう思って両足に力を込める。


「しまっ!? 」


 足に力を込めた瞬間、ぬかるんだ土の上に積もった落ち葉に足を滑らせ体勢が崩れる。そのまま滑るように体が後ろへと倒れていく。


(ヤバイッ!殺られるッ! )


 景色がスローモーションになって奴の腕が迫ってくる。切り裂かれると思った瞬間、「ブンッ」という風切り音とともに奴の腕が胸を掠めて空を切った。


「ぐふぉっ!? 」


 俺は地面に背中から叩き付けられる。衝撃に息が詰まる。


 ―ギィンッ―


 頭上でそんな音がして慌てて顔を上げるとスギミヤさんが奴の腕を受け止めていた。


「ニシダッ! 早く起きろっ! 俺もそんなにはもたないっ!! 」


 奴の爪での攻撃を受け止めながらスギミヤさんが叫ぶ。俺は慌てて立ち上がった。


「痛ってぇ! 」


 起き上がった瞬間に胸が痛んで思わず叫ぶ。すると更にズキッと痛んで胸を押さえる。


「ゲッ! 」


 押さえた胸には深々と4本の筋が入っていた。幸い体までは届いていない様だが、肋骨は何本かやられているかもしれない。急いでポーチからポーションを取り出すと一気に煽る。空き瓶をポーチへと戻すと「よしっ! 」と気合を入れ直して【大鬼熊オーガベア】へ向かって飛び掛った。


 ちょうど奴がスギミヤさんに気を取られているタイミングで背後から剣を振り下ろす。「ギィンッ」と硬い金属を叩いたときの様な音がして右手が痺れる。


「かったいな、クソッ! 」


 赤棘刀せききょくとうは【切裂蟹リーパークラブ】という熱すると強度が増すクリーチャーの甲羅と魔石の粉末が使用されており、通常の鉄では考えられない切れ味と強度を持っている。その赤棘刀せききょくとうでも斬れないほどの毛皮を持っているコイツは、まさにボスクラスと言って差し支えなかった。


「スギミヤさんッ! 俺が引き受けるので一旦下がって回復してくださいッ! 」


「分かった! 頼む! 」


 スギミヤさんと入れ替わるように奴の正面へと回り込むと気を引くために顔目掛けて突きを出す。それを嫌がった奴は仰け反りながら手で払う様な仕草を見せる。その隙にスギミヤさんは後ろへと下がった。


 チラリと見たスギミヤさんの黒い全身鎧フルプレートにも細かな傷が無数に付いていた。確かあの全身鎧フルプレートはドワーフ作のかなり高性能な物と聞いている。


(奴の攻撃は受けちゃダメだ。躱すか、最低でも受け流さないと!動きで撹乱するしかない! )


 力もリーチも向こうが上。まともに受けてはこちらが不利になるばかりだ。剣に込める魔力量を増やす。刀身の赤みと輝きが増す。


 振り下ろされる腕を掻い潜り一旦左へと重心を移動する。奴が釣られたところで今度は瞬時に右へと体重を移動した。動きに付いて来れなかった奴がバランスを崩した! 俺はすぐさま奴の右後方へ回り込み、すれ違い様に足の付け根へと一撃を加える。

 浅いが「ザクッ」とした手応えがあって鮮血が宙を舞う。


「グオォォォォォ!!! 」


 多少痛みがあったのか奴は雄たけびを上げながら出鱈目に左右の腕を振り回す。


「そんな大振り当たるかよッ! 」


 振り回す腕を潜り抜け俺は懐へ入り込む。腹から喉元に向かって左手の剣を斬り上げ、そのまま反転、奴の間合いから離脱する。


「グギャァァァァァ!!!! 」


 これもそれほど深い傷ではないのだが傷付けられたことが気に入らないのか奴は毛を逆立てて怒り狂う。


 俺は奴の大振りを躱して足を狙ってヒット&アウェーを繰り返すが細かな傷は作れるものの決定打がない。


 そして、俺が何度目かの振り下ろしを回避したとき、奴は殴る様に腕を突き出してきた。


「チッ! 」


 俺は今度も咄嗟に2本の刀をクロスさせることで拳を受け止めつつ自分から後ろに飛んでダメージを逃がす。それでも数mは吹き飛ばされて後方へと転がる。


「痛てて……油断した」


「ニシダっ! 大丈夫か!? 」


「大丈夫です! ですが、何か他の方法を考えないとこのままだとジリ貧です! 」


 俺と入れ替わって奴の正面に回ったスギミヤさんに答える。今以上に剣に魔力を込めれば奴に大きなダメージを与えることは可能だが、奴の攻撃を掻い潜って致命傷を与えるにはどのくらい時間が掛かるか分からない。その前に魔力が切れてしまえばジ・エンドだ。


(何かないか? 奴の動きを止めるような何か……)


 俺は何か打開策はないかと周囲を見回す。周囲には森の木々や草、踏み合わされた薬草、そして、転がっている先ほど俺たちが倒した蜂の死骸――


「ん? 蜂の死骸……そうだっ! これだっ! 」


 俺はこの状況を打開出来るかもしれない策を思い付いた。

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