第60話 ハルヴォニの森

 門の前で落ち合った俺とスギミヤさんは街を出て森の前に来ていた。


「これが“ハルヴォニの森”ですか」


 森は特に名前などなく、ハルヴォニの近くにあることから“ハルヴォニの森”と呼ばれているそうだ。この森は“大河の森”のような広葉樹ではなく、バオバブのような幹が徳利のように太くなっている木々やテレビで見たアマゾンのような背の高い樹木が茂っている。


 人の往来が多いところは踏み固められているが、それ以外のところは水分が多く泥に足を取られたり葉っぱが積もっていても下は沼のようになっているところもあるらしい。薬草の群生地はそういった道から外れたところに入っていく必要もある。


「思ったより大変かもしれませんね」


「そうだな。はじめての場所でもある。いつも以上に注意しよう」


 2人顔を見合わせ頷くとまずは踏み固められた道を森に向かって歩いていく。


 森の中に入るとそこは緑の世界だった。湿気が多いためだろう、木の幹にまでびっしりと苔が生え、水が滴っている。あちらの世界でいうところの熱帯植物のような植物が群生していて、どこからか熟れ過ぎた果物の様な甘ったるい匂いが充満している。


 水が流れる音と時折遠くで鳥の様な鳴き声が聞こえる以外、森の中は静まり返っていた。


「……静か過ぎませんか? 」


「そうだな。大移動スタンピードが起こっていると聞いたからすぐクリーチャーに遭遇するものだと思ったが……」


 俺たちは戸惑いながらも道なりに進み、暫くして今度は道から逸れて森の中へと入っていく。ジメジメとした空気に汗が噴き出すのを拭いながら進んでいくと正面から聞こえてくる水の音が少しずつ大きくなり、やがて小さな沢が見えてきた。


「よし、この辺りだな。ここからは周囲に気を付けつつ採集していこう」


「そうですね。お互い離れ過ぎないよう注意して、声を掛け合いながらやっていきましょう」


 お互いに確認し合って俺たちは左右に少し距離を取って薬草を探し始めた。沢周辺を重点的に調べると薬草の群生地を見つけた。


「スギミヤさーんっ! こちらは群生地を見つけましたっ! 」


「こっちにもあった! さっさと集めてしまおう! 」


 俺が声を掛けるとあちらでも群生地を見つけた様だ。俺は手早く採集を始める。


 暫く採集を続けていると「ブーン」という羽音が聞こえてきた。顔を上げると少し離れたところに黒とも茶色ともつかない様な何かが飛んでいるのが見える。


「虫? ……ゲッ!? 」


 最初は一匹だったそれはあっという間に増え、そこだけ空間に黒い穴が開いた様に錯覚してしまいそうなほどになった。


「ス、スギミヤさんっ! スギミヤさんっ! 」


「っ!? どうしたっ! 」


「【吸血蜂ブラッドビー】です! 【吸血蜂ブラッドビー】の群れがいます! たぶん近くに巣があるんだと思います! 」


「なっ!? すぐ行くっ!! 」


 スギミヤさんの慌てた声を聞きながら、俺は魔法銃と赤棘刀せききょくとうを抜く。


吸血蜂ブラッドビー】は子犬くらいの大きさがある蜂だ。尻の針には強力な麻痺毒を持っており、刺して動けなくなった獲物を巣に持ち帰ってその名の通り血を啜る凶悪なクリーチャーである。


 一匹の女王に数十から数百の働き蜂が群れとなって大きな木の幹などに巣を作っている。個体としてはそれほど強力ではないのだが、常に群れで行動しているため少数で遭遇した場合には非常に危険なクリーチャーと言えた。


 今は20匹程度がこちらに向かっているが、恐らく先遣隊ではないかと思われる。「ブンブン」と羽音をさせながら黒い塊となってこちらに近付いてくる。


 俺は魔法銃を正面に構えると黒い塊に向かって連射した。何匹かにヒットして後ろの個体を巻き込んで吹き飛び地面へと落下したが、大半は左右に広がることで避けれてしまった。


「チッ! 思ったより硬い! 」


 直撃した個体も致命傷にはならなかった様で地面に落下した個体も体を起こすと再度こちらへ向かって飛んでくる。俺は銃を左から右へ撫でるように動かしながら弾をばら撒く。何匹かに当たりはするのだが、やはり衝撃で吹き飛ばされるだけで致命傷は与えられていない様だ。


 そうして俺との距離が20mを切ったくらいだろうか、奴らは急ブレーキを掛けた様に一斉にこちらに尻を向けた。


(拙いっ! )と思ったときには一斉に針が射出されていた。


「くっ! 」


 慌てて身を低くして正面へと転がる。


「ザシュッ!ザシュッ!」と音がして、先ほどまで俺がいた場所に矢の様な長さの針が突き刺さる。


「あっぶねぇなっ! クソッ! 」


 言いながら魔法銃を仕舞ってもう一本の剣を抜くと左から飛び込んできた一匹をしゃがんだ体勢のまま左手の剣で下から切り上げた。蜂は飛び込んできた勢いのまま縦に真っ二つになって後方へと落ちていく。


 俺は立ち上がった勢いを利用して旋回する様に横薙ぎ。「ガツッ」という蟲の体を切ったとは思えない感触が伝わる。右側から近付いていた2匹が腹と尻を別れさせ、更に横にいた2匹を巻き込んで黄色い体液を撒き散らしながら弾け飛んだ。


 そのまま旋回して正面に向き直そうとした時。


「ぐはっ! 」


 耳元で「ブンブン」と羽音が聞こえたかと思うと左から衝撃を受けて吹っ飛ばされる。


「くっ! 」


 視界がぐるぐると回り背中から地面に倒れる。頭を振って体を起こそうとするが、頭上からの「ギチギチ」という音にハッと顔を上げる。


「ぬぅわっ! 」


 そこにはたくさんの六角形の鏡に映る驚愕した小さな自分の顔があった。視線を下に移せば「ギチギチ」と音を鳴らす顎が左右に動いている。体には奴の重みや温かさ、微妙に打つ脈が伝わってきて気持ち悪い。


「っ!? 」


 腹の辺りでもぞもぞと動く気配がする。


(拙いっ! )


「ギィギャァァァーッ! 」


 針を打ち込もうとする気配を感じて強引に左手を自分と自分の上に乗る蜂との間に捻じ込んで腹を切り裂いた。【吸血蜂ブラッドビー】が絶叫を上げる。ボタボタと体液が俺の体へと降り注ぐ。


「おえぇっ! 」


 刺すような刺激臭と生温い体液がかかって気持ち悪い。俺は次第に反応が弱弱しくなる蜂を押し退ける。


「痛てて。クソッ! 臭いし気持ち悪い……」


 地面へと押しのけられた蜂がピクピクと痙攣しているのを横目で見ながら俺は急いで立ち上がり周囲を窺う。


「ハッ! 」


 辺りには蜂の死骸が転がり、その先ではスギミヤさんが剣を振るっていた。どうやらこちらに来て敵を引き付けてくれていた様だ。スギミヤさんは羽を狙って斬り付けている様で飛ぶことが出来なくなった蜂が地面を這い回っている。


「加勢しますっ! 」


 俺は左手の剣を鞘に納めると再び魔法銃を抜いてスギミヤさんに迫っていた蜂の羽を狙う。撃たれた蜂は激しく錐揉みしながら墜落していった。


「あと……6匹っ! ――おっと! 」


 俺はサポートで射撃に徹していたが目の端にこちらに向かってくる2匹の蜂を捉える。

 体ごとぶつかってきたところを間一髪バックステップ。

「ブンッ」と音が目の前を通り過ぎるのに合わせて剣を左から横薙ぎに一閃。斬撃を躱そうと蜂は体を沈めるが切っ先が羽を掠め、滑る様に地面を転がっていく。


 俺は横薙ぎから流れる様に、迫ってくるもう1匹へと飛び込むと慌てて上へ軌道を変える蜂の脚を切り裂いた。


「ギィィィィィッ! 」


「これでぇぇ、終わりだぁぁぁっ! 」


 体液を撒き散らしながら尚も上昇しようとする蜂を振り向き様に上段から叩き付ける様にして切り伏せた。


「ふぅー。そうだっ、スギミヤさんっ!? 」


「大丈夫だ。こっちも終わった」


 慌ててスギミヤさんの方を見れば、あちらも最後の1匹を仕留めたところの様だ。


「とりあえずまだ生きてる奴にトドメを刺してしまおう」


「そうですね」


 俺たちは手分けして羽が傷付いて這い回る蜂に剣を突き立てトドメを刺していく。


「えっと……あいつで最後、かな? 」


 辺りを見回し、少し離れた位置で森に戻ろうと這っている1匹を見つけた。近付いて背後から剣を突き立てようとした瞬間――


「ピィギャァァァァッ! 」


 奴が今までにないほどの絶叫を上げた。


「なっ!? コイツっ! 」


 俺は慌ててその首元へ剣を突き立てる。


「ふう。驚かせるな……よ……」


 ――ブンブンブンブン――


 遠くに再び聞こえた羽音。

 恐る恐る顔を上げる。


「おいおい、マジかよ……」


 顔を上げた先、そこには新たな黒い塊がこちらに迫っているのが見えた。

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