第62話 毒を持って毒を制す

「スギミヤさん! 5分、いや、3分でいいので時間稼ぎをお願い出来ませんか? 」


「くっ! なんとしてみるっ! 」


 相変わらず出鱈目に腕を振り回す大鬼熊オーガベアの攻撃を躱しながら、スギミヤさんが時間稼ぎを引き受けてくれた。


 俺は手近な吸血蜂ブラッドビーの死骸を集めると、投擲用のナイフでその膨らんだ尻を引き裂いた。黄色の体液が零れる。恐らく周囲はひどい刺激臭なのだろうが、すでに体中にこの体液を浴びてしまっているので鼻が麻痺していて分からない。


「ええと……よし、これだ! 」


 俺が解体した吸血蜂ブラッドビーから取り出したのは、奴らが使う麻痺毒付きの針だった。同じように他の蜂からも針を取り出す。


「とりあえず3本か……少し心許ないけど……」


 俺は腰のベルトに取り出した3本の針を差し込むと、地面に置いた剣を手に取って駆け出した。


「ハッ! 」


 ―ザシュッ―


 気合いの声とともにスギミヤさんの剣が俺の付けた熊の傷口を更に広げる。


「グオォォォォォッ! 」


「チッ! 」


 熊は痛がるというよりチマチマとした攻撃に苛立った様で更に腕をめちゃくちゃに振り回す。躱し切れずに剣で弾いたスギミヤさんだったが、お構いなしに振り下ろされる腕に距離を取ることもままならない様だ。


「スギミヤさんッ! 」


「ぐわぁッ! 」


 振り下ろしから間髪を容れずに繰り出された右腕の横薙ぎで吹き飛ばされ、スギミヤさんは木の幹に激突した。


「グガァァァァ!!! 」


「このッ! 」


 更に追撃を加えるためスギミヤさんへ向かおうとする熊の顔面目掛けて足元の泥を手に取って投げ付ける。


「グオォォォォ!! 」


 上手く顔に当たり泥に視界を奪われた熊は、目に泥が入ったのか咆哮を上げてその場で腕を振り回す。


「スギミヤさん、大丈夫ですかッ! 」


「うぅぅぅ……」


 その隙に木の根元に倒れているスギミヤさんに近付くと、ポーチからポーションの瓶を取り出して呻く彼の口元へ押し込んだ。


「ゲホッ! ゲホッ! ニ、ニシダか……すまん、助かった」


「いえ、こちらこそ無理をお願いしてすみません」


 頭を振りながら起き上がるスギミヤさんに謝罪する。


「奴は……? 」


「顔に泥を投げ付けたので今はあそこで暴れてますよ。そのうち回復するでしょうが……」


 俺が指差した先では顔を泥だけにした熊がその場で腕を振り回していた。とはいえ、奴もこの湿地の大陸のクリーチャー、すぐに回復するだろう。


「動けそうですか? 」


「ああ、問題ない。それでどうする?今なら逃げられるかもしれんが? 」


 状態を確認する俺にスギミヤさんが聞いてきた。


「いえ、奴がこのまま森を出る様なことになれば被害が大き過ぎます。ここで仕留めます」


「確かにな。だが、このままならジリ貧だ。何か打開策を思い付いたんだろ? 話せ。俺は何をすればいい? 」


「分かりました。作戦はこうです。スギミヤさんが――」


 俺は思い付いた作戦をスギミヤさんに話した。


「なるほど。確かに有効かもしれん。奴が回復する前に仕掛けるぞ」


「はい! 」


 スギミヤさんの言葉に立ち上がると、漸く目が見えるようになってきたらしい熊へ向かって駆け出した。


 スギミヤさんが熊の正面へ立つ。振り下ろされる左腕の攻撃を左側へ回り込むことで躱すと、足の付け根に出来た傷の上から斬りつける。そのまま左回りに円を描きながら同じ場所を何度も斬り付けた。


「グゥオォォォォォ!!! 」


 奴は苛立たし気に咆哮を上げると攻撃される左足を引いた。その勢いを利用して倒れこむ様に右腕を振り下ろす。それを更にスギミヤさんが左へ回りこむ様に躱すが、そのまま四つん這いになった奴は頭を振るように額の角を突き出す。


 ―ギィンッ―


 けたたましい金属音がしてスギミヤさんの左手に装備しているラウンドシールドと奴の角がぶつかる。スギミヤさんは盾表面の丸みを利用して奴の攻撃を左へ受け流す。その流れを利用して今度は右に回り込むと左へ頭を受け流されて露になった首筋へと上段から思いっきり打ち据えた。衝撃に奴の体が前方へと沈みこむ。


 攻防を奴の死角に回り込む様にして見ていた俺はこのタイミングで奴の顔の前に出る。手には蜂から採取した針を握っている。


「はぁぁぁぁぁッ! 」


 両手で握った針を奴の右の眼球へと突き出す。


「ッ!? 」


 だが、奴も頭を振ることで眼球への直撃を避ける。額に当たった針が折れた。


「チッ! 」


「ガァァァァァァッ! 」


 折れた針を放り捨てたところへ奴の剥き出しの牙が迫る。


「このッ! 」


 俺へ噛み付こうとした奴の横っ面にスギミヤさんの蹴りが入りギリギリのところで奴の首が左へ逸れた。スギミヤさんへ目で礼を伝えると後ろへ回り込む様にして一度奴の視界から消える。


 右側頭部を蹴られた奴は軽く頭を振る様な仕草をしてから、蹴ったスギミヤさんを睨むと再び頭部の角で下から突き上げる様な動きを見せる。


 それをもう一度盾で受けたスギミヤさんは力に逆らわず自分から後ろへ飛ぶ。着地すると同時に奴へ向かって突っ込むと、頭が上がって剥き出しの喉元を下から這うように一閃。


「●□▼×●~!? 」


 斬れなかったものの剣が喉元に食い込んだ奴が声にならない絶叫を上げる。背後に回った俺はその背に飛び乗ると一直線に首へと向かって走った。首元まで来たところで逆手に持った針を右目目掛けて振り下ろす。が、またも気付いた奴は咄嗟に頭を下げて針は頭頂部に当たり真っ二つに折れてしまった!


「クソッ! おわッ!? 」


「ニシダッ! 」


 折れた針を放り捨てたところで、奴が暴れて背から投げ出され地面に叩き付けられる。


「かはッ! 」


 衝撃で肺の中の空気が一気に吐き出される。同時に影が光を遮る。


「ッ!? 」


 前足を高く上げた奴が踏み付ける様にこちらに倒れ込んでくる。俺は慌てて地面を転がる。回る視界の中、スギミヤさんを探す。どうやら奴が立ち上がったときに弾き飛ばされたのか体を起こしているところだった。


 奴は前足を下ろすとそのまま四つん這いで転がる俺を追ってくる。転がる勢いを利用して飛び起きたところへ奴が頭を低くして突進してきた。寸でのところで体を横にして躱すが、角が革鎧レザーアーマーの胸元を掠めて「ぶちっ」という嫌な音が聞こえた。


 俺はそれを気にする余裕もなく、再び横へ転がる様にして奴との距離を取ろうとする。が、奴もそれを許すつもりはない様で前足を振り上げた。


「うおぉぉぉッ!! 」


 やられるっ! と思ったとき、横から走りこんできたスギミヤさんが奴の脇腹へとタックル、バランスを崩した奴が横向きに倒れる。


「ニシダァァァァッ! 今だぁぁぁぁッ!!! 」


 スギミヤさんの声に俺は弾かれた様に起き上がると、横向きに倒れる奴へと駆け寄って今度こそ右目に向かって針を突き刺した。あれだけ嫌がっていただけに眼球は柔らかかった様で、「ぐちゅっ」という嫌な感触が手に伝わって奴の右目に針が突き立つ。


「ガァァァァァァッ!!! 」


 熊は右目から血の涙を流して絶叫しのた打ち回る。


「おまけだァァァァァァァッ!!! 」


 俺は鞘から剣を抜くとありったけの魔力を込める。刀身がより強く赤く輝いた剣をもう片方の目へ突き刺した。


「グアァァァッ、ガァァァァァァッ!!! 」


 奴の絶叫が森に響く。


 ―ズドンッ―


 暫く暴れまわった後、漸く麻痺毒が効いたのか奴はその巨体を大地へと沈めた。死んだかと思ったがまだ微かに胸が上下している。しぶとい奴だ。


 俺も膝から力が抜けて崩れ落ちる様にその場に尻餅をついた。


「大丈夫か? 」


 俺の隣までやってきたスギミヤさんが声を掛けてくる。


「ええ、なんとか……」


「トドメはどうする? お前が仕留めるか? 」


「いえ、剣を突き刺すときにありったけの魔力を込めたのでもうほとんど残ってません。トドメはお任せしますよ」


「そうか。まあ暫く休んでろ」


 苦笑いで返す俺にそう言うと、スギミヤさんは右手に剣を下げてゆっくりと奴に近付いていく。動けない奴のそばまで辿り着くと剣を逆手に持ち変えた。刀身が黒く輝き始める。


「ふんッ! 」


 その光が強くなった瞬間、気合いとともに奴の首へと突き立てた。一瞬、奴の体が大きく跳ね上下していた胸の動きが止まる。


 スギミヤさんは無言で突き立てた剣を引き抜くと血を払って鞘に納めた。続いて奴の左目に刺さっている俺の剣も引き抜くとこちらへと戻ってきた。


「ほら」


 差し出された剣を受け取る。血を払って納刀していると隣にスギミヤさんが腰掛けた。


「終わったな」


「終わりましたね」


「疲れたな」


「疲れましたね」


「「はぁぁぁ、死ぬかと思った! 」」


 2人の絶叫が森に響いた。

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