第9話 晩餐

 イリスにウィーレストについていろいろ聞いていたら、気付くと彼女の自宅に着いていた。今日知り合ったばかりの女性の家に上がり込むのもどうなんだろう? と思わなくはないが、こちらも切実な事情があるためグッと押さえ込んだ。


 イリスの自宅はこの街でよく見る木造三階建ての共同住宅だった。とはいえ、井戸も竈も一階の共同スペースで当然平民の家に風呂はないため、トイレはあるがダイニング以外に2部屋寝室があっても日本の都市部の1Kくらいの面積で足りる。


 彼女の自宅は一階の一番奥だった。実際の中世ヨーロッパに施錠の習慣があったのから知らないが、彼女は鍵を開けて(鍵は不思議の国のアリスとかで見るような鍵と言えば伝わるだろうか? )部屋の扉を開けた。


「母さんただいま。お客さん連れてきたよー! 」


 彼女は玄関を入ってすぐの恐らくダイニングだと思われる部屋を抜け、奥の部屋へ進んでいく。今日半日一緒に行動したが一番テンションが高いかもしれない。


 俺は奥に進んでもいいものか戸惑い、「お邪魔します」と小さな声で言ったものの、扉がしまった薄暗いダイニングでどうしたものか? と若干おろおろした。


 暫くそうしていると、奥から「座って待っててください! 」というイリスの声が聞こえたので、とりあえず手前の椅子の足元へ担いでいたカバンを置いて先程屋台で買ってきた料理をテーブルに置いて椅子に腰掛けた。


 椅子に座って数分、「全くあの子ったらお客様をお待たせして」と言いながらイリスと違う女性が奥から出てきた。


「どうもお待たせしてすいません。イリスの母のソフィアと申します」


 女性、ソフィアさんはそう名乗ると頭を下げた。


「い、いえ、こちらこそ突然お邪魔して申し訳ありません。俺はノブヒト・ニシダと言います。本日は危ないところをイリスさんに助けていただいて、その後もいろいろお世話になったんです。その上、時間的に宿を取るのが難しいと図々しくもこうしてお家にまで上がり込んでしまい申し訳ありません」


 俺は慌てて、とにかく夜分に家に上がり込んでしまったことをお詫びする。


「いえいえ、どうせあの子が強引に誘ったんでしょうからお気になさらず。お客様は大歓迎ですからどうぞゆっくりしていってください! 」


 俺のお詫びにも彼女は優しく微笑んでそう言ってくれた。


 ソフィアさんは見た目30歳前後、イリスと同じ赤茶色の髪の女性だった。背はイリスより少し高いくらいだろうか、彼女より幾分目元が柔らかい印象だが、顔立ちはよく似ていて、ちょうど背中の真ん中くらいまで伸ばした髪を後ろで簡単に束ねていた。ここが異世界で無ければ「イリスの歳の離れた姉」と言われても通用するのではないだろうか?


(イリスの年齢はちゃんと知らないけど、下手したら10代前半で彼女を産んだんじゃないか? )


 異世界の常識によるとこの世界の成人は15歳くらい、貴族なら一桁年齢で婚約者がいるなんてザラだし、平民でも余程の理由が無ければ女性は12、3歳で嫁に行く。


(うちの母親とは一回り以上違いそうだなぁ)


 なんて若干母親に失礼なことを思ったりした。


「俺の都合で遅い時間までお嬢さんを連れ回してしまって申し訳ありません」


 一応暗くなるまで付き合わしてしまったことも謝っておく。


「いえいえ、誰に似たんだかお転婆で森で冒険者の真似事ばかりしてる子ですから。そろそろお嫁に行かないと貰い手がなくなっちゃうと思ってたところなんです! 」


 言ってソフィアさんは楽しそうに笑った。


(これは彼氏かなんかと勘違いしてるんじゃないか? さっき『今日会ったばかり』と遠回しに伝えたのに)


 俺がどうしたものかと悩んでいると奥の部屋からイリスが出てきた。


「もうお母さん変なこと言わないで! ノブヒトさんとは今日森で初めて会ったんだから! 」


 若干顔を赤くしてイリスがソフィアさんに抗議する。


 イリスは部屋で着替えてきたようで、革鎧とグローブを外し、代わりにチュニックのようなゆったりした服を着ていた。靴も膝上まであったロングブーツからサンダルに履き替えて後ろで結んでいた髪も解いている。


「はいはい。でも、いつまでもそんなお転婆だと本当にお嫁の貰い手が無くなるわよ? 」


 ソフィアさんが呆れたような、でも、どこか揶揄うような口調で言う。


「私は冒険者を続けるから今は結婚とからいいんですっ! 」


 イリスが頬を膨らませて抗議する。その仕草が今日見てきた彼女の表情と違って年相応で可愛らしかったため、思わずクスッと笑ってしまった。


「もう! ノブヒトさんまで酷いです!! 」


 どうやらイリスに見られたようで、更に頬を膨らませて抗議してくる。


「はいはい、いつまでも頬を膨らませてたらノブヒトさんに呆れられるわよ。お腹空いたでしょう? 折角温かいものを買ってきてくれたんだしご飯にしましょう! 」


 そう言ってソフィアさんは戸棚からパンと器を出し、テーブルの上の鍋からスープを入れて出してくれた。


「何もおもてなしは出来ませんがゆっくりしてくださいね」


 ソフィアさんからスープを入れた器を受け取る。3人で和やかな食事が始まった。


「それでノブヒトさんはイリスとどこで知り合ったの? 」


 ソフィアさんが聞いてくる。うーん、本当に娘の婿にロックオンされたんじゃなかろうか?


「先程イリスさんが仰ってましたが、大河の森で道に迷って森山猫フォレストリンクスに襲われてたところをイリスさんに助けていだきまして。その後、親切にも街まで案内して頂きました。

 それからも冒険者ギルドに案内して頂いたり、代わりに素材の売却の手続きをして頂いたり、その上、お家に泊めてまで頂いて、今日はイリスさんにお世話になりっぱなしです」


 俺は恐縮しつつも「今日初対面だよ~」ということを強調する。


 チラりと隣に座ったイリスを見ると、母親の前で照れたのか顔を赤くして俯いている。


「あらあら、そうでしたのね! こんな家で良ければいつでも泊まりに来てくれていいんですよ♪ 」


 なんだろう、ソフィアさんが完全に外堀を埋めに来ている気がする……


「もう! お母さん止めてよ! ノブヒトさんとは本当に今日初めて会っただけなんだから!! 」


 イリスは顔を真っ赤にして怒る。


「えぇ~、お母さんはとってもいい出会いだと思うんだけどなぁ~」


 ソフィアさんはニヤニヤしながら完全にイリスをからかっている。


「私は冒険者になるから暫く結婚なんてしないって言ったじゃない! 」


 イリスは益々顔を赤く染めてソフィアさんに言い返す。最早照れて赤くなってるのか怒ってるのかわからんなぁ。


 その後もソフィアさんがイリスをからかい、イリスがムキになって言い返しながらどこか和やかに食事は進んでいった。


「じゃあノブヒトさんは今のところ滞在期間中の宿が決まってないのね! だったら今日だけとは言わず滞在中は我が家に泊まればいいじゃな~い♪ 」


 うん、全然酒も飲んでないのに、さも「いい事思い付いた! 」みたいな笑顔で既成事実を作らせようとするのは止めてください!


「私もそうすればいいと思う…」


 イリスも顔を赤くしながらモジモジ言うんじゃないっ! 冗談じゃなくなるでしょっ!! たぶんソフィアさんは半分本気だ……


「どう? 今なら私も付けるわよ? 」


 なんて言いながらウィンクしてくる。


「えっ!? お母さんいい歳して何言ってるのっ! 」


 何を想像したのかイリスが顔を真っ赤にする。


「あら? いい歳してって失礼ね。お母さんだってまだまだ女よ。お子様のイリスにはない女の色気がありますから♪ 」


 ソフィアさんが色っぽく科を作る。


「もう! 信じらんないっ! 最低っ!! お母さんなんて嫌いっ!! 」


 ついにイリスが怒り出して自分の部屋に行ってしまった。


「うふふ。いけない、ちょっとからかい過ぎたかしら? 」


 言いながらソフィアさんは可愛らしく舌を出す。


「さて、イリスも拗ねてしまったしそろそろお開きにしましょうか。ノブヒトさんはどうします? なんなら私と同じベッドで寝ますか? 」


 そう言ってソフィアさんはまたクスクス笑う。完全にからかわれてるなぁ。


「いえ、無理を言って泊めて頂いてるんですからそこら辺の床でもお借りして寝ます。お気遣いなく」


 からかわれてるのは分かっているので、苦笑しながら返す。


「あら、いけませんよ。私はイリスのベッドでイリスと一緒に寝ますから私のベッドを使ってください」


 いや、さすがに(恐らく)未亡人のベッドを借りるのはどうなんだ? その娘(美少女)のベッドを借りるのも問題あるけど。


「本当にお気遣い頂かなくても……」


 俺が若干困惑しつつ言うも、


「お客様を床に寝かせるわけにはいきませんから。ちゃんとシーツは替えてますから大丈夫ですよ。それにあの子があんなにはしゃいでるのを見たのも久しぶりですから」


 そう言ってソフィアさんは少し寂しそうに笑った。




「どうぞこちらの部屋ですから遠慮なく使ってください」


 ソフィアさんに促されるまま、結局ベッドを借りることになってしまった。入った奥の部屋はベッドとサイドテーブルだけの簡素な部屋だった。その奥にもう一つ扉があり、恐らくあちらがイリスの部屋なのだろう。


「そちらのベッドをお使いください。サイドテーブルの水差しとコップは自由に使っていいですからね」


 そう言うとソフィアさんは奥の扉へ向かう―と思ったらクルっとこちらを振り返り、


「この奥がイリスの部屋になります。私もそちらで寝ますので、夜中にこっそり入ってきてもらっても大丈夫ですよ! なんなら私も一緒でも大丈夫です♪ 」


「いや、入りませんし襲いませんから! 」


 俺がそう言うと「あら、残念~」とクスッと笑ってイリスの部屋に入っていった。


 うん、愉快なお母さんだ。

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