⑩呪文と招来
真横から体当たりを受けたロバートが、草地を抉りながら転がる。
盛大な土煙。
頭から無数に生える触手が地面を抉ってブレーキを掛けた。
ロバート、四つん這いの姿勢でアリアナに身構える。
対するアリアナは異様なまでの前傾姿勢。
低い唸り声を吐きながらロバートを睨みつけた。
「聞いたぞおいコラ。この私がしくじるだって? あァ?」
アリアナの長い髪がわなわなと波打つ。
四肢は帯電し発光。
熱と光が宵闇を潰す。
「んなこと思いながらずっといたのか? えぇ? ボビーよお?」
ずりゅり、とアリアナの背中から触手が生える。
ウミユリめいた羽枝をびっしりと備えた、一族の触手。
ロバートの触手が人間の腕と同サイズなのに対し、アリアナのそれは丸太のような太さだった。
逞しい筋肉質の触手を伸ばす。4本。蛇のように揺らいで。
「……アリアナ」
イヴは体を起こし、見上げる。
アリアナは振り向かない。紺色の夕闇の中で鬼火のように燃えていた。
――――その姿が、掻き消える。
「っ!」
ロバートの真正面にアリアナが飛びかかった。青白い残光を引く。早すぎてイヴの目が追えない。2本の触手が真上からロバートに振り下ろされる。
ロバートは頭の触手群でそれを迎え撃つ。表面には半透明の皮膜。アリアナの凶悪な打撃をそれで受け止めた。
鉄筋コンクリート防壁さえ損壊できるアリアナの攻撃が、それだけで冗談のように無効化される。
込められたエネルギー量からは考えられないほどの柔らかいキャッチ。
難なく攻撃を防いだロバートが、そのままアリアナからエネルギーを吸い上げようとする。
「てめえだけが、私の夢に付き合ってくれた」
雷光のような鋭さで、アリアナの残り2本の触手が翻る。
突き出した先はロバートの胴体。
ロバートは対応できない。彼の触手の殆どは頭上からの攻撃を防御中だった。
人外のワンツーパンチが一瞬で決まる。ロバートはまたしても真横に吹き飛ばされた。
アリアナが4つの触手で地面を思い切り叩きつけ、反動で飛翔。ロバートを追った。地面が揺れて立てないイヴから、2人はかなり離れる。
「そんなてめえが! 私の失敗を願ってたなんて思うわけねえだろおおがよおおおおおおッ!!」
大跳躍から一気に追いつき、アリアナは4つの触手を高速で繰り出す。
上下左右、時には前や後ろ。鈍重さなど無縁の俊敏さで連打をロバートに叩きつけた。あまりの攻撃密度に、海辺の空気が破砕される。
ロバートの触手はその速度に対応できない。
例の被膜は狭い範囲にしか展開できず、せいぜい一撃を防御するのが関の山で、4つの鬼のような連続攻撃全てをカバーすることは出来なかった。
被膜のない通常の触手では当然パワーが足りず、ぐちゃぐちゃに押し潰されて引き千切られる。
アリアナはロバートを圧倒した。
だがロバートが倒れる様子はなかった。
触手の塊である頭を殴ろうが、胴体を幾度突き飛ばそうが、操り人形のような不気味な動きで立ち上がった。
そして反撃を試みる。
チェカシュシギシュケシィュチャリゥ! リリキュシカエラウミピャミァユゥケ!!
頭から濁流のような触手を異音とともに吐き出すロバート。至近距離で奔流をアリアナに浴びせる。
アリアナは逃げず、4つの触手全てを一本に束ねた。
極悪なまでに太い触腕が全力で濁流を殴り飛ばす。
空気が爆裂する。
花火のように飛び散る無数の触手。破片達が微塵となって広がり、散って消える。
「――――~~~^^~~---^^」
くぐもった怪奇音。
ロバートの頭部から発せられる音の連なりに合わせ、破断した触手が黄色く発光する。
「----^^^^--~^~~~^~^~^~^~」
淡黄色の光は断面に集約し、一つの形になる。Y字状物体。
アリアナの瞳が煌めく。
ロバート、光り輝くY字状の物体を発射――――する直前、アリアナの触手に殴り上げられる。
黄色に輝いていた触手は下からの鋭い一撃でかち上げられ、Y字物体を上空へ放ってしまう。輝く線を虚しく描く。
「おっっせえんだよボケがッ!!」
アリアナの体がコマのように回転。電光が尾を引く。
触手の塊をかち上げられ、がら空きになったロバートの体に遠心力の乗った強烈な一撃が叩き込まれる。
くの字に曲がるロバートの身体、宙に浮く。
アリアナ追撃。連打。
再び4つに別れた触手による高速攻撃。
打撃音が途切れない。
骨のない触手は潰され千切られ、輪郭が曖昧になる。ロバートの貧弱な体も手足が折れて歪な方向に曲がっていく。
ついにロバートが地面に倒れる。仰向けに。
アリアナは勢いのまま、ロバートの体へ馬乗りになる。マウントポジション。
アリアナの4本の触手がロバートを間断なく殴打する。ロバートの手足の骨はひしゃげ、頭の触手群もまるごと叩き潰される。
完全防御の皮膜を展開する余力もないロバートは、ひたすら一方的に殴られ続けた。
「………再宣誓しろ、ボビー」
アリアナの両手がロバートのか細い首を掴む。そのまま締め付けた。
窒息はおろか頚椎をへし折る勢いのアリアナが、異色の双眸をロバートへ近づける。
「私達と一緒に、天の国に行くんだ。そうすりゃこいつも納得する。私のエネルギー量なら絶対に行ける。それを今ここで、改めて誓え」
アリアナのその声は憤怒に塗れていた。
彼女の手が怒りのまま、ロバートの首に食い込み続ける。
「―――……」
イヴは立ち上がり、それを眺めながら近づく。
怒りに震えるアリアナ。4つの太い触手は変わらずロバートを容赦なく打撲していた。
「アリアナ……」
イヴは胸が締め付けられる。
激情に駆られるアリアナが、どうしようもないほど幼く弱く見えた。
暗がりを怖がる童女のような。
「再宣誓しろ、ボビー」
アリアナはにじり寄る。
ロバートは応じない。
歯ぎしりするアリアナ。
「ボビー!」
ミピュシ! ギシュ! ケシィュチ!!
代わりに響いたのは、奇怪な啼鳴。
ゲァユゥシュケシシュ! カエラウミピャケシチピピピピピ!!
潰れ、歪み、力も形も残っていない頭の触手群が、小刻みに震え出す。
夕暮れの海風が醜悪に変貌。
イヴの鼻と皮膚をびりりと焦がす。イヴは激しい悪寒に身震いした。
アリアナも同様の異変を感じ取ったのか、ロバートの首から手を離す。
刹那、
――――――金の亀裂が空間に走る。
「ッ!?」
アリアナ、人外の敏捷で飛び退く。
黄金の断裂がアリアナの触手の1本を断ち切った。
切り離された部分を、ロバートの触手群がここぞとばかりに包む。例の皮膜つきで。あっという間に飲み込まれた。
アリアナの力の一部が込められていた触手を吸収し、ロバートの身体が一気に修復する。
ひときわ大きな触手が1本、ロバートの頭から伸びた。
びっしりとした羽枝。
そこからさらに細長い突起がいくつも生えた、奇妙な触手だ。
突起は肋骨のように対になり、まるで八木宇田アンテナめいた形状。
その突起群が、薄く黄色く発光。
ロバート、見えない糸に吊り上げられるように立つ。
そして頭から伸ばすその奇妙な触手を、ぶおんと振り回す。
黄金色の軌跡が一閃。
複数の複雑な軌道が空間を淡く切り裂く。
宵闇の世界が金色に引き裂かれる。
「----^^^^--~^~~~--^~^^^--~^~^~----^^^^--~^~~~--^~^^^--~^~^~」
ロバートが唱える。正体不明の言語で。
「………何してやがる」
距離をとったアリアナは切断された触手を修復しながら、ロバートを睨み付ける。
アリアナからさらに離れたイヴは、息を呑む。
アリアナの顔から、汗が一筋流れていた。
声音と表情に明らかな焦りと、そして不安があった。
「----^^^^--~^~~~--^~^^^--~^~^~----^^^^--~^~~~--^~^^^--~^~^~^^^--~^~^~----^^^^~^^^--~^~^~----^^^^」
金に刻まれた軌跡は、空間から消えない。
そしてロバートの、その名状しがたい詠唱に呼応するように、空間の黄色い断裂が鳴動した。
ギエラウシュケシミュチャリゥチャシュシ! ピミァユゥケィシェカカ!!
「----^^^^--~^~~~--^~^^^--~^~^~----^^^^--~^~~~--^~^^^--~^~^~」
ミュチャリゥシュ! ギエラウケシ! チャシュシキュシユゥケィリリ!!
「^~^^^--~^~-^^~----^^^^--~^~~~~~--^~^^^--~^~--^^--~^~^~」
リリキュミァキュシエラウシュゥチャシュシ! ピェカカケシミュチャリギピェカカケシ!!
異形が詠う。
2種類の異常音がセントローレンス湾に木霊する。
金の断面は激しく振動し、虚空に藤黄色の罅割れを走らせた。
まるで蜘蛛の巣のように、黄蘗に輝く亀裂が無数に広がる。
「^~^^^--~^~ミァキ-^^~----^^チャシュ^^--~^リキュリ~~~ケシミュチャ~~--^~^^^--~^~-ェカカケ-^^--~^~^~シエラウシュゥ~^~-^^~----^^^^--~^~ピシピェカカリギ!!」
2つの音がついにひとつに重なる。
「! ロビン!」
「やめろ、ボビー!」
原理不明の恐怖感が膨れ上がるイヴとアリアナ。
その叫びが放たれたとき、
――――――金の亀裂が破砕。
人界が割れる。
明星の下。
叩き割られる。
その向こう。
破壊された夕闇の奥。
黄金色で満ちる世界から。
――――――巨大な巨大な、クジラのように巨大なウミユリの触手が這い出てきた。
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