⑨語らい。落し子達。明星の下で。



 ロバートは街道沿いを歩いていた。

 東に向かって。

イヴがそれを追う。


 キャンピングカーはハンバーガーショップに置いたままだった。


 ハンバーガーショップでの出来事の後、ロバートはひたすら道を歩き続けた。

 彼の歩く様子は幽鬼のそれであり、目的も気力もなくただひたすら道を進む。


 ときどき立ち止まり、何を見るでもなく休む。

 そしてまた歩き出す。


 これを何度も何度も繰り返す。



 ……宵の明星が西の空に輝き出す頃、ロバートは街道を外れ、浜辺へ進み、ようやくそこで座り込んだ。


 セントローレンス川は既に終わり、セントローレンス湾となっていた。

 対岸には広大なるニューファンドランド島。



 暗い濃紺色の空に刷かれた、曖昧な輪郭の雲の群れ。


 低い草がまばらに生えた海岸の土。


 月のない空。金星が瞬く。



 イヴは草が比較的密集している場所へ、汚れないようにしながら腰を落とす。



「………本当のことを言うと、僕はこの旅、失敗すると思ってた」



 ロバートが、ぼそりと呟く。

 覇気も精気もない乾いた声で。


「アリーは発電所の警備に返り討ちにあって、でもまた襲撃を繰り返す。何度も。でもうまくいかない。アリーは死ぬまで続ける。僕はずっとそれに付き合うつもりだった」


 けど、と彼は言う。


「けど、成功した」


 ロバートがイヴを見やる。


「君がいたから」


 笑う。

 柔らかさのない笑み方で。


 イヴは彼を見据える。


「キングスポートには行かないつもりだったの?」

「いつかは行った。けど、アリーから充分なエネルギーを分けてもらえれば、別に今すぐじゃなくたっていい。満足するまで暮らしたら、いつかキングスポートに行ってた。けど……」


 ロバートは俯く。


「もう、どこにも行けない」

「………私も、もうどうすればいいのか分からないよ」


 イヴは東の海を臨んだ。

 ニューファンドランド島の島影が、急速に暗く黒く塗られていく。宵闇が迫る。

 夕暮れに向かって光を鋭くさせていく西空とは反対の、闇。


 明星の煌めきを見上げながら、イヴは呟く。


「私はアリアナから力をもらわないといけない。だから私にはアリアナが必要なの。けど、アリアナは私がいなくても別に平気だから」

「……アリーは、エネルギーをいくら溜め込んでるんだっけ?」

「18億キロジュール」

「多い」

「頑張ったもん」

「それを使い果たしたら、アリーは二度と同じ量のエネルギーを得られないね」

「どうかな。また襲えばいいんじゃない?」

「あれ以来、北米の原子力発電所はどこも厳重に警戒してるよ。軍が常時張り付いてる。この前のは不意をついてこっそり強奪できただけで、次は軍隊と正面から戦わないといけない」

「アリアナは負けないよ」

「君がいなかったら死んでた」


 ロバートは言う。


「もしアリーがまた、発電所を襲わなければならない事態になったら」

「………私が必要?」

「それが、君の望む君の価値だよ。アリーに対する君の価値」


 イヴはロバートと同じように俯く。大きくため息。


「どうすればいいと思う?」

「手は2つ。1つはまた前みたいに大爆発を起こして原発を占領してウランをアリーに貢ぐ」

「核燃料ごと吹き飛ぶよ」

「もう1つは、あの大爆発を起こすエネルギーをアリーに貢ぐ」


 イヴは顔を上げ、少し離れた場所で座り込むロバートを見た。


 眉根を寄せ、


「………あれやると、私ほとんど意識なくなる。この前死にかけた」

「まあね。原理がよく分からないけど、イヴの生命に関する何かをエネルギー源にしてるんだと思う」

「先生は、結局あの爆発のこと、なんか言ってた?」

「結論は出さなかったけど、多分、なにか検討は付いてるんだと思う。原発の爆心地にもヘリウム3があったとか、高エネルギーの水素イオンビームが観測されてたとか言ってたから」

「……キギは何をしてるんだろうね」

「でも、うらやましい」


 ロバートが顔を上げた。

 やはり笑っている。全てを諦めたような笑い顔だった。


「君には選択肢がある。キギがくれる。僕にはない。呪いしかくれない。この、僕に宿るこれは」

「私達の一族は、なんなの?」

「ミスカトニックの図書館の、物凄く古い本に、ある生き物に呪いをかけられた一族のことが書かれてた。いつの頃か分からないほど古い古い時代の話」


 ロバートは空を見上げた。


「アジアとヨーロッパの境目の場所にいた彼らは、ある生き物と共に暮らしてた。その生き物は気まぐれで戯れて一族に取り憑いて、飲み食いする必要も寝る必要もない功力を与えてくれたらしい。剣でも矢でも傷ひとつつかない、火で焼いても水に沈めても死なない不死身の加護を、その生き物はくれた」

「それが、あのウミユリみたいなやつ?」


 イヴは首を傾げる。

 確かに一族の人間は物質やエネルギーを捕食できるが、無制限に取り込めるわけではない。

 ロバートの言った伝承と比べれば、一族はあまりに矮小だった。


「かもしれないし、そうじゃないかもしれない。けど、その一族はあるとき、例の生き物に呪いを掛けられた。この世界の熱を奪い続けなければならない呪いを」

「……」

「奪った熱は例の生き物に捧げられて、生き物はその熱で天に羽ばたこうとしてる」

「……天の国に行くんじゃないの?」


 ロバートは首を横に振る。

 分からない、と告げながら、


「一族の言い伝えだと、その生き物は、他の同じ生き物同士で争ったらしい」

「で、負けて、バラバラにされちゃったってやつ?」

「多分、そのバラバラにされたものの一部が、僕らに憑いてるウミユリみたいな彼らなんじゃないかな。キギも含めて」

「じゃあ、キングスポートの神様っていうのは?」

「それもよく分からない。けど、このウミユリ達は神に会いたがってる。神は年に一度しか現れないから。エネルギーを、僕らの神に捧げるために」


 ロバートがすっと立ち上がる。


 その動きは自ら立ったと言うより、見えない何かに引っ張られたようだった。


「………バラバラになった彼らはエネルギーを集める。でも自分だけじゃこの世界で動けない。だから人間に取り憑く。もし取り憑いた人間がそれ以上何も集められないとなると、子供を増やさせてそれにまた取り憑く。それが洗礼式」

「ロビン?」

「でも、もし神のところに行きたくなくて、子供も作りたくなくなったら………」



 ロバートが空を見上げながら呟く。



「僕はアリーからエネルギーをもらえれば、いつでもキングスポートにいく約束をした。彼と。それまでは好きにさせてもらえる。でも、もうどこにも行けない。だから彼は、僕の代わりを作れって言ってる。子供を作れって」



 とりとめのない言葉。

 意思や思考のないただの羅列。


 イヴは寒気を覚える。


「ロビン……」


 ロバートの瞳に、光はなかった。


 白い顔は土気色に。

 指先は小刻みに震えている。


 体が風に揺れる柳のように、不自然にふらついていた。


「イヴ」


 そんなロバートが、イヴの方を見ずに言う。







「僕を吹き飛ばせ」









 イヴは耳を疑った。




「な、なんで?」

「僕は今から君を犯して孕ますから」


 抑揚のない声。

 イヴは驚き、立ち上がる。


「ロビン……?」


 イヴは背筋が焦がされる思いで、彼を見た。



「君は洗礼を知らない。彼らを受け入れ、契約したあの洗礼を。君のしていない契約のことを」


 ロバートの体がどんどん大きく揺らいでいく。

 痙攣に似た不安定な動き。

 手も足も胴体も、法則性なく踊り始める。


 顔だけが天を仰ぎ続けた。

 まるで頭が空間に縫い付けられているように。


「彼らを受け入れるために誓わせられたのは、エネルギーを集めて天の国を目指すこと。もしそれが叶わないなら、子供を作ること。このどちらも守ってる間は、僕に加護をもたらす。けど」


 ロバートの顔に異変が生じる。


 白い肌から黒い血管が浮かぶ。

 黒い筋は急激に広まり、首を通って全身へ浸食を始めた。


「けど、そのどっちもしないなら」


 その黒いものが体の末端までロバートを塗り潰す。

 白い首も顔も真っ黒に染まった。


「僕は自由でなくなる。一切。なにひとつ」


 そして、ロバートの異様な振動がぴたりと止まる。

 先ほどまでの激しい動きが嘘のように、彫刻めいて微動だにしない。



 顔面が暗黒色に沈む。


 暗黒は波打つ。




「彼が、出てくる」




 ――――――炸裂。



 噴出した。

 触手が。

 黒い顔面から。

 火山の噴火のように、

 羽枝の触手が。

 大量に。一斉に。勢いよく。



 ギャバジャギャバジェ!!



 奇怪な轟きを上げながら。



「!?」


 イヴは瞠った。



 ロバートの顔から出てきた数多の触手は、根元の部分を一気に拡大。


 ロバートの頭全体から触手が生える。

 しかもその数は刻一刻と増えていく。


 瞬く間にロバートの頭は触手で覆い尽くされ、形が分からなくなった。


「ロビン!」


 叫ぶイヴに、触手が反応する。


 夥しい量の触手群が塊のまま一気にイヴへ押し寄せる。

 ハンバーガーショップで見た、一本一本が独立して攻撃してくるような動きではない。

 大量の触手が複雑に絡み合い、螺旋を描いて突き進む。


 それはまさに奔流だった。


「キギ!」


 イヴの袖から素早く飛び出るつる草達。


 都合4本に枝分かれした黒剣が展開。

 刃の壁となって触手の濁流を待ち構える。



 激突。



 黒刃のうち3枚が剣を横に構え、触手群を切り裂く。

 触手は4つに卸される。

 それを最後の刃1枚が正確かつ高速の動きで素早く叩き払った。





 ギエラウシュケシミュチャリゥチャシュシ! ピミァユゥケィリリキュシェカカ!!



 どんな生き物にも似ていない鳴き声で、ロバートの頭が叫ぶ。


 触手の奔流は止まらない。


 キギの防御を突破することは相変わらず出来なかったが、無限のように触手を放出し続けた。

 そのせいでキギの力が著しく消耗しているのが、イヴには分かった。


「なんで、こんな、ロビン!」


 袖から別のつる草が2本生える。

 黒い剣を備えたそれらが、矢のように鋭くロバートへ襲い掛かった。


 ロバートは防御。

 触手の濁流を停止する。


 2本の黒剣が、ロバートの頭から伸びる大量の触手へ突き刺さる。根元の部分。頭から切り落とす勢いで。


 切っ先が刺突。


 その直前。



 触手の表面に、半透明の皮膜が拡がる。



 キギの剣はその皮膜の部分へ突き刺さった。



「!?」


 イヴは目を見開く。




 ――――黒い切っ先が、半透明の皮膜を貫けない。



 アリアナから授かったエネルギーを切っ先に集中させている――アリアナの触手を切り落としライフル弾すら弾き返す力だ――にも関わらず、その薄い皮膜に傷ひとつ付けることが出来なかった。



 そして逆に。


 皮膜に触れた部分から、黒剣のエネルギーが消失し始めていく。



「なに、それ……」


 何かに吸い上げられる感覚。

 イヴはぞわりと悪寒に震える。


 急いでキギをそこから引き抜かせた。


 皮膜の範囲はそこまで広くない。

 別の場所から斬り付ければ…………



「~~~^^~~---^^」



 異音。


 くぐもった、何かの共鳴音。


 イヴの耳に不快感をもたらすその音源は、ロバートの頭部だった。



「----^^^^--~^~~~^~^~^~^~」



 音と呼ぶには規則性があり、言語と呼ぶには単調な、何かの呼びかけ。




 まるで呪文のような。




 ウシュケシミュシュシチャギエラリゥチャ!


 ユゥケィピミァリ!


 リキュシェカカシュシゥケィケケケケ!!




 触手が怪音で呼応する。


 キギの刃で卸された触手の先端が輝き始める。


 引き裂かれた断面から、光が漏れる。黄色の光。




 光が集束する。


 ――――強烈な輝きが触手の先端で形成したのは、Y字状の物体だ。



 そのY字物体を、投擲。


 イヴに投げつけた。



「!!」



 黒剣1枚が楯となる。放たれた謎の物体を剣の腹で払いのけ―――――られない。


 Y字物体、剣の表面に付着。


 その途端、その黒剣はまるで何かに踏みつけられるように地面へ落下。微塵も動けなくなる。


 同時、イヴの膝から力が抜ける。


「………え?」


 身体が鈍い。重い。


 キギの動きもおかしい。動きが極端にのろい。

 キギを動かすための力がどこかに放出されていた。


 どこか。

 あのY字の物体から。


 Y字物体が付着した箇所で、黒剣の表面が溶融する。

 溶けた部分が噴霧状に吹き出た。

 血飛沫のように。


 見るからに弱っていく黒いつる草。


 他の黒剣の動きも精彩を欠いていく。



 ケィピユ!



 嗤い。



 頭から触手の柱を伸ばすロバートが、その触手を地面に思い切り突き刺す。


 先端で地面を掴む。


 触手が膨張。



 ロバートの身体が、触手によって空中へ振り上げられる。


 ロバートは地面を支点にし、触手によって完全に逆立ちの形に。



 宙を舞うロバート、イヴに向かって振り下ろされた。


 ロバートが迫る。



「あ」



 キギが防御しようと切っ先を持ち上げる。

 が、6本全てロバートの触手で押さえ込まれてしまった。



 衝撃。


 イヴ、仰向け。


 後頭部と背中を強かに打つ。


「ッ!」


 痛みに耐えながら、目を開けるイヴの目の前に、



「ロビン………」



 ロバートに馬乗りにされていた。


 首から上は触手の塊だった。

 粘液を垂れ流し、じゅらじゅらと蠢く無数の触手。



 その触手が、衣服の上からイヴの体をまさぐる。



 粘液がストールとセーターを溶かす。


 触手がジーンズの上でのたうつ。股間を撫でる。羽枝の先が生地を傷つける。イヴの皮膚と肉と脂肪をこねくり回す。



「やめて………ロビン」


 イヴの懇願は届かない。


 イヴの四肢はロバートの触手で完全に封じられている。ロバートの両手――触手が巻き付いている――がイヴの胸元を押さえ付けた。イヴが首より下で動かせる部分などない。


「ロビン………」



 イヴは見上げる。


 そして見た。


 粘液を垂れ流している触手達のわずかな隙間に覗くもの。


 瞳。


 涙を浮かべて、イヴを見ていた。



「ロビン!」


 叫ぶ。


 届かない。



 ロバートはイヴのジーンズを破ろうと触手をくねらせ、









 真横に吹き呼ぶ。










「――――――ボオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォビイイイイイイイイイィィィ!!!!!」



 灼熱の血気が咆哮する。






 アリアナが襲来した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る