第7話 旅の始まり

戻る意識。 押さえつけていた黒い波は過去のものとなり、掴んだ右手は呪いの元凶を引き抜いていた。


闇が晴れる。 この地を覆う呪いの元を断ったことで、広がる瘴気が少しずつ消えてゆく。


木々の絡まりの隙間から一筋の光が差し、紘を照らし出す。

それは、まるで祝福のような…





突如、空が割れる。

半球状の透明なそれにヒビが入り、崩れ霧散してゆく。


「何だ…!?」

「あれは……結界じゃよ。


結界とは、あちらとこちらを隔てるモノ。「それ」の呪いが広がらぬようカミサマ達が張ったものじゃろう。

じゃが、呪いが消え去り隔てる「必要」が無くなったら…聡明なお主の事だから気付いておるな?」



この世界では、存在意義そのものが存在証明となる。何事にも意味はあり、雑草や羽虫から山、河、海など全ての至る物に意義がある。

それを失うという事は死と同義であり、役割を終えたとみなされ、この世界から去っていく。


「私達が生きていけるのはね、昔カミサマが私達の祖先に意義を御賜し下さったからなのよ。」


母はそう言った。この村ですら、痩せこけた作物にも、永久に生き続けもはや人の形を保てない禰宜さんにも意義がある。例えそれが呪いの影響だとしても、生きることは理由があるのだ。



つまり、役割を終えた結界とやらはこの世界から消えてゆく。

隔てる「だけ」のものは、他に存在意義が無いのだ。




「……っ!!」


咄嗟に得物を構える。

空中に現れた「御使い」の一撃を間一髪で防いだ。


「奴ら、いきなり…!!」

「じゃが「御使い」のひとつふたつ、これからいくらでも相手せにゃならん。今のお前さんの実力を知るにはいい機会じゃろうて。」

「気軽に言ってくれちゃって!!」



「御使い」達は錫杖を手に、非常に高い身体能力を有している。奴らにも大小様々だが、能力は皆一様だ。

そして今はこの刀のようなモノのお陰で奴らに触れることができるが、ただの人間では許可なく触れることすら許されない。


ちなみに山の上空に出現したのはカミサマの力の一部の為、厳密には奴らの能力ではない。帰還分含めてあくまで往復切符と考えてもらいたい。


なお、錫杖を持っているのは「カミサマからの声を聴くため」だとか、「それに特別な力がある」と原住民からは言われているが、実際は柱人以外の下界の物に触れたくないだけなのだとか。

こちらから触れることができないのも、そういうことなのだろう。



しかし、如何せんこちらは戦闘の素人だ。いくら狩りに参加していたとはいえ、肉弾戦は一度もしたことが無い。おまけに山登り以外で鍛えていたわけでもないただの14歳、相手はおよそ17程の為身体的優位性も皆無。


当然、戦闘と呼べるものではなく、一方的な蹂躙だった。

襲いかかる人間離れした腕力と速度の暴力。風切り音すら置き去りにした錫杖の攻撃は、確実にこちらの肉を削ぎ落とす。

本能的に頭を守っていた為、その腕は既に骨が見える程だった。


血が滴り、足元は既に真っ赤に染まっている。

一撃一撃が重く、刀で防いだとしてもその威力は腕に響き、皮膚が捻じ切られる。




だが死なない。苦痛に顔が歪むが、決して意識が薄れない。

鋭い痛みが脳裏を駆け巡るが、視界が霞まずはっきりしている。

本来ならとうに失血死、あるいは痛みに耐えきれず衝撃死しているはずだが、未だに彼は死なない。


呪いの刀の影響か。だが、この程度、禰宜さん達が受けた痛みに比べればどうということはないだろう。



血まみれになりながらも、一向に足を付かない紘の姿に相手も疑問を感じたのか、「御使い」が大きく錫杖を振りかぶり、決死の一撃を叩きこんだ。




しかし、それは悪手。完全な悪手…っ!! 振りかぶるという事は、大きな隙となる事は素人でもわかること。そして得物に全体重を乗せるという事は、振り降ろした直後は完全な無防備になる事と同義。



即ち紘のとった行動は一つ。

紙一重で頭部を狙う錫杖を躱し、肩に食い込ませる。鎖骨が砕け首が左側に引き寄せられる、筋肉もまとめて潰されたため左腕はもう使い物にならないだろう。

だが、これでいい。


「………!!!」


布の下の表情は見えないが、それでも驚いたことは分かる。

それもそのはず。確実に仕留めたはずの獲物が、こちらの得物を掴んでいるではないか。

そして錫杖を引き抜こうとする。当然紘の左腕は辛うじて繋がっている状態。全く力が入っておらず、一秒足らずで抜くことは可能だろう。




しかし、それもまた悪手。早めに錫杖を捨てておけば、忌避ながらも素手で戦う判断ができていれば、生存を優先していればこの一瞬は生まれなかっただろう。

だが、これも必然。「御使い」達にとってこれまで天敵は存在せず、これまでその圧倒的な力をもって蹂躙してきただけなのだから。


負けること等ありえない。

                          はずだった。



「お返しだ。」


一瞬の横薙ぎ。

刀に触れた「御使い」の体は羽のように軽く、刃は容易く貫通した。

奴らが聖なる存在だとしたら、呪いの結晶であるこの刀はまさに急所。

特に体を流れる聖なる存在たる所以は全て錫杖とその右腕に集約されており、防御が薄かったこともあるだろう。


ともあれ、引き抜かれた錫杖はそのまま振るわれることなく落ちていった。


時間にして三分足らず。終わってみれば、呆気ないものであった。

しかし確かなる強敵。今のままでは確実に力不足であることは明白だ。



頂上の入口の木にもたれ掛かる禰宜さんの元へ向かう。


「紘……」

「禰宜さん、俺、やりました。」


血だらけの姿は酷く痛々しく、その目の光は今にも消えそうだったが、まだ確かに燃えていた。


「はは……まさか本当に倒してしまうとはのう……

良き。お前の覚悟、見届けた。

ならば儂も覚悟を決めよう。」


直後、禰宜さんが刀を掴み、自らの心臓を突きさした。


「ねっ、禰宜さん!! 何をっ!?」


膿と血の混じる肉体。

しかし、刃を刺したことで変化が訪れる。

体を覆う腫物がどんどん引いて行ったのだ。まるで、元居た場所に帰るように。

それに応えるように、紘の傷が治っていく。砕かれた骨は繋がり、より硬度に。潰れた筋肉は編まれ、より強固に。流れ出た血は再び作られ、より速く熱く。


十数秒後、異形の存在であった禰宜さんは、人の形へ戻っていた。



しかし、呪いが解けたという事は、即ち不死で無くなるということ。

禰宜さんの体が少しずつ塵になっていく。


「これで、いいんじゃ。」

「そんな……せっかく呪いが解けたのに……」

「もとより生き過ぎた身、とうに朽ちておる。これが本来あるべき姿なのじゃよ。」

「でも……」


「ええい!!ぐずぐずするな!! ……これからもお前は、大切なものを失うじゃろう。だがな、失うことを嘆くという事は、それが大切なものだという事を理解したという事じゃ。それは悪い事ではない。 それに、お前さんには妹が待っているのじゃろう?」

「……!!!」


「ならば行け。刀を頼りに。 

赴くままに、カミサマを殺すがいい。」


「はい……行ってきます!!!」

背を向け、歩き出す。やるべきことは分かっている。


背後で何かが静かに消えた。 もう振り返らない。



「御使い」の心臓を抉りだし、口に運ぶ。

理由はわからない、だが刀がそれを望む。

飲み込んだ瞬間、体の中で弾けた。 もし禰宜さんの体の呪いを吸い取っていなかったら、確実に自分も弾け飛んだだろう。


直後、体の底から力が湧いてきた。

心臓は力の循環点。つまり最も力の集まりやすい場所であり、それを食すという事は、その力を得ることと等しい。

「御使い」の聖なる力は、刀の呪いに染まりより、強い瘴気へと形を変えた。


人を食すことは禁忌とされてきた。

しかしもうそんなことは関係ない。


寧を奪った奴ら、カミサマどもを必ず殺す。





そして、紘は山を下った。

頂の木の下に芽生えた新芽に、手を合わせて祈る。

―――――――――――――――――――


「長かった……とても。」





「それでも、こうして芽を次の世代に託せた…」






「さよならじゃ。紘。短い間じゃったが、中々面白かったぞ…… 

  ふっ、言って みるも の じゃな……」








「さ て 、  そろそ ろ  お  迎 えか … … 」 












「あ  あ    …  よ  う  や く   妻   に 会 え る…」  









芥禰宜。「八分村」にいる以上、彼も「異端者」の一人だった。息子を柱人に選ばれ、庇った為に追放された。

その後、240年もの間、妻との再会をずっと待っていたのだ。 

最愛の人と、もう一度会えることを…


そして、再会は果たされた。

一人の少年の手によって。

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