第6話 波

一瞬にして、後ろの見えざる壁に打ち付けられた。

何もない暗闇の中で、ただひたすらに後ろに貼りつけにされる。


肺が締め付けられる。

空気が抜ける。

口からこぼれ出た僅かな泡も、すぐさま流されていく。


「― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― あ    」


目の前には、押し寄せる黒い波。

まるで貯水湖が崩壊したかのような、氾濫の濁流。

呪いの波は体を釘付けにし、指先一つ動かせない。


息ができない。

肺がつぶれる。

前へ進もうともがくが、すぐに圧倒的な力をもって押し返される。



どれ程力を入れたとしても

どれ程心に誓ったとしても

どれ程憎しみを抱いたとしても


波は進むことを許さない。



「― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―       かは っ      」


右腕がひしゃげた。鈍くも確実に意識を刈り取る痛みに悶える

押し寄せる波は留まることを知らず、このまま俺を押し潰すだろう。

肺に残っていた僅かな空気が全て抜け出る。


触覚・味覚・嗅覚は既に潰れ、聴覚はひたすらに誰かの叫び声を拾う。


暗闇の世界に視覚は無く、何もない世界でただひたすらに波に押されながら誰かの怨嗟の声を聴き続ける。


沈む。

                    駄目だ、息ができない




しずむ。

                    感覚が消えていく。意識が遠のいていく




シズム。

                    瞼が降りてくる。









シズメ。

                     ――――――――――











「お兄ちゃん!!!」






突然、寧の声が聞こえる。

飲まれる俺を後に、寧が俺に助けを呼ぶ。

その声が、沈みゆく意識を引き上げる。

それは、心の中の幻のように。

あの日の夜、寧が連れ去られたあの夜のまま、

俺はその場所に居た。


寧を連れ去ろうとする「御使い」達は、当然のように波の中で平然と立っている。自らの使命をただ全うするだけの為に。




「―――――――――――――――――――――――――― 放せ。」





「お兄ちゃんっ!!!!!」


もう一度響き渡る寧の声。


その目はまだ絶望に染まっておらず、たどり着けることを確信していた。


もう、二度と手放すものか。

                必ず取り戻す。

もう、二度と失うものか。

                必ず殺す。


拳を握る。 歯を食いしばる。

潰れた右腕を千切り、左腕だけで波をかき分ける。





「―――――――――――――――――――― 放せよ。」







瞳に、光が灯る。

流された右腕の痛みを足蹴に、前へ、ひたすら前へ。


妹と過ごした記憶を辿り、足を動かす。

初めて寧に触れた時から、最後の夜の二人で見た星空まで。



顔を上にあげ、息を大きく吸い込み…















「――――――――――――――――――妹を、放せっ!!!!!!!」

















刹那、意識が現実に引き戻される。


寧の手を掴んだ幻想の右腕は、運命の刀を手にしていた。

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