最終話 エピローグ 新しい日常
バリスの街の何でも屋さんは今日も忙しい。
「マモル、今日はジルさんのところに行って牛の乳をもらったら、パン屋に配達して。私はスープを作ったら、ギルドに依頼が出てないか見に行くから。マインはどうせ起きっこないから朝は放置でいいわ」
「了解」
カリーナに頼まれて、目が覚めたばかりの僕はのんびりした足取りで外に出る。
朝霞が漂う、まだ薄暗い紺碧色の街は、人々が早くも活動を始めていた。
「よう、マモル、今日も早いね」
「おはようございます」
僕の病気のことはすでに理解しているはずだが、街の人々は普通に接してくれる。悲鳴を上げて必死に逃げ出したり、石やニンニクを投げつけてきたり、店を閉めたりしない。
なぜだろう?
吸血病が感染するということが分かっていない?
いいや、それはきちんと町医者のクロードに話したし、カリーナもマモルの血には絶対に触るなと近所の人に言っていたから、みんなも理解しているはずだ。言わなくてもコールドスリープ患者が難病であることくらいはみんな承知しているだろう。
ならば別の原因があるに違いない。
考えられるとしたら、この街の人々は『おかしな情報に惑わされていない』ということではないだろうか。
幸いにして記憶がほぼ戻った僕はマインが恋人ではなかったとちゃんと見抜けたけれど、僕がコールドスリープに入る前の時代は、ネットや動画で情報が一人歩きして、全く事件に関係の無い無実の人が殺人犯と疑われてしまったり、吸血鬼病の人間は空も飛べるといったようなデタラメな情報が公然と氾濫していた。
誰かが軽い気持ちで推測や嘘を言い、それを誤解した人々がさらに伝言ゲームで情報を歪めてしまう。動画を作る職人達が視聴率を稼ぐために、あるいはもっと何か他の目的か、わざと嘘を垂れ流すことも多かった。それは昔『テレビ局』という政府が管理した情報発信局があった時代ですら、大して変わらない状況だったと聞いたことがある。
無責任な情報。歪められた情報。
それがどれほど多くの人の心を傷つけるのか、追い詰めてしまうのか、金儲けだけしか興味の無い人間は想像すらしていないに違いない。だって相手の心が理解できたなら、もっと別の情報を出せるはずなのだ。
間違った情報しかないのでは、それは記憶が無いのと同じだろう。
なら、そんな情報、無い方が良い。無くたって良い。
その代わり、この世界には生きている人々の記憶がちゃんと存在している。
ネットや放送局が無ければ連絡が遅い。わざわざ歩いて手紙を渡す必要がある。まあ、だから僕らみたいな何でも屋の活躍する場所があったりもするのだけど。
「おはようございます!」
家畜の臭い匂いを我慢しつつ牧場の牛舎を訪れた。
ここは僕が正常でいるためには欠かせない聖地でもある。
「おう、マモル君か。ほれ、そこに今日の分が置いてあるぞ」
「はい、ありがとうございます、ジルさん。じゃあ、もらっていきます」
「あいよ」
牛乳のたっぷり入った桶を両手に提げて、えっちらおっちらと運んでいく。一度転んで盛大にぶちまけてしまったことがあるので、もう絶対に急いだりはしない。仕事は確実が一番だ。
「お……おはようございます」
届け先のパン屋の勝手口から入る。吸血鬼病患者は体力があるとは限らない。僕の腕はもうプルプルだ。
「あらあら、マモル君、ご苦労様」
パン屋のおばさんがひょいと桶を受け取って軽々と運んでくれた。職人さんスゲえ。
「マモル君、ちょうど今、最初のパンが焼き上がったところだ。これを持っていくといい」
パン屋のおじさんが僕に大きなフランスパンを渡してくれた。
「ああ、ありがとうございます。うわぁ良い匂い」
まだアツアツホカホカのパンは良いきつね色に焼き上がっていて、香ばしい匂いが全開だ。僕の食欲を激しくボディブローで攻撃してくる。僕のお腹はすぐにグウグウと降参し弱音を吐いた。
早く帰って食べたい。
「あちち、おいくらですか」
「いいよ、タダで。牛乳の手間賃だ」
「いや、それはちょっと困ります。依頼料で持って帰らないとカリーナの機嫌が悪くなると思うので……」
「はっはっはっ、それは別にちゃんとカリーナに来月渡すから、心配するな。そいつはただのオマケだ」
「ええ? いいんですか?」
「いいとも。さあ、朝食に持っていっておやり」
「はい! ありがとうございます」
「これも忘れずにね」
おばさんが僕の分の牛乳を革袋に詰めて渡してくれた。
「どうも」
今日のパンは、自家製苺ジャムで食べるか、バターで食べるか。スープに浸けても良し、それにマーマレードも昨日カリーナが作ってたなぁ。実に迷うところだ。
「よし、全部試そう!」
すっかり元気になった僕は走ってカリーナの家に戻る。
「ただいまー。カリーナ、パンをもらって帰ったよ!」
「おー、マモル、ナイスタイミング! じゃ、こっちもスープと目玉焼きがちょうどできたから朝ご飯にしましょ。マイン、皿を――ちょっとマイン! 起きてる?」
「んぁ、寝てる」
椅子に腰掛けた低血圧魔術師はだらしなくよだれを垂らし、テーブルを枕にしていた。
ダメダメだな。
「ほれ、これで目を覚ませ、マイン」
彼女のほっぺたにちぎったパンを当ててやる。食いついた。マインはその小さな口でパンをかじると、もしゃもしゃと咀嚼する。
「ん、美味し」
「うわ、きたなっ! ちょっとヤダ早くそこ、これで拭いて!」
「ん」
マインが布巾を受け取ると自分でテーブルを拭き拭きし、僕が皿を並べて朝食の準備が整った。
「では「「頂きます!」」」
三人で合掌して今日の朝食を頂く。
一人増えたが、後は何も変わらず、街の何でも屋さんはこうして何気ない日常を繰り返していくのだろう。そうして僕たちの新しい思い出も増えていく。
「んー、美味しいじゃない。アタシの料理の腕はホント天才ね!」
「牛乳うっめ!」
「むぐむぐ」
小鳥達が家の外で朝の楽しいコーラスを歌い上げ、朝日の差し込む食卓も賑やかで、目の前に一緒にご飯を食べてくれる仲間がいる。窓際の花瓶には僕が生けた青い五枚花。こうして僕を支えてくれたり、僕が支えてあげられる人達がいる。それらはなんだかとても幸せなことに思えた。そう、幸せかどうかは自分だけが決められる特権だ。
もう一つだけ、僕には分かったことがある。
それは流れ続ける砂時計のように、たとえすべてのものが減少し、底を尽き、無くなり、そして失ったように見えたとしても――人類は、その砂時計をひっくり返して再び前へ進むことができるのだと。
――生きてさえいれば。
P.S.天国の父さん母さん、それに真希、僕の病気はまだ治ってないけど、僕は人間として元気にやっています――マモル
――完――
コールドスリープで眠っていたら高校生の僕はうっかり寝坊して600年後の未来に来たようです まさな @masanan
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