第52話 石版に記されしもの


「フォリエ様、上の階に古代の石版があったそうです」


 僕が囚われの身になって数十分後――。

 入り口からやってきた一人の騎士が男爵に告げた。


「石版? そんなものはどうだっていい。ここに魔神エキドナを見つけたのだ。もっと良い物を探してこい」


「いえ、それが、調べたところ、『賢者の石』について書かれたものではないかと」


「おお! なんだそれか、それを早く言え、この間抜け」


「申し訳ありません」


「すぐにここに持って来させろ」


「はい、直ちに!」


 騎士がガチャガチャと鎧を鳴らしながら走って戻っていく。それを横目に眺めていたワルダーが男爵に聞いた。


「『賢者の石』ですか。確か……いにしえの錬金術で、鉄や銀を黄金に変えると言われるものでしたよね?」


「ふふ、確かに、最初はそのような目的であったようだ。だが、違うのだよ、ワルダー。この研究所に保管されている『賢者の石』は我が家に伝わる古文書によれば、『すべてを知り、すべてを操り、神となる』モノらしい」


「神に? さすがにそれは……」


 ワルダーが眉をひそめた。


「まあ、その古文書は文学的表現に富んでいて、現物を見るまでは定かでは無いがね。しかし、我が先祖はほら吹きでも宗教家でも無かった。旧世界を滅ぼした魔神エキドナも実在した。つまり、それはここに神に至る道が存在していてもおかしくは無いと言うことだ」


「ふむ……」


 ワルダーはまだ納得がいかない様子であごに手を当てて考え込んだが、男爵はそれを気にもとめずに続けて言った。


「いや、必ずあるとも! 不老不死の肉体、そして全てを司る頭脳、この二つがそろえば、全知全能の神も夢では無いのだ!」


 両手を高らかに広げ、有頂天になっている男爵は酷く危うい感じに僕には見えた。


「だが、それもこれも、この男の仲間が!」


 男爵は急につかつかと僕のところにやってくると、腰に差していた杖を使い、強く僕を殴った。


「ぐっ!」


 痛い。カリーナがエキドナの鍵を持って逃げたのがよほどお気に召さない様子だ。ただ、『賢者の石』については、僕は何も関係ないのだけれど、そこは八つ当たりだろうな。 


「おや? 血が止まっていますねえ」


 まずい、ワルダーが僕の腕の傷口が塞がっていることに気づいてしまったようだ。


「んん? 確かに酷い傷だったはずだが」


 男爵も不思議そうに僕を見る。


「おい、そいつの腕を切り落とせ」


 ワルダーが騎士に命じた。


「はっ」


「いいのか? その者は人質であろう?」


「まあ、死んだとしても、後ろ向きにしておけば、生きているかもしれないと仲間の方も勝手に思うことでしょう。問題はありません」


「いやはや、ワルダー、お前もこのような手管によほど優れていると見える。雇って正解だったな」


「お褒めにあずかり、恐縮です。おい、早くしろ」


「はい」


 騎士が剣を振り下ろす。


「ぐっ!」


 鋭い痛みが腕に走り、切り落とされるまでは行かなかったが、酷い傷を負わされた。


「さて、今度はどうでしょうねえ」


「さすがに痛々しいな」


 男爵は見たくないと思ったか、顔を背けた。


「うう……」


 僕は腕の傷口を隠す。縄で縛られているからできることはそれだけだ。

 出血が止まり、傷が塞がっていくのが自分でも分かった。


「おかしい、それはおかしいですよ! おい、もう一度だ」


「は、はい」


 ワルダーが命じて、また騎士が僕を斬る。


「ぐあっ!」


 再び、傷は塞がった。


「もう一度」


 ワルダーは冷徹に言う。

 五回、斬られたところで、騎士が叫んだ。


「もう嫌だ!」


「何ですって?」


「もうこんなことはしたくないと言ったんだ! 子供をいたぶるのは騎士の仕事では無い!」


 騎士が憤りを爆発させて叫ぶ。


「いけませんねえ、主の命令は絶対です。それに逆らう役立たずの意見なんて要りませんよ」


 パン!

 と乾いた音が広間に響き渡る。

 それは銃声だった。

 ワルダーが銃の引き金に指をかけており、胸を撃たれた騎士は痛みに顔を歪めながら己の鎧に開いた小さな穴を見、そしてそのままその場に崩れ落ちた。


「やれやれ、殺しすぎだぞ、ワルダー。いくら代わりが見つかるとは言っても、今の従者はここにいる者達だけだ」


「でも、従わない従者なんて意味が無いでしょう?」


「まあ、そうだが」


「従者は従者らしく、何も考えずに上に従って働いていれば良いのですよ」


 ワルダーは薄ら笑いを浮かべて言った。


「石版を持って参りました」


「見せろ」


 騎士が持ってきた石版を男爵にかざして見せた。


「ふむ……ここだな。――その石はいにしえより辰砂と推測されてきた。血の色に似た透明な水銀は理想に似た美しさなり」


 男爵が石版の文字を声に出して読んだが、どこかで聞き覚えがある一節だった。そう、確か、バリスの東に新しく見つかったダンジョンで見つけた祭壇の石壁に刻まれていた古代文字だ。


「ふむふむ、バヌピの生き肝を凍らせ、天日で七日乾かし、紅い石として結晶化せしめたものを服用すれば、毒性も消え、驚くべき奇跡の不老不死の丸薬となれり。その者、完全無欠にして神となるべし――か」


「バヌピとは何ですか? 聞いたことがありません」


「私もだ。おい、だれか、バヌピという動物を知っているか?」


 男爵が騎士に問うたが、全員首を振るばかりだ。

 ――だが、僕は思い当たる節があった。不老不死に最も近い動物、それはもしかしてVANP患者のことではないのか。バヌピとヴァンプ、発音も似ている気がする。


 この研究所はいったい何を研究していたのか。

 そのために何を犠牲にしていたのか。


 僕はただ深くため息をつくことしか、できなかった。

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