第49話 生命維持装置

 マインが扉のパスワードを破ったのと似た感じの呪文を唱えると、パソコンが緑色に光った。モニタの一つが切り替わり、いくつかのフォルダが開いた。


「これだ!」


 僕は出てきたテキストファイルをクリックして内容を見る。



『細胞不死化を人間に応用する際の問題点について』


 細胞を不死にするのはそう難しいことではない。老化に関係するテロメア――ギリシア語で『末端部分』を意味する遺伝子――に関係するタンパク質を抑制してやることでテロメアと老化現象の調節が可能である。


 しかし、テロメアが正常でない細胞は、無限に分裂するだけの無秩序ながん細胞となり、人間に害を及ぼし始め、最悪の場合は死に至る。我々の研究チームはこの異常ながん細胞を選択的に『正しく自殺(アポトーシス)』させることによって恒常的な細胞の入れ替え、つまり若返りを実現した。


 ただ、脳細胞の入れ替えは記憶や人格の欠落という新たな問題を孕んでいた――。


 

「ちょっと待って! 不死って、冗談でしょう? 不老不死なんてできるわけが――」


 カリーナが信じがたいと驚愕するが、僕は否定する。


「いや、彼らはほとんど成功していたみたいだ。僕が生きていた時代にも、iPS細胞を使った不死化の研究が進んでいたんだ。目や足みたいな、体の一部を再生したり交換することもすでにやっていたからね」


「そんなことまで……」


 気持ち悪そうな顔をしたカリーナは臓器移植も知らないようだった。


「ん、仕組みと問題点が分かった」


 マインが言う。


「入れ替えの回数を無限に重ねていけば、人間は記憶とそれに伴って自我もすべて失う。さっきの水槽に入っていた人達は記憶と人格のすべてを失い、ああして生ける屍になってる」


「そうか……記憶を全部」


 人間には地名を覚えるような『意味記憶』の他に、昔の思い出のような『エピソード記憶』、自転車を乗りこなすといったような動作の『手続き記憶』がある、と聞いたことがある。生きていく上で必要な、それらの記憶すべてを失ったとしたら――

 肉体の不死は成功したようだが、これで人は生きていると果たして言えるのか。


「じゃあ、あの人達は、もう目覚めることは無いってことなの? ずっとあのまま?」


 カリーナの問いに僕は静かにうなずく。


「そうなるだろうね」


 記憶を失うだけなら、また新しい記憶を覚えさせてやれば良いが、他の脳機能までも、思考や自我さえも失ってしまうのであれば、ずっと母親の腕に抱かれた赤ん坊の状態だろう。――いやそれよりもっと前、産まれる前の、母親の羊水の中にいる胎児のような状態かもしれない。自発的な呼吸もできないかも。自分を認識できない以上、彼らは意思も個性も持たず、何もできない状態がずっと続くはずだ。


 永遠に。


「どうにかできないのかしら? 何だってこんなことを」


「彼らもこうするつもりじゃなかったはずだけど、研究を急ぎすぎてしまったんだろう。普通なら動物実験をやってからのはずだけど、死にたくないと願う人々が、志願してやってしまったのだろうね……」


 研究が不死である以上、その目的や動機も明らかだ。

 不老不死は古今東西の様々な権力者達が追い求め、そして誰もが例外なく失敗し続けてきた。


「ここに、装置の停止方法が書いてある」


 マインが別のファイルをクリックした。僕が使っているのを見てパソコンの使い方を覚えたようだ。開いたウインドウの拡大ができないみたいだけど。僕は彼女に手を重ねてやり、新しいウインドウを見やすく真ん中に拡大してやった。



『生命維持装置の停止方法』


 緊急に、すべての装置の停止が必要な場合、入り口右の緊急用パネルを開け、レバーを下ろせば安楽死シークエンスが起動する。人権団体の声に配慮して、麻酔も自動で注入されるようになっており、『顧客』達はそのまま安らかな死を迎えるだろう。もっとも、ほとんどの『顧客』は、とうに痛覚さえも失っており、いくら法律上の義務とはいえ、はなはだ疑問の処置である。


『誰かさっさとレバーを下ろしてやれ! 彼らはモルモットか?』

 

 テキストPDFの下の方には、手書きで書き殴るようにそう付け加えられていた。 


「入り口右って、このレバーね」


 カリーナが赤いレバーが収まっているパネルを見つけた。


「ん、どうするの?」


 マインが僕を見た。


「ええ……?」


 僕にそれを聞くのか。


 おそらく『顧客』達の回復は見込めないだろう。彼らは二度と笑い合ったり、話すことは無い。だが『顧客』達はその状態を望んでいたはずはないのだ。もし今、彼らに一時的に意思が戻り、この状況が理解できたとしたら、死を望む人が多いのではなかろうか。ここが無人になっている以上、実験動物としての役割さえもない。


「――でも、僕らに彼らを殺すかどうかなんて決められない」


 僕は迷いながら考え抜いた末にその結論に至った。

 いや、結論とは言えないだろう。単なる卑怯な先延ばしだ。


「僕らは医者でも家族でも無いんだ。人の命をどうこうするなんて……」


 一度殺してしまえば、もう取り返しは付かない。

 人間は生き返らない。

 正直なところ、自分の選択が間違っていたときのことを恐れていただけだ。

 この研究所の科学者達も、きっと今の僕と同じ思いでレバーを下ろさなかったのだろう。

 ――いや、下ろせなかったのだ。


「あのさ、マモル。そんなに悩まなくても、殺す必要が無いなら、殺さなきゃ良いじゃない」


 カリーナが言った。


「え? ああ……」


「ひょっとしたら記憶が戻るかもしれないし、誰かが別の解決方法を見つけてくれるかも」


 カリーナが楽観的に言ったが、確かに今すぐは無理でも、これからも不死である彼らは生き続けるのだ。その長い長い間に、誰かが新しい解決法を見つける可能性はきっとゼロじゃない。

 ここの電力が持つ限り、諦めるのは早すぎる気がした。自動で電力が造られているなら、予算も気にしなくて良いじゃないか。


 何より、僕自身がコールドスリープで六百年の時を超えたのだ。もしその間に、誰かがこいつは一文無しだから可哀想なんて言って電源を切っていたらと思うと、勘弁して欲しかった。未来には可能性を期待したい。僕は未来を信じたい。


「僕は馬鹿だな。カリーナ、ありがとう。君のおかげで、未来の僕を殺さずに済んだよ」


「ええ? 意味が分からないんだけど」


「ふふっ」


「ん、カリーナ、これがあなたたちの探しているクリスタルチップかも」


 マインが別の机から半透明のメモリースティックを見つけ出していた。


「あっ! それよ。あの眼鏡親父が依頼してきたのと同じ物だわ」


 これで僕らは依頼達成、大金を手に入れる、か――。


「なあ、カリーナ」


 僕はカリーナに話しかける。


「なあに、マモル。今ならアタシ、何をお願いされてもたいていのことはオーケーしちゃうかも」


「なら、一つ提案だ。そのクリスタルチップ、いや、この研究所も見つけられなかったことにしないか?」


「気が合うわね。アタシもそれを考えてたところ。あの眼鏡親父はどうにも信用できない感じがしてるのよ。あいつ、ひょっとしてここと同じ研究所を作るつもりじゃないかしら?」


「あり得るね」


 研究内容を僕らに秘密にしていた時点で、あの男に後ろめたいことがある気がしてならない。

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