第9章 新たな依頼

第41話 眼鏡の紳士

 しばらくビクビクしながら暮らしていた僕だったが、領主はバリスの街に来ることはないようで、街に滞在する兵士も僕を見ても普通に笑顔で挨拶するだけだ。

 兵士達はこの街の出身だそうで、領主の命令には逆らえないが、今は特に命令が出ていないから、捕まえる必要も無いのだと言ってくれた。

 次第に僕も安心して街を出歩けるようになった。


 そんなある日、ジル牧場で牛乳を受け取った僕とカリーナが家に戻ると、見慣れぬ二人組の男が玄関口の前で待っていた。


「君がカリーナ君かい?」


 古風なフロックコートに黒いシルクハットを被った老人が聞いてきた。背筋は少し曲がっており、顔に深く幾重にも刻み込まれたしわがあった。肌のあちこちにある染みを見る限り、かなりの高齢のようだった。両目には瓶の底をそのままくりぬいたような分厚い丸眼鏡を掛けており、口元には穏やかな笑みを浮かべているものの、どこか異様な雰囲気がある。


 もう一人は体格の良い騎士で、こちらは鉄の鎧を着込んでおり、眼鏡紳士の連れのようだ。


「そうだけど、あなたたちは? まさか、領主の回し者なの?」


 カリーナが当然、警戒する。


「いやいや、安心したまえ。ワシらは領主とは無関係だ。今日は腕利きと評判の、『バリスの何でも屋』に依頼クエストを頼もうと思ってね」


「へえ、よその街から指名クエストだなんて、アタシもちょっとは有名になったみたいね。フフ」


 おだてられて素直に喜んだカリーナだが、逆に僕はこの客は嫌な予感がした。

 だいたい、自分の住んでいる街で冒険者ギルドで依頼を出して募集すれば済むことを、なぜここまでやってきたのか。腕利きが本当に必要なのであれば、この仕事、かなり手強いと見た。


「あっと、ささ、どうぞ入って。マモル、お茶を頼んでもいいかしら?」


「それはいいけど……」


「じゃ、お願いね。言っておくけど、お爺さん、アタシは高いわよ?」


 相手が金持ちと見て、カリーナもふっかけるつもりらしい。このあたりは本当にしたたかだ。  

「そうだろうとも。まずは前金として金貨一枚でどうかね?」


「き、金貨ですって! 偽物じゃないでしょうね?」


 カリーナは驚いた後で疑り始め、受け取った金貨を確かめ、歯で噛んだりしていた。


「どうぞ、お茶です」


「ありがとう」


「うーん。この金貨は本物みたいね。よく分かんないけど」


「本物だとも。ワシは金には困っていないからね」


 それは本当だろう。護衛らしき騎士を雇い、身なりも随分と良い。貴族なのだろうか?


「いいわ、じゃあ前金で金貨一枚、成功報酬は二枚ってところでどうかしら?」


「いいだろう。では、まずはこれを受け取ってくれ」


 老人が懐から取り出した物をテーブルの上に置いた。


「これは……?」


 カリーナには分からなかったようだが、僕には見覚えがあった。スマホだ。

 しかし、この時代に残っているとなると、それだけでかなりの価値がありそうだ。しかも驚いたことに電源もきちんと入っていて、時間まで表示されていた。237年とあるが、今は大陸歴だったな。


「こいつは端末デバイスだよ。まずこれの操作を覚えてくれ。なあに、そう難しくはない。ここを指で押して、いや、軽く触るだけで良い。乱暴に扱って壊してもらっても困るからね」


「壊さないけど、お爺さん、アタシに旧世界の代物を修理しろなんて頼んでも無駄よ?」


「いやいや、修理は必要ないさ。これはきちんと動いている代物だ。ここを押せば、地図が出る。現在地はここだ」


「へえ、この赤い点滅が今、私達がいる場所なのね?」


 立体空中ホログラムが出現し、バリスの街の位置が示されていた。地名だけは静岡となっているが、それ以外の駅や道路やビルの名前など、この時代では全く意味をなさないものだ。


「そうだ。飲み込みが早いな」


「『何でも屋』を馬鹿にしてもらっちゃ困るわね。アタシだって地図くらい読めるさ」


「それは済まなかった。ワシの依頼は、ここから北に向かったこの地点、この研究所に行ってある物を取ってきてもらいたい、それだけだよ」


 眼鏡紳士は北の海沿いの地点を指さした。そこに目的地を示す黒い二重円が示されている。


「研究所?」


「つまりね、カリーナ、何かを調べたり、分析したり、そういう場所さ」


 カリーナは知らないようだったので、僕が代わりに説明してやった。


「ふうん。それで、『ある物』って?」


「これだ。これと同じモノが必ずそこにあるはずだ。それを取ってきてもらいたい」


 眼鏡紳士が五センチほどの透明なスティックを見せてきた。これも旧世界の代物で間違いない。精密な形の直方体だ。だが、僕はこれを見るのは初めてで、何に使うものかはよく分からなかった。


「なあに、これ。ガラスなの?」


 カリーナが眼鏡紳士からそれを受け取ってよく見ようとしたが、老人はそれを良しとせず、ひょいと手に隠してしまった。他人には渡せない大事なモノらしい。


「いいや。ガラスなどではない。これは『クリスタルチップ』と言うモノじゃ。ガラスよりも軽く、固い。ま、形を見ればすぐに分かるだろう」


「そうね。で、何に使うモノなの?」


「それは君が知らなくても良いことだ。私はコレクターでね、これと同じモノが欲しい。君はそれを見つけて私の元へ持ってくればいい。それだけだ。どうだね、難しい話ではないだろう?」


「そうね」


 カリーナはうなずいたが、このまま引き受けそうな雰囲気だ。


「カリーナ、ちょっといいかい?」


「ダメ。マモル、分かってる? 金貨よ、金貨。この大仕事は『何でも屋』の沽券こけんに懸けても、引き受けるわよ」


「うーん……分かったよ」


 カリーナも引っかかる点はあるようだが、僕は彼女に雇われている身分なので、何か嫌な予感がするというだけの曖昧な理由では、もうやる気になってしまっている彼女を止めようが無い。


「さあて、それじゃすぐに出発しましょ!」


 何に使うのか分からないモノを運ぶ、それはドラッグの運び屋と同じなのではないか、とも僕は思ってしまったが、それはドラッグと無縁のカリーナに言っても理解してもらえそうになかった。

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