幕間 嵐の夜に
第36話 雨と悲鳴
「こりゃあ、台風が来るね」
依頼で家にパンを届けたとき、外を見ながらおばあさんが言った。
つられて空を見ると、重そうな鉛色の雲がゆっくりと動いていた。雲が混ざって濁った太陽の光は弱々しく、台風かどうかはともかく一雨来そうな感じだ。
「大変、じゃあ、みんなに報せて家の補強をしないと!」
カリーナが言い、僕らはまずギルドに行って台風の事を報せると、木こりのヨサックさんのところで板を大量に買い付け、道具屋に運ぶことにした。
「くそっ、こんなことなら、釘も大量に仕入れておきゃあ良かったぜ」
道具屋の主人が愚痴るが、無いものは仕方ない。
「次は忘れないでよ。さ、アタシ達はまず自分の家、それから他の人の家を手伝うわよ」
「了解」
街では人々が屋根に上がったり、窓に板を打ち付けて、家の補強を大忙しでやっていた。コンクリートでは無く、木造建てがほとんどだから、強い台風はそれだけで脅威のはずだ。建築技術の強度も旧世界とは比べものにならないのだろう。
だが、街の人々に悲壮感は無い。やれ大変だ、台風なんて来なきゃ良いのにとブツブツ言いながらも、忙しなく手を動かしている。子供達もしっかり手伝いをやっていて、僕は感心した。
「みんな頑張ってるね」
「当たり前でしょ。こういうときはみんなで助け合わないと」
カリーナが言ったが、その通りだ。
あとは台風が過ぎ去るまで、じっと家の中で待つだけだろう。
窓に板を打ち付けていると、僕は手元が狂って思い切り自分の指を金槌で叩いてしまった。
「いって!」
「大丈夫? マモル。君ってば、器用そうに見えて不器用なんだから、気をつけてよ」
「ああ」
慣れないことはするもんじゃないな。
だが、これからこの街で生きていこうとすれば、必要になるはず。日曜大工くらいのスキルは身につけておいた方がきっと役に立つ。何でも挑戦だ。
「よし、だいたい済んだわね」
「うん」
「二人とも、ありがとうねえ」
おばあさんが喜んでくれた。
「いえ」
「良いのよ、お礼なんて。こういうときだから、助け合わないと。さ、次の家に行こう」
「ああ」
てんてこ舞いの忙しさだが、いつもよりもやる気が出た。純粋に人の役に立てて、人々も喜んでくれる。それはきっと良いことに決まっているのだ。
「お疲れ様。マモル、風も強くなってきたし、もういいわ。あとは家の中でじっとしていましょ。こういうときに外に出て怪我をする人達が多いんだから」
「そうだね」
僕はカリーナに同意して、手伝いを切り上げて自分たちの家に戻った。
どうやら本当に台風が来たようで、家の外では風が轟々と荒れ狂い、壁や柱がきしむ音がする。
「カリーナ、この家、本当に大丈夫なの?」
僕は不安になった。この時代では、避難所などというありがたい物は期待できそうに無い。せいぜいレンガ造りの病院が頑丈そうだったが、あそこに行くと嫌がられるだろうし。
「うーん、前の台風の時には持ったから、大丈夫でしょ。マモルは心配しすぎ」
僕はカリーナは楽観過ぎると思ったが、今更できることもない。
「あっ、ここも雨漏りしてる、まったく」
天井から落ちてくる水滴の場所に鍋を置き、それが何だか面白い。
「ここもだね、おっとここもだ!」
雨漏りは僕が逃さない! スーパー雨漏りキーパー、マモル、ここに見参ッ!
「なんでマモルは楽しそうなのよぅ」
「ええ? ごめん。ちょっとあんまりこういうことはやったことが無くてね。だからだよ」
「ふうん。旧世界は良い家だったって聞いたけど、雨漏りも無いなんて良いわねえ」
「そうだね。まあ、でも、台風が過ぎれば、また乾くだろ?」
「まあね」
なら問題無いだろう。台風はいつか過ぎ去るのだ。
やがて夜中になると台風も峠を越えたのか、風が緩んできた。
「マモル、マモル」
囁き声でカリーナがドアの向こうから僕の名を呼んできた。
「どうしたの?」
ドアを開けると、カリーナはついさっきまでベッドで寝ていたのか下着姿だったので、僕は視線を彼女の顔から下に向けないように注意せねばならなかった。そのカリーナが僕の気苦労など気にしたふうでもなく言う。
「さっき、女の人の声が外から聞こえたのよ」
「ええ? まさか」
風が弱まったとは言え、こんな時に出歩く人はいないだろう。いや、ここに助けを求めに来たなら別か。
「ちょっと外を見てくるよ」
「気をつけてね」
いつものカリーナなら真っ先に自分から出て行きそうなものだが、まあいい。
玄関のドアを開けると、やはり風が強く吹き込んでくる。僕は家の中に雨風が入らないようにきちんと閉めてから、家の周りを回ってみることにした。雨が風に煽られ横殴りに僕の顔を打ってくるが、冷たい。
「いないな……」
視界が悪いが、この家に助けを求めてきたなら、玄関の前にいるはずだった。
しかし、誰もいない。
とうとう僕は探すのを諦め、家の中に戻った。
「ふう、誰もいなかったよ」
「そう……とにかく、びしょ濡れじゃない、ほら、これで拭いて」
手ぬぐいを渡され、バケツの上で吸った水を絞りながら使う。カリーナも僕の髪を拭いてくれた。
「ふう、ううっ、寒いな」
体が震えてきた。
「着替えた方が良いわ。竈の火を付けるから、そこで暖まって」
一度着替え、台所の竈の前で暖を取る。暖炉も別にあるのだが、煙突から入ってくる雨水のせいでそちらは使い物にならないようだった。
「でも、何だったんだろう、あの声。怖いわ」
カリーナが両手で肩を抱えて怯えた。
「ええ? きっと風の音を聞き間違えたんだよ」
「絶対、違うもん」
なんだかカリーナらしくない。
「ひょっとしてお化けが怖いの?」
「なっ! そんわけはないでしょう!」
図星か……。まあ、人間、誰しも怖い物が一つくらいあるのが
「まあいいけど」
「何よ、マモルのくせに」
腕組みして不機嫌そうにそっぽを向いたカリーナは、竈の炎に照らされているせいか、顔が少し赤かった。
「あっ、まただわ」
「ええ? あれ?」
風の音に混じって、「ああー」という女性の悲鳴のような声が微かに聞こえた。
「どうしよう! マモル!」
カリーナが怖かったようで僕に抱きついてくる。
「いやいや、もし人がいるなら、助けないと。ちょっと出てくるよ」
今度は濡れても良いように服を脱いでから、外に出る。さすがに女の子の前で全裸になる勇気は無いので、上着だけだけど。
「誰かいますかー!」
風に向かって僕は叫んだ。反応は無い。いや?
「ニー、ニー」
「なんだ、猫か。おいで」
びしょ濡れで痩せこけた猫が助けを求めるように鳴いていたので僕は手を差し伸べてやった。
猫は少し警戒して身を引いたが、猫マスターのこの僕に掛かればチョロいものだ。
「ほら、チチチッ、餌をあげるから」
野良猫らしきそいつは、ようやく近寄ってきた。そこをサッと抱き上げて、ミッションコンプリート。
「ほら、猫だったよ」
僕は家の中に戻って、カリーナにその黒い子猫を見せてやった。
「なーんだ、猫だったんだ……。あー、良かった」
カリーナがほっと胸をなで下ろした。
「じゃあ、拭いてやらないと、いててて、おい引っ掻くなよ」
「ニー」
床に降り立った猫は「気安くレディに触らないで」とでも言いたげに一声鳴くと、ぷいっと顔を背け、テーブルの下に隠れてしまった。そしてぶるるっと体を震わせて水を散らす。
「マモルが助けてあげたのに、困った子ねえ」
「ま、ラムネの瓶に入り込んだアブよりはマシだよ」
僕は言う。なにしろ、こっちはずっと簡単に助けられそうだ。
「は? なにそれ。意味分かんないんだけど」
首をひねるカリーナをよそに、僕は上半身裸のまま、手拭いを持って手強そうなレディに迫った。
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