第35話 不可解な世界と料理の謎

「さあ、メインディッシュは早くも、早くも三人に絞られたぁ! 前代未聞の事態、これでは食いっぱぐれも多く出そうだ! あー、押すなよ、危ないから。そこっ! 今年がダメでも来年があるぞ!」


 司会者が言うが、今の食欲を来年まで待てと言う方が酷だろう。審査員が我先にと前に出ようとするのを、係員が必死で抑え込む。だが、多勢に無勢、このままでは本当に調理場まで押し倒しそうな危険な雰囲気だった。


「よし、なら、クエストだ! 審査員を押しとどめた冒険者には、報酬としてメインディッシュとデザートも食わせてやるぞ!」


 司会者が言い、それで引き受ける冒険者も出てきて、ようやく均衡が保てた。僕もほっとする。


「さあっ、できた! マモル! 一番に食わせてあげるから、こっち!」


「ええ?」


「おーっと、カリーナ、マモルを呼んだぁ! これは意味深です。若い男衆から、やっかみのブーイング!」


 カリーナも人気があるなぁ。戸惑ったが、背中を押されて僕はカリーナの元へ行く。


「ほら、遅い、冷えちゃうでしょ」


「またボリュームがあるなぁ」


 ステーキは小皿用に切り分けられていたが、それでもサイズがおかしい。僕はちょっと固い肉を箸で苦労しながら頬張った。幸い、塩胡椒もしっかり利いていて、火もちゃんと通っているから、味の方は美味しく食べられた。


「次はアタイだよ。さあ、どんどん食べとくれ。マモル、さあさあ、こっちだよ」


「ええ? もう、ちょっと腹が」


 オードブルやステーキを食べたせいで、腹がぽっこりして苦しい。しかし渡された小皿の上に乗るオムレツはふわりとしていて、実に美味しそうだった。


「おお、旨い!」


 バターの独特の風味が良いアクセントになっていて、食が進む。


「マモルさん、次は私の番ですよ」


 テオドラが笑顔で呼んでくれたが、正直、彼女の料理が食べられるかどうか怪しい。僕は彼女に言った。


「ごめん、腹がいっぱいで、食べられるかどうか」


「あら、残念。でも、一口だけ、どうですか?」


「なら、一口だけ」


「はい。私の料理は、肉じゃがですよ」


 テオドラがジャガイモの塊一つとニンジンの塊の一つ、それだけを少なめに皿に入れると僕に渡してくれた。


「ああ……これは……」


 ゆらゆらと立ち上る湯気の香りを嗅いだだけで、僕はとても懐かしい気分になった。

 醤油だ。


「ハフハフ」


 ジャガイモを箸で二つに割って口に放り込むと、ほどよくジャガイモに染みこんでいた味が舌の上で良い感じに溶けていく。ジャガイモの甘みを殺さず、それでいて食欲のそそる優しい味わいに仕立て上げられており、作り手の丁寧な性格がそこに表れているかのようだった。


 まるでテオドラが「私を食べて」と両手を広げて言っているような錯覚にさえ陥り、僕は彼女の魅力にあっさりと負けてしまった。


 許せ、カリーナ。

 この肉じゃがはそれほどの味だ。

 しかも、どことなく、母さんの味がした。


「おお、こりゃうめえ」


「お代わりだ!」


 他の審査員達も、掻き込むようにして肉じゃがを頬張っている。


「女王テオドラ、さすがは国王陛下じきじきに『料理女王』を名乗ることを許された逸材! 圧巻の攻撃力だぁあああ!」


「ふふっ、やっぱり、焼いただけの肉じゃあ、料理と言えませんよね」


 うわ、テオドラがさりげなく毒を吐いた。


「なっ……くうっ、まだよ、まだデザートがあるッ!」


 カリーナはまだ諦めてなどいない。ぜひここは頑張って欲しいところだ。


「こちらも、デザートですよ、ふふっ」


「こっちも胡麻団子だよ! さあ、食べとくれ」


 テオドラは僕が昨日試食したクッキーの上にホイップと葡萄を載せた感じのカナッペ、女将は白団子をあんこに包んで胡麻でさらに武装した胡麻団子を配り始めた。

 対するカリーナは……。


「ああっ! あの、あの白いぷるぷるはッ!」


 僕はそれを見た瞬間、戦慄を覚えた。そう、それはまさしく、乳白色。僕が愛して止まない牛乳の色である。


「アタシはミルクババロアだッ! これで最後の勝負を賭けるッ!」


 勝利だ、そこには勝利しかあり得ない。

 僕は人混みをかき分けるようにしてカリーナの元へ行き、恭しくそのババロアの小皿を受け取った。そのぷるぷるは艶めかしく光沢の白い肌を惜しげも無く晒していて、おお、ミルクの女神よ、あなたを僕の口に入れることをどうかお許し下さい。

 僕は震える手で木のスプーンを持ち、ぷるぷるに差し込んで口に含む。


「んんんんん――ッ!」


 甘く広がる乳白色の世界。

 牛乳にココアを入れるか紅茶を入れるかで悩んだ物理学者もいたようだが、いや、それは詩人であっただろうか。


 もはやどちらでもいい。

 牛乳はその美しき純粋な純白の味を維持したままで、さらに砂糖の甘さが加わり、凶悪なほどの破壊力を秘めていたことは言うまでも無い。それは母から子に与えられる生命のエナジーにして神々の飲み物ソーマではなかろうか。


「ふふん、やっぱりマモルは牛の乳を飲ませておけば良いのよ」


 カリーナが勝ち誇った嘲笑を浮かべるが、そうとも、小馬鹿にされようとも、牛乳には勝てぬ。


「勝者ッ、カリーナッ!」


 食べ終わった僕はその場で絶叫した。魂の叫びである。


「おい、勝手なことを言うな。カリーナの勝利だと思う人! はい、手を上げて!」


 もちろん僕はまわりの賛同者と共に天を突く勢いで手を上げる。


「ええ? なんですか、それ」


 それを見て納得がいかないという表情をしたテオドラだが、そこは仕方ない。


「次、テオドラの勝利だと思う人!」


 世界は神秘と謎に包まれている。カリーナの勝利はもはや動かぬと確信していた僕は、そこには不可解なモノがあると思い知らされたのだった。

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