第32話 デザート
「ここが私のお家です」
夢心地のままに彼女が僕を案内してくれた家は、ごく普通の庭付きの家だった。カリーナの家より大きい。庭には鉢植えがたくさん有り、綺麗な花々が飾られていた。
「さ、どうぞ。散らかっていますけど、入ってください」
「お、お邪魔します」
女子の家に上がり込む。それは男子にとって大きなマイルストーンの一つであろう。具体的に想像した事なんて一度も無かったけれど、今、確実に僕は大人の階段を一つ昇った気がする。女の子の家に家に厚かましくも押しかけるなどと、本当に僕の面の皮の厚さに今日は乾杯だ。
「そこに座って待っていてください。今、お茶を入れますね」
「いえ、お構いなく」
台所らしき隣室にお茶を用意しに向かった彼女を待つ間、僕は居間の長方形のテーブルの椅子にちょこんと座り、部屋の様子を見回して観察した。
板張りの壁や床は丁寧な仕事ぶりで、やや年季が入っているものの、旧世界の建築物に比べてもそう劣る感じはしなかった。僕がこうして座っているテーブルにはきちんと白いクロスが掛けられており、上品な印象を受ける。女性がいる家はやはり違うのだな、などと思ってしまった。
カリーナの家はむき出しのテーブルだったからなぁ……。今度、お金が貯まったら、お世話になっているのだしテーブルクロスをカリーナにプレゼントしよう。
窓際には洒落た形の花瓶が置かれており、綺麗な花も生けてある。花瓶もプレゼントしないと。棚にはゴツいベルトと剣が置かれており……ここのお父様の物だろうか。見かけないが、ご在宅でいらっしゃる? それとも今はお出かけ中なのだろうか? 急に帰ってきて「おい、誰だ、その男は!」などいうヒヤヒヤの展開にならなければ良いが……。
「お待たせしました。どうぞ」
心配していると彼女がお茶を急須ごとお盆に載せて持ってきてくれた。
「頂きます」
注がれたお茶を飲むが、おう、緑茶だね。カリーナの家では麦茶が良く出てきたが、この季節だとやはり緑茶に限る。少し熱いお茶をフーフーしながら飲んで、ほっと一息。その間、彼女は僕を興味深そうにじっと見つめていた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。お代わり、召し上がりますか?」
「いえ、それより、依頼の件について……」
「ああ、そうでしたね、ごめんなさい、私ったら。男の子を家に招いたのは初めてだったので、なんだかどうしていいのか分からなくなってしまって」
「いえ。ちなみに、お父さんは……」
聞いてから、しまったと思ったが、ここで今は出かけていますなどと彼女に答えさせてはいけない気がした。別に変な目的でやってきたのではないのだが、彼女を緊張させてしまってもまずい。
「あ、えっと……」
「いえっ、変な事を聞きました! 答えなくても良いです!」
「いえ、そんな、そんな風に言われるとかえって困ってしまいます。別に変な事では無いですし。実は父は、二年ほど前に森の主を倒しに向かって、そのまま……帰らぬ人となってしまいました」
努めて明るく微笑んだ彼女だったが、それまでの笑顔と比べると悲しみが心を覆っているのは完全に明らかだった。少し浮かれていた僕はハッとして反省した。
「すみません、余計な事を聞いてしまって……」
「いいえ。いいんです。一人暮らしの娘が、男の子をいきなり家に招くなんて、やっぱり警戒されますよね」
「いえ……つまり、僕にその森の主を倒せという依頼ですね?」
薪を割るよりもずっとハードな、下手をするとアルティメットモードかもしれないが、それでも、彼女がうなずくなら、僕は本気で倒しに行くつもりだった。
「い、いえ、違います! そんなこと、とても頼めないですし、本当に危ないですからやめてください」
彼女は慌てたように手を振ったが、どうやら違ったようだ。ふう。
森の主がなんなのか、僕は彼女に問いただしたかったが、それは父の死を思い起こさせることに他ならないのであって、それを聞くのは躊躇われた。
「私がマモルさんに頼みたいのは、私の料理を味見してもらえないかと思って、今日は来てもらったんです」
「そうでしたか……あれ? 僕は自己紹介、しましたっけ?」
彼女が僕の名前を口にしたが、こちらは名乗った覚えが無かったので混乱する。
「あ……うふっ、バレちゃいましたね。実は、私、噂で耳にして、あなたのこと知ってたんです。ごめんなさい」
「そうですか。まあ、有名なのかな?」
「はい。失礼ですけど、コールドスリープ患者ですからね。マモルさんは。この街で知らない人はいないと思います」
「そうですか」
街のあちこちでよく名前を呼ばれる気はしていたが、僕が有名人であることは過去も現在も変わらないようだった。ただ、今のこの街の人々に、僕に対する悪意は全く感じられない。
「じゃあ、約束ですよ。私の料理、食べて下さいね」
「はあ、それは喜んで食べますけど……ああ、ひょっとして料理大会に?」
僕は彼女の目的がようやく分かった気がした。
「ええ、そうなんです。でも、一人で味見していても、味がよく分からなくなってしまって。できればアドバイスをもらえると嬉しいです」
「なんだ、そういうことなら、ええ、全面的に協力しますよ。任せてください」
僕も笑顔で言う。
「わぁ、ありがとうございます。良かった」
両手を斜めに合わせて喜んでくれると、こちらとしてもなんだか嬉しい。
「じゃあ、まずはクッキーから持ってきますね」
「はい。メニューって、料理大会は何か規定みたいなものがあるんですか?」
「はい、エントリーした一人の料理人につき、三種類までなんです。だから、オードブル、メインディッシュ、デザート、これが普通ですね。中には全部メインだけで勝負してくる人もいらっしゃいますけど」
カリーナはあの性格なら全部メインで勝負だろうな。まあいい。ライバルを応援する形になってしまいそうだが、これも依頼なのだ。だいたい準優勝の実績があるというカリーナなら問題ないだろう。
「ちなみに、あなたの名前は……」
「あ、はい、私はクリスティーです」
良かった。カリーナが宿敵としているテオドラでは無かったようだ。少しほっとする。テオドラと言うからにはごつい男か、恰幅の良い女将さんが名前のイメージとして思い浮かぶ。それに比べ、クリスティー、ああ、なんて上品で可憐で良い響きの名前なのだろう。彼女にぴったりの名前だ。
「では、マモルさん、どうぞ召し上がれ」
彼女の自信作の一つ、デザートのクッキーが僕の前に出された。
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