第31話 なんでも屋の掟

 冒険者ギルドで換金を済ませた僕はカリーナの家に戻ったが、彼女はすでに材料を全て集めていたようで、台所でせっせと料理に励んでいた。


「ただいま、カリーナ」


「ああ、お帰り、マモル。木の実は?」


「ちゃんとあるよ。たくさん採ってきた。というか、半分は人からタダでもらったんだけどね」


「そう、親切な人がいてくれたわね。それだけの量があれば、そのまま冒険者ギルドで換金できたでしょうに」


「そうだろうね。ちょっと失敗したな」


「何が?」


「もらったこと」


「意味が分からないんだけど。じゃ、まあ、それはそこにでも置いといて。今日はとびっきりの料理を作ってあげるから、期待してていいわよぉ?」


「それは楽しみだね」


 張り切るカリーナを見ているのもなんだか楽しい。

 彼女は何も悩み事など無いように振るまい、今をただ生きている。


 もちろん、彼女にだって色々複雑なことはあるはずだし、過去に僕と同じようなコールドスリープ患者を連れ帰っていたのなら、その後の彼らの運命は決して報われるようなものであったはずもなく、優しそうで少しお節介なカリーナがどんな目に遭ったかを考えると、少し憂鬱だった。


 その話を聞くのが怖い。


 僕はあまり自分の死について実感が湧かないため、他人の死についても軽く考えている可能性があった。そうなると、そこに感情の分断が生まれ、僕は他者との共通の認識を持てないことになる。人にとって、もっとも平等であるはずの死ですら、僕は他人とは同じ感覚で語り合うことも慰め合うこともできはしないのだ。

  

「できたッ!」


 カリーナが会心の声をあげると、鍋掴みで掴んだ深鍋をテーブルの中央にでん!と置いた。


「カリーナ特製、クラッシャー・シチューよ!」


「それは……なんだか破滅的に凄そうな料理だね」


「まあ食べてみてよ」


 僕の一抹の不安をよそに、カリーナは自信満々の表情でシチューをお玉で掬うと僕のお椀に入れてくれた。八島家のシチューと言えば、ご飯にそのままかけて食べる料理であったので、目の前の少し怪しげなシチューよりも、僕は懐かしの家の料理を思い出してしまう。


「「頂きます!」」


 それでもお腹は空いていたので木のスプーンで掬って一口すすってみる。


「どう?」


「あれ? 美味しいな」


 滑らかなミルクのコクに野菜の味が優しく染みこみ、さらに砕いて入れた数種類の木の実が面白い食感を演出してくれる。人参と玉葱の甘みに炒った胡桃が香ばしさを醸しだし、肉の旨味も効いていた。


「ちょっと待ってマモル、今の反応は何かおかしいでしょう。私の料理の腕、ちゃんと知ってるでしょ?」


「いやいや、ごめん、別にカリーナの腕を疑ったわけじゃないんだ」


 これは料理の腕じゃなくて、ネーミングセンスの問題なのだろう。きっと。


「うん、カリーナは良いお嫁さんになれるよ」


 二口目を味わって、僕は太鼓判を押してやった。


「ええ? な、何よ……マモルのくせになんか生意気」


 カリーナが照れてしまったが、素直に褒めたのに生意気などと言われては僕も心外だしちょっと不満だ。雰囲気がなんだかおかしくなりそうだったので、ここはからかっておく。


「ああ……ごめん、ひょっとしてお婿さんを目指してたとか?」


「違ーう! アタシは女だっての! この胸を見なさい!」


「い、いやいや、それはもう分かってるから。脱がなくて良いから!」


 そんな慌てるハプニングもあったが、その日の夕食はいつも以上に楽しく美味しいものとなった。

 

 翌日、カリーナは朝から料理大会に向けた特訓とメニュー開発に取り組むそうで、台所で「おりゃー!」とか「ふぬっ!」「まだまだぁ!」とパン生地か何かをテーブルに叩きつけつつ、壮絶でどこか滑稽な取り組みをやっていた。おかげで僕はパンと牛乳だけの朝食となったが、うん、やっぱ牛乳が一番うめぇわ。


 ごめん、カリーナ、僕は自分に正直にありたいんだ。自分の味覚に嘘はつけない。ごまかせない。いくら親しくても、いや、親しいならばこそ、美味しい物には美味しい、まずい物にはまずい、そのように偽りない言葉を伝えた方が、きっと本人も喜んでくれるだろう。ま、カリーナの料理も普通に美味しかったんだけども。


 牛乳には敵わない。

 そのどこまでも純白で純然で純粋な美しい色、爽やかな味を想像せずにはいられない軽やかな液体の絶妙な粘度、そして口に含んだときの幼き記憶から蘇りそうな母の腕の温かさ、ゴクリ、と飲み込んだときの喉の爽快感と舌に余韻として残る濃厚な旨味とコク――。だから僕は「牛乳うっめ!」と心の奥底から魂の叫びと喜びをカリーナに伝えたのだが、「牛乳バカはあっちに行って!」と不機嫌そうに言われ、追い払われてしまった。あの様子だと、勝負料理に牛乳は入れてくれないようだ。


 仕方なく僕は一人で歩いて冒険者ギルドに向かったのだが、途中で昨日の少女に出会った。清楚な柄物のリボンで髪を結った森の少女だ。


「あ……」


 僕は思わず立ち止まる。彼女も僕を見て「あっ」と小さな声を上げると、優しく微笑んだ。


「こんにちは」


「ど、ども」


「ふふっ、冒険者さんは今からギルドですか?」


 その子が楽しそうに僕のすぐ近くまで歩み寄ってきて、小首をかしげつつ聞いてくる。なんだろう、この面はゆい高揚した気分は。秋なのに春な気がしてきた。でも気分はもう真夏だ。いや、もう自分でも何を言ってるか分かんない。


「ええ、そうです」


 その少女にたった今、何かを聞かれたのは覚えているのだが、肯定して良かったものかどうなのか。だが、僕は反射的にそのままうなずいていた。


「やっぱり。でも、ちょっと残念です。またあなたとお話できるかと思って、私今、ちょっと浮かれちゃいました」


「いやー、はは」


 前屈みにぐっと顔を寄せて上目遣いに僕を見てくる彼女の視線が妙に心地よく、自分が舞い上がってしまっているのが分かる。


「あ、そうだ、もし、忙しくないようでしたら、冒険者さん、私の依頼、受けてもらえませんか」


「ああ、はい、別に良いですよ?」


「良かった。これで払わなきゃいけない手数料が浮いちゃいましたね。ふふっ」


「はは」


「じゃあ、さっそく、私の家に行きましょうか」


 いきなり女の子の家に誘われるこの状況は何なのか。自分でもにわかに信じがたい。

 きっとこれは孔明の罠だ。

 カリーナも数日前に言っていたではないか。


「いい? マモル、『何でも屋』として気をつけなきゃいけないことが三つある。一つ目は、依頼の内容をよく確認すること。二つ目は依頼の期限を忘れないこと。最初からできないことは引き受けちゃダメだから。最後の三つ目は、依頼者の事を考えてあげること、いいわね?」


 そう、僕は今、森の少女の依頼内容をまったく確認していなかった。『何でも屋』失格だ。このまま彼女の家に行ったら、ゴツいお父さんが斧を持って待っていて、「おう、よく来たな。この薪を全部割る、それがお前さんの今日の一日仕事だ」とそれはそれは厳しい肉体労働が待ち受けていたりするのだろう。


 だが、それでもいい。このニコニコと優しく笑ってくれる少女の役に立てるなら、二日三日筋肉痛になることくらい、どうと言うことは無い。マグロ漁船に乗せられたり、臓器を取られたらちょっと困るのだけれど、この世界に遠洋漁業はやっていないだろうし、臓器移植にしても同じだろう。 

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