第29話 賢者の石

「ラティーナ語だな」


 僕の隣に立って壁を見上げたエルザがぼそりと言う。


「読めるの?」


「少しだけな。どうやら神と死について長々と書いてあるようだ。――最初の神は土塊から自らに似せた生物を造りたもうた。その名を人間という。人間は神と同じく完全無欠であるがゆえに、何事も為し、自由に振る舞い、それゆえに堕落と悪の道も開けるなり。それに対し神は等しく罰を与えられた。堕落を選ぶ者には病を、悪を選ぶ者に死を」


「ちょっと待って、人間なら誰だって死ぬわよ。悪い人間だけが死ぬわけじゃないわ」


 カリーナがすぐに反論した。


「私に言われてもな。この壁にそう書いてあるだけだ。だがまあ、インチキ臭い理屈ではあるな」


 僕もエルザと同感だった。これでは健康な人は良いかもしれないが、僕みたいに病気を抱えていると、自分が選んで病気になったみたいに聞こえてくる。生まれつきの遺伝病の赤ん坊は、母親の堕落の罪を背負わされるとでも言うのだろうか。こんなレイシズムの神を信じる人達の気が知れない。


「いや、ここに違うことも書いてあるぞ。――旧世界の愚かな人間たちはあるべき自然を破壊し、神々の領域を侵し、そして滅びた。我らはその教訓に学び、生物のありかたを変えずして人間のありようを変えんと欲する者なり。病には自然の薬草をもって、腐敗には錬金の鉱石をもって、死には賢者の石を用いてこれに対抗するなり」


「じゃあ、さっきの騎士って……」


「賢者の石の成果かもしれないが、怪しげな妖術だな。悪魔と取引したようにしか見えんぞ」


 エルザの言うとおり、あれで死の克服と言われても、もはや自然な人間の姿とは言えないだろう。


「そうね。でも、その石ってお金になりそうな気がしない?」


 カリーナが宝箱から金貨を漁りつつ、ニヤリと笑って言った。


「なるだろうな。長生きができると言われれば、その姿がどのようなものであっても、金を出そうとする輩がごまんといるに違いない。私はごめんだが」


 エルザがげんなりした様子で言うが、彼女の言うとおり、不老長寿は金になりそうだ。


「じゃ、エルザ、その石がどこにあるか、どんな形なのか、読んで頂戴」


 カリーナが現金に頼んだ。


「ふう、私は翻訳家ではないぞ。だがまあいい、賢者の石はちょうどここに形状が詳しく書いてある。――その石はいにしえより辰砂と推測されてきた。血の色に似た透明な水銀は理想に似た美しさなり。しかし、不死の効果は無く、魔力の源としても使えず、まがい物であった。鉱物にはサルファ剤などの万能薬も発生せしめたが、我らはついに鉱物を諦め、その他の薬草や生物に目を向けるものなり。芍薬、甘草、大黄などの植物は――」


「エルザ、そういうどうでもいいところは飛ばして。植物じゃ無くて石でしょ」


「うるさいな、ええと……石、石は……ここだ。バヌピの生き肝を凍らせ、天日で七日乾かし、紅い石として結晶化せしめたものを服用すれば、毒性も消え、驚くべき奇跡の不老不死の丸薬となれり。その者、完全無欠にして神となるべし」


「なんだ、結局、赤い石に戻る訳ね」


「そのようだ。しかし、バヌピなど、聞いたことが無い動物だな」


「そうね。マモルは知ってる?」


「さあ? 僕も初めて聞いたよ」


 犬っぽい名前の気もするが、バンビは鹿だったか。


「ま、赤い石があればどれでもいいわ。どうせ売るんだし」


「本気か、カリーナ」「僕もそれはどうかと……」


 あの甲冑騎士を見た後では、あれと同じになられても困る。


「んもう、分かったわよ。ま、これだけ金貨と宝石があれば、一生遊んで暮らせるわ、んふふ、もう最高! フォーウッ!」


 カリーナが万歳をして宝箱から見つけた宝石や金貨を放り投げるが、まあ、好きにさせておこう。宝石は傷が付いたら価値が下がると思うけど。


「マモル、ちょっと手伝え」


「え? げげ」


 エルザはあろうことか中央の石棺の蓋を外そうと頑張っていた。


「ダメだって、エルザ、そんなことをしたら!」


「心配するな、またあのミイラ共が出てきても私がこの剣で叩き斬ってやる」


「正義の騎士様が墓荒らしとは、呆れたなあ」


「私は、むう……とにかく、ここの中に賢者の石とやらがあるはずだ。オルトール様にご報告するなら、ここも調査しておくべきだろう」


「それで主君がミイラになったら、君が叩き斬るの?」


「ばっ、馬鹿を言うな! 別に飲ませたりはしないぞ。とにかく、手を貸せ」


「気が進まないんだけど……」


「ええい、役立たずめ、くっ」


 エルザはそれでも一人で石棺の蓋をずらしてしまい、大した力持ちだった。僕は周りを気にするが、変な声は聞こえてこないし、入り口からミイラもやってこなかった。


「なんだ、空だぞ」


 石棺を覗き込んだエルザが拍子抜けした声で言う。


「ええ? ああ、ホントだ。じゃあ、これは何のための棺だったんだろう?」


「おそらく、ここに神となった者を安置する予定で準備していたが、まだ不死の実験自体は成功していなかったのだろう。あるいは、私もまんまとえせ・・坊主の説法に騙されたかな」


「ふふっ、そうかもねえ」


 僕とエルザは軽く笑い合った。


「おっ! 見ろ、てめえら、あそこに宝箱があるぞッ!」


「イエッス! どう見ても宝箱です。兄貴、おめでとうございます!」


「ヤー! お宝だッ! 兄貴、やったぜぇー!」


 聞き覚えのある声がして、そちらを見ると悪人三兄弟がいた。他の冒険者もいる。とうとう別のパーティーもこの広間を嗅ぎつけたようだ。


「ああっ、バッカー! 言っとくけど、これはぜーんぶ、アタシが最初に見つけたもんだよ!」


「うるせえ、カリーナ、そっちのまだ開けてない宝箱の中身はオレ様のもんだ」


「冗談! そんな理屈が通るわけないでしょ!」


「まあまあ、独り占めは無しだぜ、カリーナ。どうせ一人じゃ運べやしないだろ。手伝ってやるって。へへっ」


「ちょっと、触るな! これはアタシのー!」


 欲にまみれた冒険者達が金貨を取り合い、押し合いへし合いになっている。僕はこれじゃまるで『蜘蛛の糸』のカンダタみたいだなと思った。

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