第23話 紡がれる記憶
「ちょ、ちょっとマモル? どうしたのよ、急に」
真希はきょとんとした顔でこちらを見た。兄の顔を覚えていない?
「真希もコールドスリープに入ったのか?」
僕の妹が生きているとなると、他に方法など考えられない。
だが、コールドスリープにその年齢で入るからには、何らかの病気を患ってしまったのだろう。まさか、僕と同じ吸血鬼病に……?
「いえあの、私は真希さんでもないですし、コールドスリープ患者でもないですよ」
黒髪の彼女が戸惑いつつ言った。
「え?」
「マモル、ここに君の知り合いがいるわけないでしょう。誰かに似てたのかもしれないけど、きっと人違いよ」
カリーナが気遣わしげに僕の肩に手を置いて優しく言ってくれた。
「そうか……人違いか……ごめん」
「いいえ。でも、私は真希という名前を知っています。マモルという名前も」
「えええ?」
今度はカリーナが怪訝な顔になる。
「お茶を出しますから、中で話しましょう」
僕とカリーナは彼女の後に続いて家に入った。
テーブルに着き、振る舞われたお茶を飲みつつ、彼女の話を聞いた。
「私の名前はアキと言います。隣街で生まれ育ったのですが、去年、こちらに嫁いできたんです」
やはり、真希とは別人だったようだ。そっくりに見えるが、アキの方が大人びていて、性格も落ち着いている。それに結婚して赤ん坊を産んでいるのだ。
「真希とマモルという名前を聞いたのは、私が子供の頃、母におとぎ話……いえ、こうしてマモルさんに出会ったからには本当の話だったようですが、それは代々我が家に伝わる話で、母も祖母から聞いていたそうです。それはこんな話です」
――あるところに真希とマモルという兄妹がいました。
二人は仲良しでよく一緒に遊んでいましたが、ある日、兄のマモルが倒れた女の人を見つけます。それは怖い怖い病気の人でした。その人を助けようとして病気を移されてしまったマモルは、その病気を恐れる他の人達から嫌われ、石を投げつけられました。でも、妹の真希はそんな兄を恐れたりはしませんでした。
なぜなら、兄は病気になる前とまったく変わらなかったからです。生活は少し面倒になってしまったけれど、兄妹の父も母も飼っている犬も一家はみんな仲良くしていました。
しかし、ある日、妹の真希が車という大きな乗り物にはねられそうになってしまいます。危ないところで兄のマモルが真希を助けましたが、彼は酷い怪我を負ってしまいました。
妹の真希はそれがとても気に入りません。お兄ちゃんが助けてくれたのはありがたかったけれど、それで大怪我をして、しかも何でも無かったように振る舞われると、なんだか自分が酷いことを兄にしてしまったようで心が落ち着かなかったのです。兄の怪我はすぐに治りました。けれど、妹の機嫌は少しの間、直りませんでした。
それでも、しばらくして二人は仲直りします。だって二人は仲良しさんでしたから。
ところが、その仲良し家族に困ったことが起きてしまいます。偉い人達が病気の人を許さないと言いだして、コールドスリープという檻の中に閉じ込めてしまおうと決めたからでした。兄妹の父親と母親は方々に手を尽くし、頭を下げ、兄を守ろうとしましたが、街の人々は聞く耳を持ってくれません。
それは兄と同じ怖い病気で何人もの人が死んでしまっていたからでした。しかし、妹は知っています。兄は誰も殺してなどいないと。だからとても悲しくて、悲しくて仕方がありませんでした。
そしてついに、掟で決められた日に、マモルはコールドスリープの檻に入ることになりました。兄は妹を、妹は兄を気遣います。元気でいてね、と。会えなくなるけど、元気でいてね、と。
そして妹は兄のために一つの約束をしました。
「私、絶対に結婚して子供を産むから。そうしてお兄ちゃんが目覚めた時にその子供に迎えに行かせるから。その子供の時にお兄ちゃんがまだ目覚めていなかったら、またその子に結婚してもらって、子供を産んでもらう。だから安心して良いよ、お兄ちゃん」
僕は真希のその言葉を思い出していた。
そうとも、コールドスリープに入る最後の別れの時、真希はそんなことを言っていた。相手もいないのに、こいつはいきなり何を言ってるんだと僕は思ったけれど、彼女は約束を忘れてはいなかったのだ。
迎えにくることまではできなかったけれど、真希とマモルの話を子供に伝えていた。
それがいったい何代続いたことだろう。真希の子供達が親の気持ちを汲んで、またその子供へと託していく壮大な伝言ゲーム。そのたくさんの家族が全員協力してくれなければ、僕はこの話を聞くことはできなかっただろう。
妹の気持ちと彼女の家族の事を考え、僕は心がどうしようもなく熱くなり、気がつくと涙が止めどなくあふれていた。
「その兄は静かにコールドスリープの檻に入って眠ったそうです。彼が目覚め蘇る時には家族は生きてはいないとみんな分かっていました。そこで妹は約束通りに結婚し、自分の子供を作り、兄が寂しくないようにと願ったそうです。そうして私の家系は何世代もこの物語を子供に言い聞かせてきました。未来のあなたに会うために」
アキが言う。
「じゃあ、もうその必要は無いな」
僕はすっきりとした気分で言う。約束は果たされたのだ。
「いいえ、この話を聞いたとき私はとても温かい心地よさを感じました。お母さんのお母さん、そして真希おばあちゃんに協力したいと心の底から思ったんです。だから、私の娘にもいつかこのお話を伝えたいと思います。もちろん、今日、こうしてあなたと会えたことも付け加えて、ですけど」
「ありがとう」
もっと気の利いたことを言ってやりたかったが、僕にはその言葉しか思いつかなかった。
「凄い話ね……真希とアキってそんなにそっくりなんだ?」
カリーナが聞く。
「ああ。最初は本人かと思ったくらいだ。でも、少しやっぱり大人びてるな。あいつはお兄ちゃんって僕のことを呼んできたし」
「ふうん、じゃ、呼んでみてよ、アキ。お兄ちゃんって」
「ええ? そうですね。お兄ちゃん?」
「ダメダメ、全然心がこもってないし、もっと甘えるか、ううん、逆の方がいいわね。お兄ちゃん!って怒ってみてよ」
「ええ? 急に怒れと言われても。あっ、ダメよ、マサル」
「にひー」
男の子の兄弟もいたようで、その子がやってくると僕にトゲトゲの草の実を投げてきた。子供の頃、これで遊んだなあ。その子は母親や赤ん坊にもトゲトゲの実をぶつけようとした。
「こらっ! ダメよ、妹になんてことをするの。お兄ちゃんでしょ!」
「ああ……」
叱った声は真希そっくりの声だった。声の抑揚から調子までうり二つだ。
僕はそこに真希がいるという錯覚を覚えた。
「うう……」
叱られてしゅんとしてしまったマサルが可哀想だったので、僕は言う。
「マサル君、お兄ちゃんと庭で遊ぼうか。カリーナも一緒に」
「うん!」「そうね」
庭でなら草の実を投げ合っても怒られることは無い。
「じゃ、それっ!」
一番手でカリーナがトゲトゲの実をマサルにぶつける。
「あはは、やったなー」
昼下がりの午後、子供と草の上をはしゃいで駆け回る僕ら。それを笑って見守る母親。
きっと人はこうして育っていくのだろう。親から子へと受け継がれていく何か。その思い出は決して正確無比なものではないだろう。しかし、それでも連綿と続いていくのだ。
真希や僕の家族は完全に消えてしまった訳では無かった。こうしてその面影があちこちに残っている。それは、在るときには何も気づかなかったけれど、こうして一度失ったように見えた後で振り返ってみれば、とても大切で、それが愛するということなのかとも思えてくる。
旧世界の文明が滅びようとも、
そこに家族の思い出がある限り――。
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