第4章 家族の絆

第22話 もう会えない

 森の歌姫と出会ってから僕はある種の喪失感に悩まされるようになった。


 失われた旧世界の文明、そしてもう会うことのできない僕の家族――。


 その二つは確かに過去には存在していたのだけれど、今となっては幻のように不確かな存在だ。もしも僕の記憶がその二つをうっかり忘れてしまったならば、そこには最初から何も無かったのと同じ。僕はこの時代の異物として孤立しかねない。

 いや、孤立しているところをカリーナや街の人が今、受け入れてくれようとしている、と言ったところか。


 世界でたった独り。


 何もそんなに思い詰めなくても良いのだろうが、カリーナが街の知り合いと親しげに話しているのを見る度に、僕の孤独がより一層感じられて、どうにも沈鬱だった。


 そしてその気分は何もこれが初めてでは無かった。

 旧世界の中にあっても、吸血鬼病と診断されてからの僕は周囲との違いを否応なしに認識させられた。学校を休んでの病院の検査、放課後に課される精神科医とのカウンセリング、恐怖と好奇心の目で僕を観察するクラスメイト達。


 家の塀に『化け物は出て行け!』と赤いペンキで書かれているのを目の当たりにしたときには、一日も早く自分が消えて無くなれば良いのにと思ってしまった。家にあった犬小屋が何者かに壊されたり、クラスメイトから石を投げつけられた事もある。


 だが、その時には僕にはまだ支えてくれる家族がいてくれた。

 父さんも母さんも妹の真希も僕を怖がったりはしなかった。犬のロッキーもいたな。それは吸血鬼病になる前の僕をちゃんと知っているからこそだったが、同時に、昔の僕を知らない人達が吸血鬼という化け物を怖がるのも無理ないと理解できるのだ。


 最悪のテロリストにして最悪の感染源。

 VANP特措法が成立してもなお、吸血鬼病の撲滅は困難な様子だった。それもそうだろう、不治の病だ。ミトコンドリア遺伝子に問題があるというところまでは解明されていたが、どうしてそのような現象が起きるのか誰も分からず、遺伝子操作がある程度可能になっていたその時代でさえ、治療の糸口は掴めていないということだった。


 治らない病――

 他人を感染させてしまう恐れ――

 それが解決できると思われた唯一の希望、クライオニクスもダメだった。


 なら、僕は何のためにこの時代に飛ばされてきたのか。

 家族と一緒に過ごす方が何倍も良かったというのに。


「……ねえ、聞いてる、マモル。マモルってば!」


「え? ああ、ごめん、聞いてなかった」


 カリーナが話しかけていたようだが、思考の海に深く潜っていた僕は何も耳に入ってはいなかった。母さんも「マモルは人の話を聞いてない」とよく愚痴を言ってたっけ。


「もう、ぼーっとしすぎ。そろそろ今日の仕事に出かけるわよ」


「了解」


 変な事を考えるより、今は忙しく行動していた方がありがたい。カリーナは僕を怖がったりしないし、ここを追い出されないようにしないと。


「ほら、落っこちないようにしっかり掴まって」


「ああ、うん」


 カリーナの腰に手を回し、スカイウォーカーで冒険者ギルドに向かう。 

 入り口の両扉を押してくぐると、中にいた冒険者達が僕らに声をかけてきた。


「よう、カリーナ、マモル」


「「おはよう」そっちの調子はどう?」


「まあまあだな」


「それは良かったわね」


 右の壁の掲示板を見に行く。


「今日はどれにしようかしら」


 たくさん貼り出されている仕事の依頼票を順に二人で見ていく。

 その中に『牛の乳』という三文字を目敏く見つけた僕は、カリーナに勧めてみる。


「カリーナ、これがいいんじゃないかな」


「牛の乳の配達ねえ。マモルは本当に牛の乳が大好きね」


「まあね。栄養もあるよ? ちなみにカルシウムの一日の必要量は十六歳男性で650ミリグラム、女性で550ミリグラム、だいたいコップ三杯分だね。毎食牛乳を飲むと理想的だ」


 摂取量を暗記している僕は自慢げに雑学を披露する。


「栄養があるのは分かってるけど、そこまでだとちょっと引くかも」


「ええ……?」


 まずいな、これからはあまり牛乳をプッシュしない方がいいかもしれない。ただ、僕がこの依頼票を選んだのは僕が牛乳を好きだからという単純な理由だけでは無くて、依頼者が「子供に飲ませたいので」と書いていたからだ。育ち盛りに牛乳は欠かせない。カルシウムとタンパク質は大事だ。なんと言っても牛の赤ちゃんがそれで育って体を大きくする完全栄養食である。

 それは僕のためでは無く、子供達のためなのだ。

 よし、理論武装は完璧だ。


「ま、いいわ。楽な仕事だし、今日はこれにしましょう」


「うん!」


 やる気が出てきた僕はさっそくカリーナと共にジル牧場へ向かう。


「「こんにちはー」」 


「おお、マモル君とカリーナか」


「革袋一つの牛乳が欲しいんだけど、革袋も付けてくれる?」


「いいとも。どれ、搾りたてを用意してやろう」


 ジルお爺さんが壁に引っかけてあった革袋をひっつかみ、桶に入れて牛の側に座る。


「ジルさん、近くで見てもいいですか?」


 興味が湧いた僕は聞いてみる。


「構わんが、牛の後ろには立つんじゃあ無いぞ。蹴られるからの」


「りょ、了解です」


 やっぱり怖いので、ジルさんのすぐ後ろに陣取る。


「乳搾りなんか見て何が楽しいんだか」


 カリーナは見慣れているからか全く興味を示さないが、シュッシュッと指使いのマエストロが織りなす作業は必見の価値がある、と僕は思う。乳牛は自分が搾られていることなど意にも介さぬ様子で、時折草を食んではぼーっとして佇んでいる。僕も来世は牛に生まれ変わりた――いや、肉にされたらヤダなあ。やっぱり人間か猫がいいや。


「ほれ、できたぞ」


「ありがとうございます」


 甘い乳の匂いに、思わず一気飲みしたくなったが、その前に横からさっとカリーナが革袋を僕から取り上げてしまった。


「あう……」


「これは商売用、飲んじゃダメよ」  


 致し方ない。


「ほれ、マモル君の分はこっちじゃ」


 ジルさんがもう一つの革袋を寄越してくれた。


「ありがとうございます!」


「二ゴルドでええぞ」


「うっ、有料でしたか……」


「そりゃ、これだけの量なら当然でしょ。この間のタダ飲みの分も含めて、はい、お爺さん、これ」


 カリーナが代わりに銅貨を支払ってくれた。


「ほっほっ、また来るとええ」


「はい」


「また来まーす!」


 カリーナと共にスカイウォーカーに乗り、僕は後ろに向かって手を振りつつ、配達先へと向かった。


「届け先の住所はここね」


 街の住宅地の一角、庭付きの一軒家に辿り着いた。庭の端には一本の大きな木が構えており、カリーナの家よりも広い。


 庭では一人の女性が赤ん坊を抱いてあやしていたが、肩に掛かる黒髪には見覚えがあった。

 間違いない、僕は彼女を知っている――

 大木の葉が風に揺られ大きくざわめく。


「こんにちは」

「真希? 真希なのか!」


 僕は思わず大きな声になっていた。


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