波の随意に
闇に浮かぶ灯火の空間に、またも立っている。
もう少し寝かせてくれてもいいのに。寝ぼけまなこをこすっていると、音が聞こえた。
サラサラ、サラ。
サラサラ、サラ。
慣れてしまった音の響きと、この後に出会うだろう顔に嘆息。けれどどこか予想していたような節もあって、仕方なく、今度はこちらから声をかけることにした。
「やあ」
光に包まれた空間の中、砕けた宝石が一陣の風に吹かれる砂粒になって流されていく。
奥から、ぼんやりと幽霊の姿が浮かんできた。
「こんにちは。おねーさんから話しかけられるのは珍しいね」
「別に。どうせ話さなきゃいけないんだから、ここに閉じ込められちゃえば。どっちから声をかけても同じでしょ」
「そうかな」
「そうなんだよ」
「それは、残念だ……てっきり打ち解けてくれたと思ったのに」
本当に残念そうにネモは肩を落とす。彼は案外、寂しがり屋のようだ。
ヒトを簡単に嘲笑うくせに、調子がいい。
そこでネモの様子を見ていた藍凪は、彼の首元に光るものを見つけ、あっと声を上げた。
「アクアマリン……!? どうしてそこに?」
彼が首元に浮かべているのは紛れもなくアクアマリン。色も形も、オクトノウトの研究所で見たものと全く同じものだった。
どういうことだろう。確かに破壊したはずなのに。
「きみたちが砕いたのは宝石という形をとったアクアマリンの断片だけ。そんなものをいくら壊したところで、この大いなる海の力は絶えず、また新しい宝石を生むばかり。その本質は、想像を絶する深海世界の奥底にあるのだからね」
ネモが首元の宝石に手を添えて言う。
「そしてまた、誰かがどこかで見つけ、使うことだろう。崇高な願いか、悪辣な野望か。叶おうが叶うまいが、最後には砕かれて、また再生する。それがずっと繰り返される」
「隠しちゃえばいいのに。そんな危険なもの」
「無理だよ。土の中に埋めようと、海の一番深い底に沈めようと、必ず見つけられる。それを望む誰かによってね」
望み。オクトノウトのような。誰かを生き返らせるというような。
藍凪の内心を読み取ったかのように、ネモは誘うように言った。
「きみが手にすることもあるかもしれない。そしたらきみは、これにどんな願いを託す?」
「ボクは…………」
強い思いがあった。灯里にもう一度会いたいと。死んだ灯里を生き返らせることが、この世界に来た理由だと思っていた。自分が未だに生きている理由が、それだと。
不可能だと知り、潰えた夢。しかし、またその機会が訪れるとすれば……
「……ボクには、モノに託す願いはないよ。少なくとも、今は」
その答えが曖昧なニュアンスを含むことくらい、自分でもわかっている。
この期に及んでも、宙に浮かぶクラゲのようにふわふわと定まらない立ち位置で、どっちへ向かうのかも決めきれない。
振り払うには、彼女の面影が残りすぎて。
今は。でも、
「失くしたものを振り返って探すと、見ていられないって友達が引っ張るんだ。傷ついたような顔で、叱るんだ」
暗闇の中、優しく抱きしめてくれた女の子。それを振り捨てることはできなくて。
新しい友達のこと。灯里は許してくれるかわからないけれど。
「探し物にばかりかまけてはいられなくなっちゃったな……」
呟いて藍凪は遠くを見やった。見えない先の未来を思った。
失くしたもの。まだ持っているもの。これから手に入れるもの。放り出すには、どれもこれも惜しいものばかり。
留めるべきものを抱きしめ、零れたものにさよならを告げる。
何もかもを決めつけてしまうにはまだ早い。だから探していかなければならないのだろう。
この海の底で、なんとか歩いてゆきながら。
「ふうん。きみは迷いながら、生きることを選んだんだね。きみの周囲は暗く、その道行きはあまりにねじ曲がったものだろうけど」
ネモは新しいものの誕生を言祝ぐように言葉を紡いだ。
「おめでとう。たった今、きみはきみの物語の、最初の一歩を踏み出したんだ」
ああそうか、と。その言葉がやけに収まりよく腑に落ちる心地がした。
残した思いがあまりに重く、沈むばかりで立ち止まっていた足。
歩き出してやっと、自分は生まれ落ちることができたのかもしれない。
地上に囚われていた心をちょっとだけ解放して、この新しい世界へ。
「寂しいものだね」
「そして希望あるものだ。きみという
そうだといい。あまりにも重い一歩だったけれど、それが次の何かに繋がるなら。
この手に残るものは、あったのだから。
「ぼくは見守っているよ。きみが何かに辿り着く、その時まで」
ネモは流れる砂粒の向こうへと消えていく。
じきに夢が終わる。
藍凪は、また起きた時に出迎えてくれる友達の顔を思いながら、目覚めを待った。
アクアマリンの宙の底より 海洋ヒツジ @mitsu_hachi
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