星を掴む 1
サラサラ、サラ。
サラサラ、サラ。
その砂が擦れる音は何だったっけ?
ぼうっと考えながら動かす足は、音に誘われている。
記憶を巡らせ、やがて、前に出会った、そしてこれから会うことになるであろう人物の顔を思い出した時、藍凪は不思議な流れの空間に辿り着いていた。
「待ってたよ、おねーさん」
三叉の器具を携え、大きめのローブで顔を隠した少年……と思わしき人物。
誰でもない者。ネモの幽霊は、
「元気してた?」
彼は久しぶりに会った友人のように軽く手を挙げる。
「さあ。とりあえずは生きてるよ」
「慣れない戦いは、やっぱり堪えるようだね。大きな体を相手に走り回って逃げ回る。一歩間違えば叩き潰される中で、どうにか相手を傷つけ倒さなきゃならない。そういう経験は、どうやら今までに無かったようだ」
はて、どうしてネモが洞窟での戦いを知っているんだ、と疑問に思う。けれどそういえば、彼はこの世界で起こったことなら全部知っているんだっけ。
覗き見されるのは別にいい。ただ弄ばれているようなのが
「そうだよ。戦いとか、そういうのはボクの住んでいた場所にはなかった。せいぜい子供の時の喧嘩くらいだよ。誰かを傷つけるなんてのは」
「そっかそっか。じゃあ久しぶりの復帰戦だ。楽しかった?」
その顔が見えたなら、きっとニヤニヤとしていただろう。そういう口調だ。
戦いとか、冒険。それらはかつて藍凪が求めていたことだ。
未知の世界を歩き回る調査活動はまるで冒険のようで、期待以上の楽しさがあったけれど。戦いに関しては、どうしても慣れない。
「別に。ただただ怖かったよ。殺し殺され、なんてろくなものじゃなかったな」
肩をすくめて、どこか悟ったように言う。この感覚は、自分に向いていないかもしれない。
「そっか。それは残念だ」
ネモも同じように肩をすくめる。まるで鏡に映したみたいだ。
「でもきみは、先の戦いでとても稀有な才能を見出したようだね。どういうわけか」
モウタとの戦いにおいて藍凪の動きが、自身の知るものでなかったことを、ネモは分かっているようだった。藍凪が見た光景すらも把握しているのかもしれない。あり得そうな話だ。
あれは尋常の力ではない。空恐ろしささえ感じる。身に余る能力だということは、自覚している。
「波を読み、流れと詠む……まさか地上の人間が、海神由来の魔眼を発現するなんてね」
「まがん……もしかして、ティーネと同じ?」
「そう、あの桃色の髪の子も、能力こそ違えど魔眼を持っていたね。この世界でそうした特殊な眼を持つということは、強い因果の渦中にあることを示す。運命は、眼に焼き付く……」
「あれはネモがくれたものじゃないの?」
「まさか! ぼくにそんな大きな力を与える権限はないよ。ぼくがきみに与えたのは、ここで暮らしていくための最低限の装備みたいなものだ。それ以上のことはないさ」
藍凪がこの世界で溺れていた時、助けてくれたのはネモだ。この世界でも生きられるような体にしたのは、彼。
だから自分に身に覚えのない力が宿っているとすれば、それはネモの仕業だと思っていたけれど、どうやら彼は本当のことを言っているようだ。
「それは完全にきみ自身が発現させた力だ。あるいは、きみの運命がそうさせたのかもしれない。――――よければきみがここに来るに至った経緯を教えてほしいな」
過去を話すことは、ネモに対してなら抵抗がない。
藍凪はこの世界へ堕ちることとなった出来事、つまりは屋上から落ちたことを、なるべく詳細に話して聞かせた。友達のことも含め。
この話をするのは二回目。誰でもない者に話すのは、別段苦痛でもなかった。
「なるほど……きみは一度は運命を辿り終えたわけだ。それがどんなに短く、不仕合せなものであったとしても」
ネモは藍凪に同情を示すでもなく、ただ一人で考察を進めた。そこにあるのは単純な好奇心。
「生を全うし、死を迎えた者は、運命から解き放たれる。けれど稀有なことに、きみは
「よく分かんないよ。魔眼って響きはカッコいいけどさ」
「喜びなよ。きみに宿ったその魔眼は、中でも指折りの特級品だ。大切に使うといい」
「って言われても、どうやって使えばいいのかも分からないんだけどな……」
今見えている景色は、至って普通。蜘蛛糸の線も、大きな流れの道筋も、視界に見当たらない。
いつでもは視えず、いつ視えるかも不明。スイッチのオンオフで使えるほど便利ではなさそうだ。
その事実に、ひとまず安心した。
あの幾本もの流れが視える世界。流れの中には結果の影が映っている。それは確定され得る未来のイメージだ。
必殺の一手を加える瞬間の影は、戦闘に慣れない藍凪にとって気持ちのいいものではない。
嫌な想像をする藍凪を、ネモは見ている。表情は分からないけれど、ニヤニヤとしているに違いない。
「ただ、力を得たのだから使わないということはないし、使うべき意味も存在する。運命を司る力なんてのは、余計に意味に囚われるものだ。流れを読む魔眼を持つきみ自身は、ここでどういう流れを辿るのか」
そして、彼は最後に言った。
「きみは何を為すべくして、ここへ来たのだろうね」
ネモの姿が黒い影に染まり、灯火の空間は遠ざかっていった。
その日、藍凪はシャーハンの工房を訪れていた。ちょうど彼は工房の奥で休んでいるところ。
「おう、遅かったナ!」
「遅かったッスね!」
シャーハンに続いたのは銀髪のコクル。二人して息ぴったりのタイミングで手を広げ、藍凪を迎え入れる。
「うん。夜遅くに、ちょっと変なやつに呼び出されてたんだ。おかげで寝坊しちゃった」
まだ寝足りないと、欠伸混じりにむにゃむにゃ言う。
「まるで俺以外に変なやつがいるみたいな口ぶりだナ」
「あ、うん、シャーハンもけっこう変なやつだったね……っていうかその自信はなんなのさ」
「親方は何でも自信満々ッス! それが良いところであり、悪いところッス!」
なぜかコクルが胸を張りながら言い、シャーハンも「よせやイ」と照れている。
「そういやさっきまでティーネが来てたゼ。すぐにどこか行っちまったけド」
「ああ、あの子ったら、ボクが起きた時にはもう出かけてたみたい」
「ティーネはいっつもせわしないけど、最近は特に忙しそうダ」
「そうだね。いろんなところを回ってるようだよ」
街で悪事を働いた二人組を打倒し、事態は収束へ向かうかと思われた。今のところはその想定通り、サーペントが街に被害をもたらすことはなくなっている。
だがその後もサーペントに連なる種の不審な行動が観測され、未だ脅威が去ったわけではなかった。
別の原因を探るべく、ティーネは一人で各機関へ赴いているらしい。主に生物研究の報告を漁っているのだそう。藍凪には手伝えない類の調べものだ。
「ああそうダ。お前から預かった電気クラゲナイフだけどな、あれはちょっと修理できないゼ」
「そうなの?」
一週間前の戦いで使った電気クラゲナイフ。藍凪が碧色のマナを注いだ時、刃に亀裂がはしってしまった。その修理をシャーハンに頼んでいたのだ。
「合わない色のマナを通したせいだろウ。内部の潮流器官が完全に死んじまってタ。あれはもう使い物にはならんナ」
潮流武器は生きた武器。そうティーネが言っていたのを思い出す。
内部に仕込んだ潮流器官が壊れ、マナに何の反応も示さなくなったナイフは、武器として終わったのだ。
「……ごめんね」
生きているものをむざむざ殺してしまった。そうした意識が、自分を責めたてる。
もっと大事に使えば。悔やむ藍凪の背を、シャーハンが叩く。
「そう暗い顔をするナ! あのナイフは使い手を立派に守ったんダ。技師としちゃあ誇らしいことこの上ない、ってなもんだゼ」
隣でコクルもふんふんと頷いている。胸のうちに温かいものを感じた。
とるものもとりあえず、別の武器が必要だ。
そういうわけで藍凪はシャーハンからナイフを受け取った。潮流器官も特別な機構も備わっていないものを。
「それにしても、碧のマナ――
藍凪が身につけた、いや、初めから備わっていたマナの力。海中に棲む誰とも異なるその名前。
「よしコクル、出かける準備をしロ」
「はいッス」
とりあえず返事をするコクルだが、ふと冷静になって考え始めた。
「あれ…………親方、一体どこへ?」
「知らン!」
「ええぇー!」
考えがなかったのはシャーハンも同じ。コクルは大きなリアクションで驚いてみせた。
なんだろう、この似た者同士コンビ。見ていてとても愉快だ。
「探すのは、碧色のマナに合う鉱石ダ。まずはそれをできるだけ多く集めるゾ。そんで明日からさっそく、アイナ専用の武器造りに取り掛かル」
「ボク専用? そんなの大変なんじゃ――」
だいいち、返せるものもないのに。一方的に受け取ってばかりなのが、悪い気がする。
だがそんな藍凪の声を無視して、ノリノリのコクルが提案をする。
「だったらウォシズン海峡に行ってみましょうッス。あそこの鉱石は何かに使えるはずだって、ずっと思ってたッス」
「そこは確か、アイナと初めて会った場所だったナ……うむ、素材なら山ほどありそうダ。石のことならお前の方が詳しイ。期待してるぜ、コクル!」
「はいッス!」
勢いよく返事をしたコクルが出発の準備に走る。
呆然とする藍凪にシャーハンが歯を見せた。
「楽しみに待ってろよ、アイナ。最っ高の武器を造ってやるゼ」
楽しげなのはむしろシャーハンの方に見えた。だからもう何も言わない。
無機質な目に、燃える情熱があかあかと灯っていたのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます