双流激突 6

「碧色のマナ……地上の香り……」


 それは洞窟の下部から漂う。

 鼻先に触れた香りは嗅いだことがある。あれは藍凪が初めて家に来たとき、彼女の衣服から香ったものだ。そして彼女自身の香りでもある。

 碧の気配はティーネの視覚に優しく働きかける。その光があまりに心地よかったからだろう。誘われるようにして世界が形を成す。

 ほんのわずか、光が宿った。像がぼやけた最低限の視界だが、それで十分。

 ティーネが懐から取り出したのは、青白い光を放つ閃光玉。


「あん……? 往生際が悪い姉ちゃんだな。とっととくたばれ」


 彼女の不審な様子を見て取ったラペルが、四つの刃物を同時に放った。同時にティーネもまた、閃光玉を放って光を撒く。

 一度は使った手だ。効き目は薄いだろう。隙は一瞬でしかなく、その間に銃弾を撃ち込んでも倒しきれるかどうか。何より深紅の眼を以って必中を為せば、今度こそ目がつぶれる。

 痛む体を無理やりに引き起こし、ティーネは対の銃でマナを逆噴射した。

 勢いを得て流れる体は、ラペルの方へ。


「ぐおっ……!」


 超速の助走をつけて繰り出される蹴りが、ラペルの頑丈な両腕に防がれる。鉛の弾をも弾く腕だ。ダメージは期待できないだろう。それでも構わないと、さらにマナの噴射を強め、押して押して押しまくる。

 力任せのごり押し。そうして体勢の崩れたラペルを、地底へ引きずり落とした。


「何を勝った気でいるのやら……さあ、次の勝負を始めましょうよ」


 洞窟の底へ落とした獲物のすぐ頭上へ降りながらティーネが言う。

 石灰岩に叩きつけられたラペルだが、ダメージはほとんどない。またも腕を使って受け身をとったのだ。彼は身を起こしながら、心底から笑った。


「カハハッ! 怖えー怖えー、まるで地の果てまで追いかけてきそうな目だ。いいねぇ、情熱的だねぇ。たぎってくるぜ!」


 地に降り、ジェットの推進力で間合いを詰め、またも蹴りを放つティーネ。

 舞台は地底。戦いは接近戦へともつれ込む。

 下段から大胆に蹴り上げ、宙で反転して後ろ手で銃を乱射。身を守った相手に突き刺すような蹴りを入れ、体勢を崩す。銃と蹴り、そして泳ぎを織り交ぜた近接格闘術は、ティーネの得意とする戦い方の一つだ。


「血迷ったかぁ? そりゃあ、下の下の下の下の下策だぜぇ!?」


 接近戦であればブーメランから逃れられるかといえば、そんなことはなく、今度はティーネのみをかすめる軌道で襲ってくるだけのことだった。

 背後から迫る攻撃を間一髪で避ける。

 さらにラペルは二つのブーメランを手に戻し、ティーネの自在な蹴りと発砲をいなしながら、攻めへと転じた。その間にも残り二つの刃はティーネを死角から襲う。

 四つの刃による絶え間ない攻め。その物量を前にティーネはまたも防戦を強いられる。


 負けてはならない。こんなところで屈する自分であってはならない。

 真っすぐすぎる、と言われた時に、思い出したのは、今の自分になった理由だった。


 ティーネは古来より魔物退治を請け負う家に生まれた娘だった。その血筋は、代々特別な力を持つ眼を子に宿らせる。

 彼女の家が討伐する魔物とは、リヴァイアサン。すなわち、災禍を引き起こし得る大いなる竜だった。

 生まれながらに運命を背負った彼女は、親の顔も知らないままに家を離れ、技の指導をする師匠と引き合わされた。

 最初、不安で心がはち切れそうだったティーネに、師匠は言った。


『心配しなくとも、お前の運命は定まりきっているよ、最初から最期の一分一秒まで。その人生は魔物を討伐するために鍛え、研磨され、やがて一本の槍となる。随分と無駄の多い劣化品だけど、立派に命に届くようにしてやるさ』


 師匠の言葉にはいつも慰めがなく、お前はこうだ、と決めつけるものでしかなかった。けれど、不思議と安心を覚えたのも事実だ。

 そう、自分はこれでいい。

 他のヒトからは可哀そうな人生だと言われたこともあったが、自分からすればそれほど息苦しいものでもなく、道しるべがあるだけずっと楽。むしろ気持ちのいい人生だ。

 共感してくれるヒトはおらず、ずっと一人だったけれど。それでも。

 悪を討つ者としての自分の在り方は、為すべきことは、誕生の瞬間から変わらない。そして歩むべき道はずっと先の未来まで続いている。自分は貫き通すだけ。


 この程度の逆境、正面から打ち砕けなくてどうする!


 ティーネが渾身の蹴りを放ち、その足先がラペルの腹へと突き刺さった。

 紛うことなきクリーンヒット。鍛え上げた一撃は重く、鋭い。

 だがラペルはその蹴りに後ずさることなく踏ん張り、赤黒い両腕を大きく振り上げた。

 それは、彼の必殺となる一撃の構え。


「カハハハハッ! お前の命を捕らえた! もう逃げらんねえぜぇ!」


 両手から囲い込む左右の刃、垂直に落とされる上方の刃、そして低空からホップしてせり上がる背後の刃。四つの牙がティーネを呑み込まんと迫っていた。

 逃げる隙間はない。どれか一本を受け止めれば、残りの三本に貫かれる。為す術は――

 自身が行く道。選び決めた勝利の一手。最後の賭けと、ティーネは体を後方へと逸らした。


「そうか、その死に方を選ぶか! なら望み通り、心臓の串刺しだ!」


 もはや生かすことなど忘れたラペルが叫ぶ。

 左右と上方の刃から逃れたティーネは、残りの後方に手を伸ばす。何かを掴もうとするかのように。

 ブーメランを掴む? 馬鹿な。そんな達人芸が咄嗟にできようはずがない。

 ならば、彼女がその手で探したのは、ブーメランの軌道となる源の青しおみずの流れだ。

 天性のマナ知覚でラペルが操る流れを掴みとり、自身のマナ操作で介入。

 奪い取る。

 そうしてブーメランの軌道を、わずかに曲げた。


討伐完了チェックメイト


 彼女の手先から腕に沿って肩に到達した刃が、そのまま真っすぐ、ラペルの無防備な胸に突き立つ。まるで予想だにしていなかった顔で、ラペルは血を吐いた。


「カ……ハッ……!」


 男の体がくずおれ、ブーメランは制御を失って墜落する。

 深紅の眼が見据える先で、勝敗は決した。




「ティーネ!」


 あちらの戦いも終わったと見て、藍凪がティーネへ駆け寄った。

 ひやひやした。ティーネが負けるとは思っていなかったものの、切り傷だらけの彼女を見て、万が一を想像してしまった。


「心配したよぉ。そんなに血だらけで……」

「助けに来ておいて心配されるなんて、私もまだまだですね。もっと余裕で勝利するはずだったのですが」

「そんな見栄なんて張らなくていいよ! 助けに来てくれただけで……ふえ?」


 藍凪の膝がひとりでに崩れ落ちる。緊張が途切れたせいだろうか。


「あ、あはは……ちから、抜けちゃった」


 立てますか、とティーネは藍凪に手を差し伸べる。藍凪はその手を掴みとって踏ん張るが、足が言うことを聞かない。照れ隠しに笑って見せた。


「……あなたこそ、よく勝てたものです」

「うん、不思議なんだよ。自分でも」

「碧のマナ……ですか」

「うん?」

「あの光が、私を暗闇から引っ張り出してくれました。あれがなければ、私は為す術なく終わっていたかもしれない。あれは、あなたが起こしたんですよね?」

「そう、だと思う」

「ありがとう」


 その一言が、じんわりと胸に染みて広がった。さっきまで冷え切っていた心が温められたかのよう。彼女に認められた気がして、嬉しくなる。


「うぇへへー」

「何ですか、その気持ち悪い笑いは」

「気持ち悪いってなにさ! 今回は頑張ったんだから、もうちょっと褒めてもらってもいいと思うんだけど!」

「はいはい、えらいですねー、頑張りましたねー」

「目が死んでる!?」


 ティーネもそこまで素直には褒められない。恥ずかしがらず、全てをさらけ出すことは、今はまだ。

 そんな彼女の恥じらいも知らず、藍凪は頬を膨らませて見上げていた。

 これからも共に歩んでいくであろう、友達の顔を。


「……でもさ、これで何かが解決したのかな」

「どういうことですか?」


 藍凪の中には一つの懸念があった。それはこの二人組を倒したことが、果たして何の解決を意味するのかということ。

 確かに彼らは悪事を働き、街へ被害をもたらしていた。だからその事件は、今後は起きなくなるのだろうが。


「ラペルにも言われたけど、まだ分からないことだらけな気がして。だってボクらはまだ――」


 ヒトの姿をしているという生物、ニルに出会ってすらいないじゃないか。そう言おうとした藍凪の視線の先。


 キぃっ、キぃっ。


 金属をねじ切るような声を発する白い生物が、この場に姿を現わした。


「白い、幽霊。あれが……」


 藍凪が呟くと、ティーネも同じように見上げ、二人して呆気にとられたように眺めた。

 その体は気味が悪いほどに青白い色。肌の上から見た血管のような。丸々とした体形に手足の名残のような突起が出てじたばたと泳いでおり、それがヒトに見えるかというとギリギリ許容範囲といったところ。しかし目にあたる部分は肉に潰され、口にはぽっかりと洞が空いているだけのようで不自然。

 何もかもが、足りていない。


「不気味ですね……どこがと言わず、全部。不自然で、ねじれている」


 深海の奇妙な生物に慣れているティーネですらこの感想だ。余程なのだろう。


「あれ、なんだか溺れてるみたいだ」


 幽霊がじたばたとしているのは前に進むためでなく、それがあまりの苦しさによるものと見えた。あれは海の生物でありながら、海に存在することが耐えがたいような。

 許されていないような。

 洞窟の上部から影が差す。かなり大きな魚影だ。見るとそこに、巨大な生物がいた。


「サーペント……!? しまった、時間をかけすぎた!」


 鍾乳洞と同じ白色のホウカイトが頭上の入り口から迫っている。焦燥を声色に含ませるティーネだったが、逃げようにも腰の抜けた藍凪が地面でへばっているのだった。

 仕方がないと近くの石柱に身を潜ませる。蛇には確か熱によって物体を感知する種がいた気がするが、蛇のようなサーペントはどうなんだろう、と藍凪はぼうっと考えた。

 しかしホウカイトはこちらには目もくれない。何か別のものに気を取られるように、頭上を横切っていく。

 幽霊の方へと。


「あ……」


 思わず口から漏れ出た。儚むような声が。

 藍凪が目にしたのは、白い幽霊をホウカイトが呑み込む光景だった。

 それは当たり前の生存競争、弱肉強食。なのにどうして目が離せないのだろう。


「…………サーペントの生態には謎が多いですが、一つだけ、全てのサーペントに共通する行動があります」


 ティーネもその光景から目を離さずに言う。


「雑食の彼らが口にする肉は、ヒトの体のみ。ならばあれは――紛れもなくヒトです」


 彼女の示した事実が、一体何を意味するのかは分からない。

 食事を終えたホウカイトは藍凪たちの方へは向かわず、そのまま洞窟の奥へと姿を消した。呆然としているうちに、彼女は助かったのだった。

 洞窟の天井から視線を下へ戻すと、ラペルが倒れていたはずの場所には何もない。モウタだけが遠くで白目をむいている。


 ラペルに逃げられた。それを理解するのに、少し時間がかかった。

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