双流激突 5

 もう一つの舞台は洞窟の上部。ティーネとラペルが繰り広げる、地に足つけないせめぎ合い。

 両者共に一介の戦士であり、相手が敵性生物だろうと人間だろうと、その仕留め方は心得ている。こと人間ならば、縦横に広がる立体空間を無尽に駆け巡り、意識の隙を攻撃するのだ。

 甘い防御を激しく衝く二丁の銃と、変則的な動きで対象を刈り取る二枚の刃。

 必然、戦いは熾烈しれつを極める。


 ティーネは天井から垂れ下がった柱の隙間を縫うようにして泳ぐ。遠距離武器に対して遮蔽物に身を隠しながら戦うのは基本中の基本だ。故に相手も柱のどこかに身を隠していた。

 刹那、どこからか刃が飛来する。


「まったく、芸のない……」


 薄暗い洞窟ということも相まって、気づいた時には視認しづらいブーメランが目の前にまで迫っている。並の戦士であれば為す術なく二枚切りにされているだろうが、しかしティーネは並の枠には収まらない逸材である。

 彼女は目がいい。視力のみならず、視界の中から、己に向けられた害意の些細な兆候を見つけ出す能力は、もはや第六感の領域。

 わずかな刃の煌めきから、こちらに向かってくるルートを予測するなど容易いもの。

 そうして視認した凶器を鮮やかに避けて見せる。対象を切り裂き損ねた刃は、旋回して持ち主の元へ帰っていく。


「馬鹿にされたもんだな。まるで余裕じゃないか。ここまで得意な条件を揃えて、まだ腕の一本も切断できないなんて、一流ハンターたるラペル様の信用も堕ちようというもんさ」


 石の柱に反響した声が届いてくる。内容とは裏腹に、まだ余裕の感じられる声だ。


「悲観することはありません。あなたは一流かもしれませんが、上には上がいる。ただそれだけのことですから」

「おーおー、よくほざく……なら、まだまだ期待してもいいってことかぁ!?」


 ラペルの叫びと同時に柱の隙間が光った。またブーメランの攻撃だ。


「そこ……と、もう一つか」


 飛来物は二つ。ラペルが身に着けていたブーメランの数も二つ。この攻撃を避け、帰っていくブーメランの軌道を追えば、柱に隠れた持ち主は隙だらけのはずだ。

 一瞬でこの後の方針を定めたティーネは、予定通りに前方二つのブーメランを避けた。

 そして次の瞬間、背後から迫ってくるもう二つ・・・・のブーメランに右足を裂かれた。


「な、んで……!?」


 右足のふくらはぎがぱっくりと裂け、空間中に血が流れて溶ける。決して浅くない傷。直前の行動方針に従って前に出ていなければ、足は繋がっていなかっただろう。

 その事実に心臓が縮まる思いがした。

 後方からの攻撃を察知できなかったのはティーネの油断であり、能力不足でもあった。

 彼女は視界に収まる害意ならば、たとえ暗闇の中だろうと見切ることができるが、その範囲外からとなると滅法弱い。

 もちろんその弱点は把握し、前方よりむしろ後方への気配りを忘れない彼女だったが、敵の武器が二つきり・・・・だと決めつけていたところに油断があった。

 ちらりと見えたブーメランの形は、刃が三方向に出ているものだった。腰につけていたものより刃の数が三つ減っている。

 つまり、本来あの武器は四つのブーメランに分解して同時に扱うためのもの。

 武器の性質は分かった。だが、二本腕の投擲で四つの異なる軌道を操ることが現実的に可能なのかは、少しばかり疑問が残る。


「へへっ、足元が留守だったようだな」


 ラペルは身を隠しながらも周到にこちらの様子を見ている。


「……かための流紋――――『宙に突き立て、塩の柱』」


 ティーネは返答をせず、流紋術式の構築に専念した。相手が既に刃を放っていたからだ。

 マナ知覚によって源の青しおみずに直接触れた両手の指を、定められた流紋の形に沿ってかき回し、流れを作る。

 すると術式が完成し、周囲のマナが結晶化した白い柱が両手の先に現れた。硬度の高いそれは、左右から飛来したブーメランを弾き食い止める。

 ブーメランは勢いを失ったが、まるで意思があるかのように持ち主の元へと帰った。


「おかしな、動き」


 大した投擲技術、というだけでは説明しきれない、奇妙な挙動だ。勢いを失ったブーメランが、再び動くなど。

 武器の性能か。いや、そんな複雑な機構、あの薄いブーメランには組み込めない。

 簡易な塩の柱は、時間の経過によって周囲の源の青しおみずに融けようとしていた。その側面の刃に削られた部分から、柱を構成する粒がある方向に流れているのが見て取れた。


「これは……空間中にマナの流れが発生している?」


 呟いた直後にまた刃の襲来。休ませるつもりはないらしい。

 四つのブーメランは、ほんのわずかな間を置きながら断続的な攻撃を仕掛けてくる。回避するために体力を奪われ、さりとて休めば肉を切らせる。終わりまで消耗戦を強いられ、いずれ無惨な輪切りの肉片。最後まで、戦う相手すら見えないままに。

 足の傷は徐々にティーネの体力を奪い、移動能力をなくしていく。

 まずは見つけなければ。離れた場所からこちらを嘲笑う、軽薄な男の姿を。


「私から隠れられると思うな……!」


 ティーネは回避行動をとると、そのブーメランが消えた石柱を見定め、両方の銃を構えた。それは、後ろへ向けて。

 彼女の二丁拳銃は潮流武器だ。与えられた名は〈双連輝星トゥインクルスター〉。内部の潮流器官にマナを通して生物由来の流紋術式を発動することで、その武器の真価が発揮される。

 内蔵された潮流器官は海の鉄砲玉、ダンガンザメのもの。

 彼らの急速な突進を生み出すのは、背後へのマナの逆噴射。対の星はその銃口から、同一の現象を生み出す。

 銃の先で空間が弾け、ティーネは目にもとまらぬスピードで一息に突貫した。先ほどの失敗に習って背後にも気を配るが、ブーメランの軌道は誰もいない場所を切り裂こうとするばかり。ジェット機の速度を、鉄の刃ごときが捉えることができようものか。

 流星が駆け抜けたのは、だから一瞬。

 柱を回り込めば、そこに間の抜けた男の顔があった。


「あらら、見つかっちゃった?」

捕捉しましたチェック――私の……友達をなぶったあなたには、地獄を見てもらいます」


 短い付き合いとはいえ、寝食を共にした藍凪を目の前で傷つけられて、何の感情も湧かないティーネではない。微かな怒気が言葉に滲んだ。

 マナの逆噴射をやめ、鉛の弾を撃ち込むべく銃口を突き出す。ラペルは両手で顔を庇ったが、ティーネとしてはむしろ好都合。初めから狙いは肩の腱だ。

 そこで、彼の腕が異様なことに気づいた。

 その肌を覆っていたジャケットと手袋が脱ぎ捨てられている。露出した素肌の色は赤黒く変質しており、はち切れんばかりの筋肉が隆々と脈を打つ。それが肩口まで伸びて、まるで腕だけが別の生物のようだった。

 そんなことは関係ない、と構わず引き金を引く。しかし銃弾は肌を通すことなく弾かれた。鉛の弾が、ヒトの肉体に屈したのだ。

 いや、違う。あれは彼本来のものではない。改造を施されている。


「開けてびっくり玉手箱ってな。何が起こるか分かんねえ。分かんねえから気になって開けちまう。その中にどんな呪いが入っていようが、開けたやつには背負い込む責任が付きまとうのがつらいところだ。それでもやっぱり、やめられないんだけどなぁ!」

「何の話ですか!」


 ティーネは迷いなく狙いを足に切り替えた。衣服に隠れて見えないが、そこは普通のヒトの肉体であると推測して。

 必中の銃弾。半端な回避など、それを前にしては意味をなさない。

 しかし、ラペルは腕を足の付近にまで伸ばして、またも銃弾を防いだ。


「戯言さ。俺の得物が帰ってくるまでのな」


 ラペルに呼ばれたように、柱の向こうからブーメランが戻ってくる。彼が両手を振ると、刃は彼の手に戻ることなく軌道を変え、直接ティーネを襲った。

 避けつつ、やはりと確信する。

 彼はその両腕でブーメランの軌道を操っている。正確には空間内の源の青しおみずに流れを作り出し、そこへブーメランを乗せることで。

 特異なのは武器ではなく、彼自身。


「あんまりこれ、見せたくないんだよなぁ。知り合いの研究者に改造してもらって便利になったはいいが、ちょっとばかし見た目が悪いんでね」


 脈動する自身の腕を見て、男は言った。

 普通、ヒトのマナ操作では、手で触れられる範囲のマナしか操ることはできない。

 だが彼の腕を見ればその矛盾は崩れ去る。恐らくは別の、それもサーペント級の強力な生物の肉体を移植しているのだろう。赤黒い腕が、流水発生装置と化しているのだ。

 ティーネは次々とペレット弾を撃ちこむ。その全てが必中であり、視線が示した道筋を寸分たがわず辿った。そしてその全てを、ラペルは腕で防御した。


「よっ、ほっ、はっ……と」


 難なく、といった風に軽い動作で銃弾を防ぎきる姿は、いっそ相手を馬鹿にしているようでもある。

 その間にもブーメランはティーネを追って輪舞ロンドを刻む。たちまちにティーネは攻撃の隙をなくしていったが、それでもと銃口を突き出した時。


「――あぐっ……!?」


 目の焼けるような痛みに、光を失った。


「悪しきを射殺す深紅の眼、その代償、か」


 本来は見えないものを視すぎた目は過熱を起こし、脳への信号を一時停止させる。

 暗闇の中でも鋭い気配は絶えない。危険から逃れるため、ティーネはイチかバチか、もう一度拳銃へとマナを通して逆噴射した。

 暴走したジェット機。緊急の回避で、運よくブーメランの軌道から逃れた。その代わりに、天井から下がる石柱へ背をしたたかに打ったが。


「ざまぁねえな。せっかくの眼も、使い手がそれじゃあ浮かばれねえ」

「ぐ……どうして、当たらないのですかっ?」

「それを敵に聞いてちゃあ世話ねえな」


 ラペルは四つのブーメランを手の内に戻して言う。


「だがまあ、一つ教授してやろう。アンタは真っすぐすぎるのさ。そりゃあもう、俺のような日陰者には眩しいくらいに。だが、だからこそ簡単に狙いを読まれ、絡めとられる」


 たったそれだけのことが、ティーネがここまで追い詰められる要因だと。実力不足や、ましておごりなどではなく、ただその姿勢が真っすぐだから。


「あんまりにも視線通りに弾が来るもんだから、ヒジョーに受け止めやすかったぜ。思った以上に、真面目ちゃんなんだな。はい教授終わり。納得はできたか?」


 納得などできる訳がない。それなのに、視界は闇に包まれ、体中が痛みに叫んでいる。

 あの腕……赤黒い腕にさえ攻撃が通れば、かなり善戦できたはず。それが可能な武器は、いま手元にない。もう一つの銃であればまだしも。

 ないものねだりをしてもしょうがない、と頭を振る。


「知ってるか? ヒトがマナを知覚する場所は、脳みその一部なんだとよ。そこを切り取っちまえば、ヒトはマナを感知できなくなって、流紋術はおろか、泳ぐことも出来なくなる」


 ラペルはこめかみを指で示しながら言う。その姿はティーネには見えないが。


「とりあえず姉ちゃんには、地を這う弱小動物に成り下がってもらう。その後は……どこぞのゲス野郎が高値で買い取ってくれるだろう。そのためにも、一旦半殺しにさせてもらうぜぇ!」


 四つのブーメランを同時に投げる動作。それをティーネは目視できず、断頭台に立った罪人のように待ち受けるだけ。

 最期の瞬間は、間もなく、闇の中で迎えることになるだろう。

 ただし、それを遮るものがなければ、の話だが。

 ドゴォン。洞窟を揺るがすほどの激しい衝撃が、ラペルの手を止めた。


「あぁん? なんだよ」


 彼はふと気を取られて視線を落とした。そこでは今まさに、洞窟の下部で行われていた戦闘の幕が閉じた。すなわちモウタの巨体が吹き飛ばされ、藍凪が勝利したところだった。


「チッ、モウタの野郎、くたばっちまったのか。――って、なんだありゃあ?」


 見慣れないものを見た、という調子で男が声を上げる。事実、その光景は海中で見ることが叶わないはずのものだったのだ。

 ティーネも瞼の裏で感じた。

 碧の、光を。

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