双流激突 2

「今日もまずまずの成果ってとこだな。えーっとぉ……ハジケフグ、ダイオウクラゲ、ホウガンダコ……って、こいつはただのジュウモンジダコじゃねえか! クソ、保護色で黒く見えただけか。どうりで抵抗してこないと思ったぜ」


 せかせかとトロッコの中から生物を取り出しては確認するラペルの姿が、目の粗い布の隙間からぼんやりと見えていた。

 上半身を覆う黒のジャケットと手袋が引き締まった印象。その腰には刃が六方向に飛び出た武器を二つ装備している。刃は緩やかなカーブを描いた形で、側面に模様が彫られている。形だけならば手裏剣か、ブーメランのようにも見えた。

 太いモウタの方は、たっぷりとむき出しになった大きな腹をのんびり掻いている。半裸の上半身には紐で縛るように武器を担いで。こちらはシンプルで飾り気のない石槌だ。だがその大きさと、彼の膂力りょりょくを鑑みれば、巨体のサーペントにすら十分な打撃を加えられるだろう。


「兄貴はおっちょこちょいだなぁ」

「馬鹿野郎。お前が見つけてホウガンダコだって言ったんじゃねえか。この役立たず!」

「うえーん、ごめんよぉ、役立たずでぇ。頼むからオイラを売りさばかないでくれぇ」

「さてどこの肉屋に卸そうか……ってそんなわけあるか。お前みたいなの、どこもお断りだよ。……あークソ、泣くんじゃねえ」


 空っ風のような軽い声と野太い声の、ひどく間の抜けた会話だ。弛緩しきった空気に思わず気が緩みそうになる。

 だが彼らが袋から取り出していく様々な生物。あれらは彼らが悪党であることの証左なのだ。


「兄貴ぃ。そのお魚さんたちはどこに持っていくんだい?」

「そうだなぁ……潮流器官持ちのやつはそこらの研究者にでもくれてやって、後はおっさんのところかな。あのヒトは何でも欲しがりそうだし」

「卵はどうするんだい?」

「あぁ、そうだな」


 ラペルが、一つだけ腰にぶら下げておいた袋を手に持った。


「飯屋のダンナはそろそろ潮時かな。この前も大金出すのをとうとう渋ってきやがった。他にあてを探すとして……まあ、サーペントの卵なんざ、欲しいやつは山ほどいるだろ」


 袋に入っているのはサーペントの卵。サーペントを街へと誘い込み、彼我に血を流させる魔性の品。

 オクトノウトの娘――ムーナの辿った末路を、また誰かに辿らせようというのか。自分たちは無関係という顔をして。裏で大金を懐に入れるためだけに。


「そういや、卵を盗んだら奪い返しに来るってのは本当だったんだな。卵の売れ行きが予想以上だったから盗りすぎちまったが、そうするとこの街も危なくなってくるよなぁ」

「じゃあまた引っ越そうよぉ。オイラまた、前の街で食べたイソギンチャクスープが恋しくなってきたなぁ」

「そうだな、卵もいつまで採れるか分かったもんじゃねえし。そろそろこっちの警備も強くなってくる頃合いだ」

「この前も追いかけられたよねぇ。オイラ、あの娘知ってるよぉ。よく見かけるもの」

「ああ。確かティーネとかいうナイト紛いのハンターだ」

「可愛いよねぇ」

「顔面だけならな。生意気な目が気に入らねぇが。……チッ、クソ面倒くせぇ。ここでもう少し稼いだら場所を移すか。おっさんにも顔見せとかないと……」


 好き勝手なことを言う。自分の利益のことしか頭にない会話を聞くうち、藍凪は段々と表情を消失していった。

 熱はなく、水よりなお冷たい氷の感情。

 別に正義感というほどの高尚な使命感はない。

 それよりも、劣悪で品のない嫌悪という感情が、藍凪の胸の内から手先、足先、そして脳までもを汚染していく。やつらに向けるべき熱は、それが憎悪だとしてもあり得ない。諦めという氷の刃で切って捨てるだけ。


 嫌いだ。ああいうのは。


「ふうー疲れた疲れた。夜の取引まで時間はあるし、しばらく休むとするか」


 ラペルの言葉でモウタがドカッと腰を下ろす。ラペルは腰の武器ベルトに手を掛けた。

 見上げるティーネの顔。彼女は鋭い目つきで今か今かとタイミングを見計らっている。彼らが武装を解除し、意識が休息へと移行し、油断を生んだ瞬間、飛び出すべく。

 モウタがくつろぐのに邪魔な石槌を外そうとした。


「ちょっと待て。なんか袋の数が多い気がしないか?」


 気を緩めかけたラペルの目に剣呑なものが宿る。彼はあろうことか、指をさしながら部屋にある袋を数え始めた。


「オイラにはよく分かんないよぉ。気のせいなんじゃあないのぉ?」

「馬鹿。お前と一緒にすんな。俺は獲物の数はちゃあんと憶えてんだよ。……間違いない。おいモウタ、そこの袋開けてみろよ」


 言われてモウタが気怠そうに体を持ち上げて近づいてくる。

 これはまずい。この場で姿を現わせば、確実に敵対するだろう。あまり広いとも言えない部屋で凶器を持った男二人と相対するなど、危険以外の何者でもない。

 逃げるにしても、外へ通じる扉は迫りくるモウタを挟んだ反対側にある。洞穴に逃げ込むのも、視界と足場の悪さから不安が残る。

 大男の影が二人を覆った。藍凪は激しく打ち鳴らす鼓動を抑えられず、ティーネもまた生唾を飲んだ白い喉元がうねっていた。

 そして、袋に手が掛けられて、


「――――んー? 別に変なのは入ってないよぉ」


 モウタが開いたのは藍凪たちの入っている袋……の手前にある袋。中の魚が飛び出そうとしたのを、大きな手が掴んで袋へ押し込んだ。


 ――運よくばれなかった? もしかしてやり過ごせる?


「ああなんだ、気のせいだったか……って馬鹿。そっちじゃねぇよ。こっちだ!」


 安心したのもつかの間、ラペルが早足で近づいて腰の武器に手を掛けた。今度こそ藍凪たちが身を隠している袋を、その刃で切り裂こうとした。


 ティーネが、動く。

 長大な銃の尻を袋の口から勢いよく突き出し、ラペルの額をしたたかに打つ。不意の打撃にラペルは体を支えられず後ずさる。そこに袋から飛び出したティーネが追撃の蹴りを喰らわせた。よく鍛えられた体から放つ蹴りは、相手を後方へ吹き飛ばすのに十分。

 続けて呆けているモウタへ向かう。彼は袋を覗き込むための屈んだ姿勢のままでティーネを迎え入れることとなった。


「わぁ、可愛い女の子がふたり――」


 体を浮かばせたティーネは低い天井まで上がり、天井を腕で押し付けて落下。重力が乗った蹴りを巨体に喰らわせ、その呆けた頭を魚の入った袋へ突っ込ませた

 藍凪のすぐそばに巨体が沈んで足元が揺れる。袋からは魚介が、今がチャンスと一目散に逃げ出していた。

 その様を目にしたラペルが叫ぶ。


「あぁ! この野郎! せっかく捕まえた獲物が……!」

「動かないでください! 動けば、この方の背中が大変なことになりますよ」


 ティーネは倒れたモウタの背を踏み、発砲準備を整えた〈一条明星ファーストスター〉の銃口を彼へ押し付けていた。モウタはその感触に恐怖してか、はたまた何も考えてはいないのか、為されるがままだ。

 ラペルは油断を見せない目つきのまま、軽薄に笑ってみせる。


「随分と剣呑じゃないの。ああアンタ、この前追っかけてきた怖い姉ちゃんだな?」

「怖い、かどうかは分かりませんが、追いかけて逃げられた覚えはあります。そして逃げたからには、やはり後ろ暗いことがあるのですね?」

「どうかな……ってはぐらかしても意味ないか、この場所を見られちゃ。いやあ、あの時は別に逃げる必要もなかったんだけどな。アンタの目を見てたら焦っちまったのさ。こっちのやってることが全部見透かされているようでさ」

「それは命拾いしましたね。事実、あなたの怪しさはこの眼にもはっきりと印象づいていた。もっとも、ここで運の尽きですが」

「おー怖っ! アンタ、もうちょっと愛想よけりゃ可愛いぜ。んでそっちのは」


 視線が隅で呆然としている藍凪へと向けられた。狐の狡猾さを思わせる鋭い目だ。


「……なんだ子供かよ。チッ、もうちょっと成長してから出直して来い」

「なっ……! うるさいな!」


 藍凪は噛みつくように叫んだ。知らぬうちに女としての格付けをされていたことに腹が立つ。

 そりゃあ同世代のティーネと、いや他の女子と比べたって成長が芳しくないのは分かっていて、気になるけれど。


「……まあいいや。で、アンタらはどんな用向きでヒトの家に隠れ潜んでいたわけ? 俺が言っちゃあなんだけど、あまり褒められたことじゃないよ?」

「とぼけても無駄です。サーペントの卵を街に持ち込んでいるのはあなたたちだ。それがどんな災害をもたらすか、分かっているんでしょう?」

「さて、な」

「密漁者め。あなたたちを捕まえて犯行を止めれば、この海域の乱れも収まるはず……」


 彼らさえ捕まえれば全て解決に向かう。やっと丸く収まるのだとティーネは信じて彼らと対峙していた。


「ああ、なるほど。ここ最近、街をサーペントが荒らしているのは、俺らのせいだと。そう言いたいわけか」

「違うとでも? さっきの話、聞きましたよ。卵を盗まれたサーペントが取り返しに来ることを知っていながら、あなたたちは犯行を続けている」

「そこに関しちゃ否定はしねえさ。だがそれを、海域の乱れ、なんて大きな括りにされたんじゃあ、免罪もいいところだ。……アンタ、実はまだ何も分かっちゃいないだろ」

「どういうことですか? あなたは何を知っていると……?」


 思わせぶりなラペルの口調に、ティーネは動揺を隠せない。

 この違和感。微妙なずれは何だ。彼らが海域の混乱を招いている張本人ではないのか。


「まあいいや。ここまでやっておいて穏便に済むってことはないだろうな。そんなおっかない銃まで持ち出して……初めから一戦交える気マンマンだってことだ。情熱的だねぇ」


 そう、今となっては互いに和解の言葉を持たない。話し合いの期間はとうに過ぎ、暴力的な行動に出た時点で賽は投げられたようなもの。何より彼らが犯罪者であることに変わりはなく、敵対以外の道などない。

 ティーネは答えず、相手の出方を窺うべく気をらしていた。

 ラペルもまた臨戦態勢。僅かに腰を沈め、手をじわりと武器へ伸ばしている。それを咎めるべくティーネが下へ向けた銃口を持ち上げようとした。

 途端、ティーネが片足を敷いていたモウタが暴れて身を揺すり始めた。


「んぐわあぁぁ、兄貴ばっかりずるいよぉ! オイラも二人とお話したいよぉ!」


 体勢にわずかのずれが生じ、ティーネの注意が乱れた。それは対人に慣れた者であっても気付きもしないほどの、およそ隙とも言えないようなものだったが、ラペルは喰いついた。


「シャッ!」


 ラペルが武器を抜きティーネへ向かって駆ける。水流に乗り切らない短距離ならば、泳ぎよりも地に足つけた方が断然速い。ティーネは足元のモウタへ発砲するべく引き金に指をかけた。

 しかしそこでラペルが方向を転換した。彼の標的は、藍凪の方だ。

 ティーネはラペルの行動如何によって対応を考えていたのだろう。藍凪への攻撃を阻止すべく銃口をラペルへと向け直す。

 わずかの乱れ、わずかの遅れ、そしてティーネの思考を読んだラペルが、ここでは上回った。


「よそ見してると危ないぜ、怖い姉ちゃん」


 そこで気づいた。ラペルが装備していたブーメランのような刃は二つだ。いま手にしているのは一つ、しかしもう一つが腰には存在していない。

 ティーネは咄嗟に逆側の背後へと意識を向け、銃を横にした。

 そこへ、飛来してくる刃。一瞬の判断を誤り寸分だけ遅れた代償に、腕の肉をブーメランがさらっていった。


「うっ!」


 銃の腹をかすめたブーメランは洞穴の付近へ落ちる。ティーネの傷口はさして広くないものの、その対応自体が、あまりに多くの時間をラペルに許すこととなった。


 戦闘に慣れた人間が、素人を相手にするには、十分な時間だ。


 藍凪は自衛のためにナイフを抜く。小さく頼りないとはいえ、約二週間は腰につけ、必要に応じて振るってきた。今や藍凪の相棒となるナイフ。

 それをラペルへ向ける。ヒトに向かって振るうのに抵抗はあれど、今は緊急だ。害を為そうと迫る相手に、思いやりの気持ちを持てるほど余裕はない。


「おっと」


 けれど、その刃は何を裂くこともなく空を切った。

 ラペルは容易く藍凪のナイフを握る手を掴んで無害化したのだ。それだけで、藍凪の頭は次の一手を用意することもできず、真っ白になった。


 そして、ラペウの容赦ない膝蹴りが、藍凪の腹に突き刺さる。


 泣きたくなるくらい、息もできないくらい、叩きつけられた暴力。肉を打った衝撃は内側の肺にも伝えられ、すぐさま藍凪から呼吸を奪ってゆく。開いた口からは声も出ず、代わりに唾液とも胃液ともつかないものが垂れていた。握ることを忘れた手から、ナイフがするりと取り落とされた。


 そういえば誰かに殴られたことなんて、小学生の頃に男の子と喧嘩した時以来だな。

 こんなにも苦しいものだったっけ。

 こんなにも耐えられないものだったっけ。


 現実の痛みから逃れるように過去を振り返った藍凪は、あえなく気を失った。

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