双流激突 1

 怪しい二人組を発見した翌日、藍凪たちは街の裏通りを訪れた。裏の事情に詳しい情報通に会い、サーペントの卵の流通を知るためだ。

 表とは打って変わって、何が飛び出してくる分からない、怪しい薄闇のような場所。そこで実際に会ったその人物は、素性とは裏腹に紳士的な態度の男だった。

 彼との取引の結果、ティーネは裏通りにある違法な食材を取り扱うレストランの存在を掴む。

 すぐさま情報の場所へ赴く。場合によっては争いになるかもしれない。なので街中でも武装は忘れない。

 どぎついライトに照らされる路地の、崩れかかった建物。


「失礼します! こちらで使用の禁止されている食材を取り扱っているとの情報がありました。調べさせてもらいます!」


 押し開けた扉の先でその店の主人は固まっていた。これから開店準備に取り掛かるところだったのだろう。手に持っていた卵をするりと取り落とし、床に液体をぶちまけた。

 それこそがまさにサーペントの卵だった。


「私はただ、美味しい食事を提供して、お客様に喜んでもらいたかっただけなのに……」


 主人の嘆きは悲愴に満ちていたが、藍凪たちにとっては肩をすくめて呆れるだけのこと。


「次にボクらが来たときは、おいしい料理を作ってよ」


 もちろん合法の食材で。藍凪の言葉に、主人はうなだれるように頷いた。

 彼の身柄は憲兵に任せ、食材の出どころを聞き出す。案の定怪しい二人組の名前が出てきた。

 針頭のラペル。坊主頭のモウタ。特徴からして先日逃げおおせた二人だ。

 彼らは個人経営の密漁者で、違法な生物素材を仕入れては、それを取り扱う許可を得ていない業種の者に売りつけて金を得ている。このレストランのほかにもいくつかの店に卸しているようだった。

 そして最近になって彼らが売るようになったのが、サーペントの卵。

 主人は、足元を見るような彼らの商売が気に食わなかったらしく、彼らの出没する場所までもを洗いざらい吐いた。


「この通りにあるオレンジ色の建物の中に、東の外へ通じる洞窟があるそうです。ラペルとモウタはその洞窟を使って素材を運び込んでいるのだとか」


 目的が定まった。へたり込んでいる主人を背にして、次の場所へ。


「ここから先は荒事になるでしょう。後のことは私に任せて、アイナは帰ってください」


 早足でラペルとモウタの居場所へ向かう彼女はそんなことを言う。藍凪の返答は、


「嫌だよ」


 子供がわがままを言うような調子だ。納得させられるだけの理屈など、そこにはない。


「解決の糸口が見えた今、あなたがこの一件と無関係であることも判明しました。あなたが事件に付き合う義理もなければ、その必要もない。ましてや足手まといです」

「ボクだって……ここまで一緒にやってきたんだから、最後まで手伝わせてよ。ティーネを独りにはしたくないし」

「私は一人でも全く問題ありませんが」

「うぐぅ……わ、悪いやつらが好き勝手するのが嫌なんだよ!」


 やけくそに叫んだ藍凪。ティーネが白々しいものを見透かすような瞳を向ける。


「言っていることが滅茶苦茶じゃないですか」


 嘘つき。そんな過去の言葉が頭の中に反響する。

 藍凪の主張はどれも嘘ではないが、それが本当の理由ではなかった。事件へ関わろうとするのは、利己的な思いに端を発する。


 ネモが言っていた。かつて自殺した自分は、まだ答えを見つけ出せず、迷っているのだと。

 だから見つけ出したいのだ。

 生を。死を。

 この世界にしがみつくための理由を。


「ボクは……ボクは…………」


 なのに言葉はのどの奥につかえる。出てこようとするものを引き留める何かがある。


 それが、とんでもない裏切りだと、後ろ指をさされるようで。


「せめて――」


 いつまでも言葉のない藍凪に、時間切れの宣告が降りる。


「自分の身は自分で守ることです。もしもの時に、そのナイフを振るう準備だけはしておいてください」


 ティーネは、藍凪を突き放しはしなかった。面倒なものを扱うような態度ではあるが。煮え切らずいつまでも完成しない藍凪の意思を待ちかねて、妥協を許したようだった。

 自分がやはり、彼女にとって取るに足らない一人なのだと実感する。


「足手まとい、か。やっぱり嫌だな、それは」


 分かっていながらもついていくことはやめない。自分勝手は織り込み済み。

 せめて頼られ、求められるような存在になれたら。そんな理想が頭をよぎったが、裏通りのあまりの暗さに呑み込まれて消えた。




「穴だ……」

「穴ですね……」


 生活感のない部屋をカモフラージュにして、その洞穴は壁の中央にぽっかりと空いていた。中にはトロッコのレールが敷かれている。けれど乗り物は見当たらない。

 部屋の中では捕獲した魚を水槽に入れてある。袋詰めにされているものもあった。これらは全て捕獲の禁止された魚なのだろう。売り切れなかった分が、こうして保存されているようだ。


「見て見て。お腹に穴が空いてる」


 藍凪が見つけたのは、自分の体長の倍はあるサメの死骸。その腹は丸く切り出されて、中が空洞になっている。


「恐らく潮流器官だけ取り出されたものでしょう。潮流器官は研究対象として価値が高く、それに保存も難しい。だから先に取り出して売ってしまう。正式な技師や研究者であれば、その用途を申告することで、環境協会から材料提供を受けられます。でも、そうでないはぐれの研究者は、こういった密漁業者から材料を手に入れるしかない」


 ティーネは藍凪に教える。そうやって自身の考えを整理するかのように。

 何らかの理由で研究を認められず、それでも諦められずに非正規の手段に訴える。さっき出会ったレストランの主人もそうだ。彼が行為に手を染めたのは、悪意からではない。

 強い思いがあり、手を伸ばした先に間違った手段があっただけ。危ない橋を渡ってでも何かを為そうとする行いは、何故だろうか、強く否定したいとは思えず、ただ可哀そうだというやるせない念を胸に残す。

 何か小さなことが、しかし決定的に違ってしまった。その掛け違った歯車の分だけ、思いはねじれるのだろうか。


「行こう」


 運び込まれた魚の生臭い臭気が漂う部屋の先へ。暗く長い通路の口に飛び込む。


「ああもう、あんまり下手に動かないでください。いつもいつも落ち着きがないんだから」

「でも、見てごらんよ。レールがあるのに乗り物がない。きっと今は出払っているんだよ。この先に二人がいるんだ」

「それくらい分かりますよ。だからこそ慎重になるべきです」


 藍凪は足を止める。ティーネには考えがあるようだった。


「もうすぐ日が暮れます。地上からの光が途絶える。そうなれば犯人を捕獲することがほぼ不可能になります」

「じゃあどうするっていうのさ」

「せっかちなヒトですね……今出払っているのだから、日が落ちる前には戻ってくるのでしょう。そこを捕らえます」


 言われてみると、あまりにも単純なことだ。とうに居場所を突き止めているのだから、藍凪たちはそこで待ち構えていればいい。


「それなら他に助けを呼んだ方がいいのかな。こう、お前たちは既に包囲されているんだぞー、って」

「何ですかそれ?」


 ティーネが首を捻る。テレビでよくあるネタが通じないことに落胆した、その時。


 ガタン。ゴトン。ガタン。ゴトン。


「この音――」


 遠く彼方から反響してくるリズミカルな音に、いち早くティーネが反応した。

 段々と大きくなるその音に、藍凪も確信を得る。


「帰ってきます! ええと、どうしましょう……!」


 即座の対応に困ってうろたえを隠せないティーネ。どうしてだろう。二人を追う時はあんなにも素早かったのに。

 もしかして攻めるのは得意でも、攻められるのは弱いのかもしれない。よし、今度思い切り抱きしめてみよう。いや、驚かせるというのもおもしろい反応が見られるかも。

 そんなことを藍凪が考えている間にも、音は近づいてくる。


「とりあえず隠れよう」


 洞穴の正面にある扉から出ることは躊躇ためらわれた。

 部屋の隅に置かれてあった大きな袋に二人して入る。圧倒的に狭く、そして何か生臭い。

 そして入った後で二人ともが気づく。

 なぜ同じ袋に入ってしまったのだろう。大きな藻繊維アルガの袋でも、ヒト二人が入るには窮屈だ。藍凪の身長の低さはともすれば小学生並かもしれないが、ティーネは同世代の男子くらいの背丈はある。

 体積を縮めるために自然と抱き合う形となり、柔らかな素肌と素肌が触れ合う。足などは二人して素足を出しているので、肉厚な部分をぎゅうと押し付け合っている。

 ティーネの体は戦闘時の激しい運動に耐えうるよう引き締められてはいるが、ちゃんと出るところは出ている。詰まるところは女子の理想のような体形であり、そんな体に抱き留められている藍凪は否が応にもドキドキしてしまう。

 落ち着かないような。けれどどこか安心感があるような。


「おうし、ストップだ、モウタ」


 藍凪が沸騰せんばかりの心情を必死で押さえつけていることなどつゆ知らず、ついに同じ空間にまで迫った男の声が響く。リズミカルな音が途絶える寸前の緩やかなものになり、やがて止まる。

 軽やかに砂を踏む音が一つ、部屋全体を揺らさんばかりの重いものが一つ。今、二人はトロッコを降りた。

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