海の底、地上は遠く 6

 なにはなくとも腹は減る。これからのことは、さておき。

 白身魚の包み焼きに柑橘系の汁を絞った屋台料理は、控えめに言って極上の一品。これを作ったヒトは恐らく達人か何かだろう。

 肉厚な身を良い香りの葉で包み焼きにすると、旨味の凝縮された脂が融け出し、魚介とほのかな甘みの入り混じった匂いを籠らせる。そこへミナツという海中植物の実を絞ると、一気に味が引き締まる。噛みしめると味の重なりがハーモニーとなって口の中に広がりを見せるのだった。

 夢中で喰らいつくと、あっという間に魚が姿を消していた。

 シャーハンから貰った肉団子も十分においしかったが、それとはまた異なる味わいだ。何より温かいのが腹を唸らせる。


 ふと、この料理はどうやって作るのだろうと思った。作り方それ自体はコクルが大まかに教えてくれた。だが疑問はもっと根本の部分だ。

 例えば焼くという行為。火はどうやって起こしているのか。火という概念が存在するのか。

 味付けだって、液体状の調味料をどう扱うのか。そもそも海と呼ばれる世界にありながら液体とは、どういうことか。


「んーーム。なんだ、お前はまず前提として大きな勘違いをしてるナ」


 工房を出て歩いている最中のこと。シャーハンに尋ねてみると、彼は長いこと頭で考えを巡らせた挙句にそう言った。


「海ってのはしおみず……つまり生命の源である青色のマナに満ちた場所のことダ」


 こういう小難しい説明は苦手なんだがなア、と彼はこぼす。

 薄々勘付いてはいたけれど、ここはどうも自分の知る海とは違うようだ。


「この青色は水と親和性が高くて、よく溶け合う。こんなふうに――」


 シャーハンが「流紋」と唱える。流紋術式と呼ばれるそれは、水流によって形成する魔法陣のようなものらしい。そうすると彼の手のひらに水の球が現れた。


「周りのマナから水を創るのは簡単だシ……」


 彼がもう一つの手の指で水球をはじく。はじき出された水の飛沫は空気中にまじわり消える。


「ちょっとの水ならすぐマナに溶けちまウ」


 不思議な光景だった。水が宙に浮かび消える様は、蒸発するのに似ている。

 理科の実験で、フラスコに貯めた水が温められ沸騰すると、少しずつ気体に変わっていったのを憶えている。

 けれどそれとは違い、沸き立つような激しさもなく消えるのは、まさに溶けると表現するのが正しい現象だ。


「水みたいだけど、水じゃない……水の仲間ってこと?」

「そんなもんダ。それが源の青しおみず


 だからこの世界にバケツの水は存在するけれど、それを霧にして撒けば跡形もなく消える。

 料理の味付けだって、液体の調味料でも、消えない程度の量で加えれば可能だ。

 源の青から水へ。水から源の青へ。

 理解とは程遠いけれど、とりあえず納得。

 だったらこの世界に火なんてものは存在しないだろうな、と考えた矢先だった。


「ん……ねえ、あれなに!?」


 それを発見した藍凪が声を張り上げる。

 穴の空いた建造物……いや、よく見れば巨大な頭蓋骨のようだ。誰かが住んでいるというよりは、それ自体が一つの機械のよう。

 中心で煌々と紫の光を放つのは――


「火だナ!」

「それは見ればわかるよ!」


 紫色をしているが、紛れもなく炎。頭蓋骨の炉の中で燃えている。


竜火炉りゅうかろ。この海で火といえばアレのことダ」

「火もあるって……いよいよボクの知る海とはかけ離れてきたね」

「そう思うのも無理はないゼ。ありゃ特別ダ。海じゅう探しても、あんなものはこの街にしかないだろうサ。なにせあれには、『リヴァイアサン』の潮流器官が入ってんだからナ」

「リヴァイアサン……?」

「さっき追いかけられたサーペントと同じ竜種で、あれよりも強力なやつのことダ。すなわち生き物の中で一番強いってこったナ。海の支配者。生ける伝説。災禍。関わり合いになること自体が生命にとっての不幸、とまで言われてル」


 サーペントより強力と言われると、その存在の規模は途方もないのだと想像がつく。

 先ほどのギョクライコウだって十分に恐ろしいものだった。いや、十分などというと、余裕があるかのような物言いに聞こえるが、あれはヒトが立ち向かうべきものではない。

 岩をも砕く雷撃にヒトが耐えられようはずもなく、銃弾を撃ちこもうとせいぜい退散をさせるのみ。

 その上位種、リヴァイアサンともなれば、まさに災い。

 伝説は今や骸となり、潮流器官が紫の火を創り続ける。


 源の青しおみずというのは水のような性質を持った魔力元素だが、それが集まっただけでは何も起こらない。しかし一定のパターンで流れと循環を作り出すことで現象を発生させるという。

 イメージとしては豆電球に電池を繋いで点灯させるようなものだろうか。

 シャーハンがつい先ほど水を創り、ティーネが柱を現出してギョクライコウの雷を防いだような、魔法と見紛う現象。流紋術式。

 潮流器官というのは、内部で流紋術式を発生させる、生物の内臓器官のことだ。

 この世界の生物の臓器には魔法が宿っている、と考えるのが手っ取り早いだろう。


「ヤツの潮流器官はとびきりの特別製ダ。普通ではあり得ない規模の事象を引き起こしやがル。相手にすりゃ最大最悪の災いってもんだが、あの形になりゃあ街に最高の恵みをもたらすのサ」


 竜火炉の前には幾人かヒトがいる。彼らはみな手にカンテラのような器具を持ち、その中に紫の火を灯している。竜火炉から火を分けてもらったのだ。

 持ち帰られた火は料理に使われるだろうか。それとも暖をとるのか、部屋を照らすためか。

 リヴァイアサンの遺骸は、既にウィルディの中心としてそびえ立ち、生活の基盤となっているようだった。


「俺の夢、聞くカ?」

「急だなあ……でも興味あるよ」


 唐突に切り出したシャーハンは、意気揚々と鼻を鳴らす。


「いつかリヴァイアサンの潮流器官を使って武器を造ル! あれだけの特級品ダ。きっと最強の武器が出来上がるゼ」


 拳を握り語った彼の眼は無機質。けれど黒真珠のように輝いていた。


「とはいえ、ダ。今考えなきゃいけねえのはリヴァイアサンじゃなく、サーペントのようだナ。……うわっ、ひでエ」


 彼の視線の先には、半分だけ削られて断面図のようになった家がある。崩れた瓦礫と生活の断片だけを残して、住むヒトもいない。

 生態の変化。危険な生物が街の周囲に出現する。そうティーネは言っていた。これはその被害の跡なのだ。


「なんだか物騒だね」

「普段はそうでもないんだゼ。街の防衛はちゃんとしてル」

「でも敵はこっちより強いみたいだ」

「敵じゃねえヨ。俺らが敵って認めない限りはナ」


 まあなんとかなるサ、とシャーハンは崩壊した家を通り過ぎてゆく。




 ウィルディの街の中でも比較的大きな建物、街の防衛本部にティーネはいた。


「シャーハンさん、わざわざ来てくれたんです……って、どうしてあなたもいるんですか?」


 シャーハンの隣に立つ藍凪を見た途端、露骨に嫌な表情を浮かべる。


「まあまあ、いいじゃないカ。今ヒマはあるのカ?」

「それは、構わないのですが」


 随分と綺麗な表情をする、と藍凪はティーネの顔を見つめていた。それは精巧せいこうな作り物のように美しく、どこか冷たい。

 自分を観察する視線にティーネが気づいたようだ。そこへにこやかに笑って見せる。彼女は藍凪の笑顔に、ふん、と鼻を鳴らした。


「あ、そっぽ向いた」

「あなたとの話は終わったはずですよ、自称・堕ちビトの方? まだ何か?」

「そんなつれないこと言わないでよお。地上から来たのは本当だって」

「信用に足らない言葉ですね。冗談もほどほどにしておかないと、笑えませんよ?」


 笑う時なんてあるのかな。ティーネの氷細工のような顔を見て訝しむ。

 ハナから信用を置かれていない。この調子だと、何を言ったところで嘘よばわりされそうだ。


「ぐぬぬ……そもそも根拠もないのにヒトを嘘つき扱いして、ひどいと思うな。キミは何様なんだよ。王様? 神様?」

「王も神も関係ない。私は自分の性能を理解し、信頼しているだけですから」


 あまりに真っすぐな言葉だ。藍凪は気圧されないよう、腕を前にして身を護る。隣から「なにやってんダ?」とシャーハンが言う。

 ティーネは、その深紅の虹彩に触れるように、指をかざした。


「この眼は特別なものです。こと正確さにかけては、絶対的だと自負しています」


 先ほども見た紅の光。

 藍凪はその眼にこそ恐怖したのだ。偽証を正し明かす光輝に。


「コレがいうのです。いま目にしているあなたは信じるに値しないと」

「そんなよくわからないものに判断されても、困っちゃうよ……じゃあどうしたら信用してくれるってわけ?」

「誠意を見せて正しい行いをすることです。あなたがそれ相応の努力と結果を出せば、その時は私も自分の非を認めましょう」

「オーケー! じゃあボクも精一杯協力しなくちゃね!」

「…………キョウリョク?」

「シャーハン聞いた?」


 ティーネが深紅の眼を硬直させた、と思えば藍凪とシャーハンの間で焦点をうろうろさせる。


「おお聞いたゼ。上手く話がまとまったみたいだナ!」


 藍凪はジャンプしてシャーハンと手を打ち合わせる。

 納得いっていないのはティーネだけ。もの凄い形相でシャーハンに詰め寄った。


「ちょっと待ってください! もしかしてこの部外者を関わらせるつもりですか?」

「そのつもりだガ?」

「だが?……じゃないですよ! こんな正体不明のヒトに何をさせるっていうんですか……。まるで意味がないでしょうに」


 意味がないとは聞き捨てならない。藍凪はティーネに反論するために口を挟んだ。幸いにも彼女が欲しがっている理由とやらは持ち合わせている。


「それはボクが堕ちビトだからだよ。ティーネは知らない? 地上から迷い込んだ堕ちビトは、海に色んな影響を与えるんだって。海に異常が起きてるっていうんだったら、このボクが関係している可能性は高いんじゃないかな」


 これ以上ないってくらいに整った論理だ。自分で自分を褒めてやりたい。

 まあ、まるで実感はないのだけれど。

 鼻高々に高説した藍凪に、ティーネは銃を向けた。


「だったらあなたを討伐すればすべて解決ということですか。それは簡単でいいかもしれないですね」

「早まらないで!?」


 冗談です、と巨大な銃は下ろされる。彼女の真面目な顔は冗談に向かないと思う。


「堕ちビトなんておとぎ話でしょう? その情報を証明するものが、なにも――」

「ならお前が傍にいて、見極めればいいじゃないカ」

「……どうしてそうなるのですか」

「お前さんの調査にアイナを連れて行けばいイ。そんでその眼でじっくり確かめてみれば、アイナの言ってることが嘘かどうかわかるだロ。さっき自分で言ったじゃないカ。『誠意を見せろ』っテ」


 シャーハンに言われて、彼女はその端正な顔を固めた。

 やってしまった、という風に頭を抱える。


「無茶苦茶ですよ……あなたの言うことはいつも…………」

「決まりだナ」

「もういいです。そこまで言うのなら」


 ティーネはため息を吐きつつ、藍凪に向き直る。


「せいぜい役に立ってください。邪魔だけは、しないでくださいね」


 忌々しげに向けられた視線。余計な荷物を背負ってしまったというような。藍凪は「うん!」と勢いよく返してやった。

 藍凪の生活方針が定まったところで、話の焦点は海の異変へと移る。

 とはいえティーネもこの件に関しては多くを知らなかった。街の周囲に現れるサーペントと、謎の生物のことだけ。彼女に調査を要請した防衛本部にしても、それ以上の情報を掴んではいない。

 彼女は生物研究の第一人者であるオクトノウトという人物にも話を聞こうとしたが、その人物は次々と研究施設を変えるため、居場所を知る者はほとんどいないらしい。

 だが幸いにも、シャーハンがその数少ないうちの一人だった。


 こうして予定も決まり、解散してそれぞれ明日を待つ。

 この時は誰も知らなかった。だが予感は、たったひとり――――藍凪だけは感じていたのかもしれない。

 本来あるべき世界から外れ、異分子として別世界に参入した彼女が何を為し、どのような末路を辿るのか。


 幽霊は、いつでも見ている。

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