海の底、地上は遠く 5
「失礼しても?」
おウ、シャーハンが返事してティーネを招き入れる。
凛として透き通る声。それに伴う顔立ちも力強い女性らしさが滲み出ている。迫力ある眼力は小動物が怯えて逃げそうなほどだ。すらっと長い高身長も、程よく豊かな胸のふくらみも、藍凪とは対照的。そして首までで切り揃えられた柔らかい薄桃の髪。
ティーネと呼ばれた少女は慣れた様子で工房へ踏み入る。魚の背にも似たフード付きの黒い袖なしコートが体格を覆い隠している。海にありながら、艶やかな羽を持つカラスのようだ。
そして、背負い込んだ重厚な長銃。
赤いほうき星の弾道を思い出す。とても綺麗で、目に焼き付くような閃光を。
彼女のホットパンツから伸びた白い足は迷いの一切を感じさせない真っすぐな歩みを刻んで、藍凪たちの方へと向かう。
「どうしタ。銃の不具合カ? それとも新調の相談かイ? それなら丁度いま開発中のものがあるゼ。まあ武器の形だけ先に決めちまって、肝心の
「装備は問題ありません。〈
「おいおい褒め過ぎだゼ。舞い上がっちまうじゃねえカ」
シャーハンは手足をくねくねと動かし喜びを示す。突然の奇妙な光景だったが、ティーネは見慣れたとばかりに華麗に流す。
「器官の力を使うことは滅多にありませんが、
「おウ! でないとせっかくの銃が乾いて死んじまうからナ。そうなったら俺は悲しイ」
「潮流武器は内臓を有する生きた武器、でしたよね」
「そうだ、肝に命じとけヨ。……内臓だけにナ!」
工房内を冷たい風が吹き抜けた。そう錯覚するほどの沈黙。
どうやらシャーハンが自信満々に言い放ったのはギャグの類らしい。藍凪にはその心がわからないけれど。
ティーネはというと、固まったまま返しに窮している様子。
「…………………………ところで、そちらの方は?」
そしてスルー。ついでにパスである。
凍った空気も、一人だけ温度差の激しいシャーハンも、触れずにおこうという構えである。
なんとなし、差し向けられた視線に重い圧を感じる。
「ボクは沖見藍凪。えっと……シャーハンの知り合いだよ」
「そう。私はティーネといいます。一応、ハンターの仕事をしています。どうぞよろしく」
よろしく、と返す。灯台からギョクライコウを狙撃していたこの桃色の少女のことは、工房までの道すがらで聞いていた。
この世界には危険な生物が数多くいる。先のサーペントのように、そうした脅威となる生物がヒトの生活圏を荒らすこともままあるらしい。
そうした生物を打倒すべく武器をとるのが、ナイトやハンターと呼ばれる者。
ナイトは街や村に配属されて、その生活圏に迷い込んだ生物を追い払う役目を負っている。
対してハンターは、深海探査などの過程で障害となりうる生物を駆逐したり、研究に必要な生物の素材を回収したりする。
ティーネは腕利きのハンターであり、この街に滞在してナイトの仕事も手伝っているらしい。
「む……」
初対面の挨拶に握手を交わした時、ティーネが声を漏らした。
ティーネの目が藍凪を捉える。透き通る紅の瞳が、薄く閉じられた瞼から半分だけ覗いて、あり得ないほどの不信感を表現していた。
「……なんだろう。あなた、すごく妙な香り」
「ボクってそんなに臭い!?」
思わず声を張り上げてしまう。そういえばシャーハンに出会った時も同じことを言われていた。
こっそりとエメラルドブルーの髪をすくって嗅いでみる。別に臭いということはない、はず。でもこういうのは自分では分からないというし。なんだか傷つく。
「いえ、別に臭いということでは」
「ここのヒトたちは鼻が繊細なのかなぁ? でもボク、これでも女の子なんだよね……」
「……失礼なことを言いました。謝ります」
うやうやしく頭を下げるティーネ。こういった仕草の一つ一つが大人びていると感じる。
体格から振舞いまで、子供っぽい自分とは正反対だ。
「なんだ堅苦しいなあ、お二人さン」
「初対面なんだから当然です。――それでシャーハンさん、少し相談があるのですが」
「どうしタ?」
ティーネは切り替えるようにシャーハンに向き直る。その際、一瞬だけ藍凪の存在を気にしたようだった。
「近頃のこの海域についてです。シャーハンさんも気付いているでしょう? ここ数日の間で、あまり好ましくない生態の変化が起こっている。生物が本来の生息域を離れ、危険な生物が街の周囲に出現することが多くなった」
「そういやさっきのギョクライコウに襲われたのも街の付近だったなァ。あそこでやつを見るのは確かに稀ダ」
「腹を空かせたサーペントがヒトの暮らす海域へ迷い込むことは時々あります。ですが、最近の街の被害には看過できないものがある。度が過ぎていると思いませんか?」
シャーハンは、「確かニ」と下顎を触る。
突如として藍凪たちの前に現れ雷撃によって襲い掛かってきたサーペント。よくある出来事なのだと思ったが、しかし。
「それに最近になって観測され始めた、謎の生命体のこともあります」
謎の生命体?
「その噂は知ってるゼ。確か、白いヒト型の生き物。例の幽霊だって話もあるらしいナ」
「例の……ネモですね」
やけに深刻な面持ちで呟くティーネ。
幽霊。その単語が藍凪の知るものとは違い、実体を持っているかのような言いようだ。少なくとも冗談として受け取ってはいない。
口走った後で、ティーネは藍凪を窺いつつ言葉を継ぎたした。
「詳しい話は後でしましょう。今はご友人がいらっしゃっているみたいですし」
「ボクは全然かまわないよ。すみっこの方で大人しくしてるから」
「いえ、一般の方に聞かせるわけにはいかない話ですから」
やんわりと念押しされて合点がいく。つまりは無関係の藍凪は引っ込んでいろということ。
「なんか、いろいろ大変な時に来ちゃったみたいだね」
「済まねえナ。こんなにバタバタしてなけりゃ、いろいろ案内できたんだガ」
申し訳なさそうに言うシャーハン。彼に非は一切ない。どちらかといえば、勝手に押しかけて助けてもらったのはこちらの方なのだから。
けれど、これからどうしよう。せっかく新しい世界にやってきたのだから、もっと目新しいものに触れたい。胸躍る出来事を体験したい。
ティーネとも、できれば仲良くなってみたいと思うけれど。
「おおそうダ!」
シャーハンが何かをひらめいたかのように手を打った。
「ティーネ、お前は確か一人暮らしだったよナ?」
いきなり何を言い出すんだ。藍凪はじとりとした眼差しをシャーハンに向ける。
案の定、問われたティーネも戸惑いを隠せない。
「は、はあ。それが何か?」
「じゃあこっちからも相談ダ。こいつをしばらく泊めてやってくれないカ?」
そう言って彼は藍凪の頭に手のひらをポンと置いた。
「え?」
「何を驚いてル? こっちの事情はともかく、お前には住む場所が必要だロ」
「あ、確かに」
忘れていた。というより、あまりに基本的なことなので意識から抜けていた。
自分には住む家がない。帰る場所がない。当たり前は、当然のようにない。
ティーネは藍凪に向き直る。
「アイナさん、でしたか? そういえばあなたは、シャーハンさんと一緒にギョクライコウに追われていた女性でしたか」
「そうだよ」
「遠方からやってきたとお見受けしますが、どこから?」
また、この質問だ。誰がどこからやって来るのか、誰しもよほど知らずにはいられないらしい。
「いや、えっと……」
藍凪は口ごもった。
はぐらかすことはできるかもしれない。隠すことだって。誰にも話すことがないのならそれが一番いい。
けれど住む場所を与えてくれるヒトに、それを隠しておくのは不義理というもの。
何よりティーネという女性に下手な隠し事をしたくはなかった。
あるいは、できないと直感したのかもしれない。
「…………実は、ボクはこことは違う世界、地上からやってきた。気がついたら迷い込んでしまっていて、気を失ってたところをシャーハンに助けてもらったんだ」
目を伏せ、藍凪は真実を語った。
「この世界のことはほとんど何もわかってない。どうやって生きていくのかも、まだ……。頼れるヒトがいないんだ。仲良くしてくれると嬉しいな」
目を上げた時、ティーネは自分を受け入れてくれるだろうか。それとも自分が堕ちビトであると知り、拒絶するだろうか。
「それ、ぜんぶ本当なんですか?」
ティーネの声に顔を上げた。こころなしかよそよそしい声だった。
背の高い彼女の、上部から見通すかのような深紅の眼と、遭った。
「本当、だけど」
返す藍凪の声がわずかに震えを帯びている。蛇に睨まれ動けない蛙のように、恐怖している。
「『だけど』?」
だけど。その先に続く言葉はない。ないはず。
ただ言葉の後に付け足した、単なる口癖、だけど……。
「嘘つきですね」
ティーネはそう言って、藍凪から視線を切った。
「どういう意味……?」
「それはあなた自身がわかっているはずです。あなたの言葉に、眼差しに、そして態度に、滲み出る
「おいおいティーネ、そんな言い方はないだロ。アイナは困ってるんだゼ?」
二人の間からシャーハンがたしなめるが、ティーネには響かない。
「シャーハンさんは何でも鵜呑みにするから……地上から来ただなんて、それこそ真っ先に疑うべきことでしょう?」
「ちょっと待ってよ! 本当に嘘なんてついてないんだってば」
横顔のティーネが睨むように向けてくる深紅の眼。
藍凪が発する言葉の一つ一つを精査する。
「……正直に言葉を語らないヒトとは行動しないようにしているんです。嘘つきは、いつか必ず裏切るから。――――相談、お断りします。他のヒトをあたってください」
彼女は突き放すように背中を見せて工房から出ていく。藍凪は呆然と見送ることしかできなかった。
「もしかしてボク、嫌われちゃった?」
「そうみたいだナ」
残された二人は顔を見合わせる。外から話し声が聞こえて、入れ違いに入ってきたのは、両手いっぱいに包みを抱えたコクルだった。
「遠くから来て腹空かせてる客がいるって言ったら、おっちゃんがサービスしてくれたッス。ラッキーラッキー……ってあれ? 二人してなんか面白い顔してるッス!」
あはは、と無邪気に笑うコクル。
バケツ一杯の水をぶちまけられたような気分で、藍凪は佇むのだった。
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