海の底、地上は遠く 4

 周囲の急峻な岩山を防壁として、その窪地の中にヒトの暮らす区画がすっぽりと入っている天然の城塞都市が、ウィルディという街だった。

 凹凸の激しい地形に石で道が作られ、その脇にやはり石造りの建物が連なっている。海底には木材が存在しないのだろうか。石ばかりの外観は、どことなく古代遺跡じみている。

 だが建物と地形が入り組み繋がった立体構造は、その長い年月を物語る芸術。ところどころに塗料による色付けや、模様付けが施されており、視界の変化も豊かだ。

 建物自体の造りも奇妙なもので、とある家などは縦に長い形で、そこへ扉が下段、中段、上段、といった風に三つ取り付けられているのだ。上の方にある扉などは、開けて外に出ると地面に落下してしまうし、そもそも入ることができない。

 あり得ない位置にある扉へどうやってと思案するが、何のことはなかった。

 藍凪が目にしたのは、家の前でふわりと宙に浮かび、そのまま泳いで扉へ入っていく住民の姿だった。

 そうした場面に限らず、道行くヒトの多くが宙に浮いている姿が見受けられる。普段の移動手段として彼らは魚と同じように泳いでいるのだ。


「ハッハハ。そんなに上ばっか見てるとつまづいちまうゾ」


 あちこちと目移りしている藍凪に、シャーハンも笑みをこぼす。


「腹減ってるだロ? 落ち着いたら何か食いに行こウ。旨い肉を出す店があル。――あの遠くの高台はこの街ぜんぶを見下ろせる絶景スポットダ。落ちこんだ時に行くと気分がスカッとするゼ。ま、傍の建物は牢獄なんだけどナ」

「すごい雰囲気あるよね。こんな街、ゲームの中でしか見たことないや」

「げえム?」

「あ、伝わらないか。うん、こっちの話!……それよりも、本当に古そうな石造りだね。神様とか祀ってそう」

「この海域ではだいぶ歴史のある方ダ。何しろ一度は更地になって、そこからここまで建て直したぐらいだからナ」

「更地? シャーハンは大丈夫だったの!?」

「俺が生まれる前の話だヨ。災禍と呼ばれるものらしいが、詳しくは知らン」

「あれは?」


 藍凪は街の上部に見える、高速で流れてゆく人影を指さす。


「よくぞ聞いてくれタ! あそこに見えるのはウィルディの目玉、『大円環流』。街をぐるっと一周する高速の水流ダ。あれに乗れば一瞬で街の反対側まで行けるんだゼ。水流発生装置の開発には俺も手を貸したんダ。かなり骨が折れたゼ」

「へえ、シャーハンはすごいヒトなんだね」

「そこに気づくとは、お前さては天才だナ? 他にもいろいろ造ってるんだゼ」


 彼は胸を張り、ニヤリと口の端を歪める。

 街を見物しつつ、シャーハンに案内されるままに歩いて到着したのは、巨大な岩から削り出された洞窟のような建築物だった。他のカラフルな建物とは違い、むき出しのままの石材に所有者の性格が窺えるというもの。


「俺の工房ダ。まあ遠慮なく入ってくレ」


 内部の様子が丸見えの造り。誰かがいるようだったが、シャーハンは無遠慮に入り口の穴をくぐった。


「あ、おかえりなさいッスー」


 女の子が一人。シャーハンの子供……ではないようだ。顔のつくりは人間のもの。


「良さそうなマナの伝導体は見つかりました? ウォシズン海峡は上層・・に近いけど、アタシの見立てだとおもしろい鉱石が転がってるはずなんスよね」

「確かにあそこは潮の流れが他と違っていたなア。そのせいか地質も他では見ない模様だっタ。鉱石の大半は源の青を通すにはからっきしだが、別の用途には使えるかもナ」

「そッスかー」


 少女は軽い落胆を見せると、すぐに自分の作業へと戻ろうとする。鉱石でできた部品のようなものにやすりをかけていたようだ。

 彼女はシャーハンの後ろから姿を現した藍凪を見るとその手を止めた。


「ん、あれ、どしたんスか、そのヒト?」

「あア、こいつは――」


 シャーハンは砂地の真ん中で藍凪を発見し、ここまで連れて来た経緯を話す。藍凪がどこから来たのかについては伏せながら。


「ははーん、また親方の世話好きが出たってところッスかねぇ」


 それでも聞き終えた少女は特に藍凪をいぶかるでもなく、ただシャーハンをニヤニヤと見つめた。行き倒れ同然の人間を拾ったことに対して疑う様子はない。


「アタシの名前はコクル。親方の一番弟子ッス」


 少女コクルは快活な笑顔を藍凪に向けた。歯を見せる口もとがシャーハンとよく似ている。

 年の頃は藍凪と同じくらいだろう。首まである青魚のような銀色の髪。街でよく見かけた色だ。前髪を上で束ねているのが、角を生やしているかのよう。胸は簡素な布で隠し、下はショートパンツの上から上着を巻き付けている。首からは作業用ゴーグルがぶら下がる。

 背は藍凪より拳一つほど高いくらい。上がったまなじりが元気いっぱいという印象だった。


「ボクは沖見藍凪」

「オキミアイナ……なんだか珍しい響きッスねー」

「沖見が苗字。藍凪が名前だよ」

「あぁオキミ・アイナ。上は家名なんスね。珍しいなぁ」


 はたと、藍凪は工房と呼ばれた部屋を見回して言う。


「もしかしてシャーハンって職人さんなの?」

「言ってなかったカ!」


 シャーハンは堂々と腕を組んで言う。


「正式には『潮流技師』という、『潮流器官』を道具に組みこむことを専門にする職人だナ」

「ちょうりゅう……?」


 首を捻る藍凪へ、コクルが身を乗り出すようにして言う。


「親方はすごいんス! サーペントですら裸足で逃げ出すほどの武器をいくつも手掛けている、ヒト呼んでぶっ飛びサメ頭野郎! 狂人的な武器の発想と、『源の青しおみず』の経路をつくる時の繊細さは、この街で一番と言っても過言じゃないッス」

「へへ、よせやイ」


 前に突き出た鼻を照れくさそうに指でこするシャーハン。

 よくわからない単語のオンパレードで、藍凪にはいまいちコクルの熱意は伝わっていなかった。というか、「ぶっ飛びサメ頭野郎」の部分はただの悪口ではないか?


「それはそうと――」


 コクルは前のめりになった体を正して言う。


「アイナさんはどこのヒトなんスか? どうもこの街では見ない服装ッスよね。他の街や集落となると、ここからはかなり距離があるような――」

「コクル!」


 するとシャーハンが無理やり言葉を遮るように呼びかけた。


「どしたんスか?」

「あー、腹ぁ減ったよナ? 俺は減っタ。悪いが何か食い物を買ってきてくれんカ? 三人分だゾ」

「あ、はいッス。いつものでいいですか?」

「うム」


 頼みを受けてから実に素早く、コクルは「行ってきまッスー」の掛け声と共に外へ飛び出していった。反応から行動までの疑いのなさが、まるで従順な犬のようだ。

 雑多な物に散らかった工房に、二人取り残される。恐らくはシャーハンが望んでそうしたのだろうが。


「……えっと、今のは、ボクの素性を隠したってことなのかな?」

「そんなに深い意味はないサ。打ち明けたいならそうするといイ。自分のタイミングでナ」


 シャーハンなりに気を遣った、ということなのだろう。意外だが、ありがたくはある。

 地上から海底へ。そういった事情が持つ意味合いを、藍凪はよく知らない。

 それが良い事なのか、悪い事なのか。他人に言っていいものか、判断がつかないのだ。


「うん、そうする。……それにしても、シャーハンはやけにすんなり受け入れたけどさ。もしかしたらボクのほかにも地上から来た人がいたりするの?」

「いるゾ」

「…………あ、そうなんだ?」


 ほんの軽い冗談のつもり。もしや的中するとは思ってもいなくて。

 無意識に自分のことを特別だと思い込んでいたが、そうでもないのか。


「正確にはいた・・、だけどナ。そういう昔話を聞いたことがあル。昔は地上から迷い込んだヒトのことを『堕ちビト』って呼んでたらしいゼ」

「今はいないってことか。危うくボクのオンリーワンの座がおびやかされるところだったよ」

「それは大事だナ!」


 シャーハンは親指をグッと立てた。


「けど憶えておいた方がいいゼ。堕ちビトってのは、その存在自体がこの海に大きな影響を与える…………って言われていル。良くも悪くもナ。俺はそんなの気にしちゃいないが、毛嫌いする連中もいるかもしれン」

「そっか。じゃあ気をつけた方がいいね」


 正直なところ、自分のような堕ちビトが毛嫌いされる可能性に関わらず、地上から来たということを言いふらす気はあまりなかった。

 もはや以前とは住む世界が違う。地上にいたころの自分とは無関係なのだから。

 それでも初めに出会ったシャーハンに打ち明けたのは、まだ状況をうまく把握できていなかったというのもあるが、やはり誰かには知っていてほしかったのだろう。


 自分の生まれた場所を。自分が何者なのかを。


 そうすることで、自分という存在が確かなものだと感じる気がするから。


「最初に会ったのがシャーハンみたいなヒトでよかったのかもしれないね。ボクは運がいいや」

「ん、もしかしてそれは、俺みたいなサメ頭ってことかイ?」

「……カッコいいと思うよ?」

「そうだろウ」


 話が一段落したのと、ほぼ同時。外の方から声がした。


「シャーハンさん」


 藍凪とシャーハンは振り返る。買い出しに出かけたコクルが戻ってきたのだろう。

 だが入り口に立っていたのは背の高い人影。まだ記憶に新しい桃色の髪の毛だ。


「なんだティーネじゃねえカ」


 ティーネ。真っすぐなまなざしで銃口の先を見据える、女の子の名前だった。

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