第142話 大迷宮攻略②

「準備はいいですか?」


 マサキさんはみんなに視線を送りながら緊張した様子で扉に手をあてた。その声にセレンさんとイザベラさんが同意するように頷く。


「えぇ。問題ないわ」


「今度こそ倒しちゃいましょ〜!」


 ん〜。3人とも緊張しているのかな? 道中と違って身体に少し力が入りすぎてる気がする。まぁ、一度こっぴどく負けてるし、苦手意識がでちゃうのも仕方ないか。フェンリルって強そうだからなぁ〜。……。


「はぁ……はぁ……はぁ。この扉の先にフェンリルが……。まさかフェンリルと戦える日がくるなんて……。うひっ。うひひ」


「ねぇ〜、チカぁー? なんか牛人間が怖いんだけど。これ大丈夫なの?」


「いや、そんなこと私に言われても……。アージェさん。大丈夫?」


「ハッ! すいません!! 少し興奮してしまいました。もちろん大丈夫です!」


(本当かな〜? うひひとか言ってたけど……)


「ん。きっと勇者様の絵本の影響」


「マリーちゃんどういうこと?」


「絵本の中に人の言葉を喋るフェンリルが出てくる。だから私も楽しみ」


「へぇ〜。人の言葉を喋るフェンリルなんているんだ」


「ん? 大迷宮のフェンリルは喋らないの?」


「喋らないよ? あれ? それともこっちの大迷宮だとフェンリルって喋るのかな?」


 私はマサキさんの方へ視線を送る。


「いや、喋らなかったですね。犬みたいに唸り声をあげたり、吠えたりなんかはしてましたけど……」


 喋らないらしい。その辺りもゲームと同じなのか。でも絵本にでてくるってことはどこかに喋るフェンリルがいるのかな? ちょっと会ってみたいかも。


「「ガ──ン!」」


 フェンリルが喋らないのがよほどショックだったのか、まるで遠足に行けなくなった時の子供のような悲しげな顔をして、ふたりは杖と大剣を床に落とした。


「唸って、吠えるって……。それじゃ普通の狼と変わらないじゃないですか……」


「うん。脚の速い大きな灰色の狼だね」


「じゃあ光魔法は……?」


「え? 光魔法? フェンリルが?」


「ん……。絵本だとフェンリルは色んな魔法使ってくる。特に光魔法が有名」


(光魔法? そんなのフェンリル使ってきたっけ?)


「んー、どうなんだろう? 私の知ってるフェンリルは光魔法なんて使ってこないかなぁ。脚の速さを活かして爪や牙で攻撃してくる感じだったよ?」


「……そんなのフェンリルじゃない。ただの狼」


(ひどい言われようだ。なんだか扉の先にいるフェンリルが可哀想になってきた)



◆◇◆◇



 マサキさんが扉を開けると、大きいな灰色の狼が奥にある反対側の扉の前で犬のように丸くなって寝そべっていた。


「チカさん。あれがフェンリルですか……?」


「うん。そうだ──」


「違う。ただの駄犬」


 アージェさんの質問をマリーちゃんが辛辣な言葉で否定する。


(とうとう狼ですらなくなっちゃったよ!!)


 ……まぁ無理もないか。地面に寝転んでるあの姿。どっからどう見ても犬だもんね。きっと勇者様の絵本が大好きなマリーちゃんにとって許容できないものなんだろう。もっとカッコよく書いてあるのかな?


「3人とも油断しないでください!! あー見えてもあのフェンリルはウィル君の補助魔法と風魔法で強化したセレンさんより速いんですよぉ!」


「えっ! そんなに速いの!?」


 イザベラさんの言葉に同意するようにセレンさんが頷く。


「えぇ。土魔法で足止めしながら逃げるのが精一杯だったわ。さすが伝説の魔物といったところかしら……」


 そう話すセレンさんの額にはわずかに汗が滲んでいた。


(それって結構やばくない?)


 風魔法で強化されたスピードはマリーちゃんを見てるから私も知ってるけど相当速い。それこそ今の私が全力で走ったとしても追いつける気がしない。飛んでいけば追いつけるかなぁ〜、どうかなぁ〜ってところだ。


「チカさん。油断しないほうがいいですよ。正直スピードだけならこっちのフェンリルのほうが上です。魔法が使えなくなってたことに気が動転してたとはいえ、俺も腕を千切られましたからね」


「あっ……。だから腕のところだけ鎧がなかったんだ……」


「あれは本当に大変でしたよぉ〜。私がマサキさんの腕を拾ってきたんですよぉ? セレンさんが命懸けで時間を稼いでくれなかったらどうなっていたか……」


 ……その大変な事件の根本的な原因を作ったのは私と。そういうことですね? 分かります。反省してます。だからみんなそんな目で私を見ないでください。



 気を取り直して、私はフェンリルの方へ視線を送る。


 あの巨体でそんなスピードが出せるなら牙や爪を使った攻撃も私が知ってるフェンリルなんかよりずっと強力かもしれない。下手に動き回る前にブリュナークを一発投げこんどくか……。

 

 私は猫耳パーカーのポケットからブリュナークを取り出した。


 それにしてもこのフェンリル。なんでその場から動こうとしないんだろ? それにあの目……。フェンリルってあんな犬みたいな目だったけ? もっとこー、野生の獣! みたい鋭い目をしてた気がするんだけど……。


 チカがそんなことを考えていると、チカの動きに気がついたフェンリルがその場からゆっくりと立ち上がった。


 しかし前回とは明らかに様子が違っていた。


 吠えるわけでもなく、唸るわけでもなく。ただただゆっくりとした歩調でチカ達がいる方向へ歩みを進めるフェンリル。その動きや様子から敵意や殺意といった感情が一切感じ取れなかったのだ。


 一方、以前フェンリルと戦ったマサキ、イザベラ、セレンは揃って首を傾げる。


「……飛びかかってこない?」


「なんか様子が前回と違くないですかぁー?」


「それどころか殺気をまったく感じないわ。一体どうなっているの?」


 困惑し動揺する3人をよそに、チカは全く別の感想を抱いていた。


(私を見てる? なんだろうあの目。すごく気になる……)



 やがてフェンリルは中央付近までくるとピタリと立ち止まり。そして──。


「「「「「えっ……?」」」」」


 チカに向かってゆっくりと頭を下げた。


(なぜ頭を下げる!?)


 皆が間の抜けた声を漏らし、目の前で起きたあり得ない光景に理解が追いつかず、ただ呆然とその様子を眺める中。マサキがチカに向かってボソっと呟いた。


「……今度は何をしたんですか?」


「何もしてないよ!?」


「じゃあなんでフェンリルがチカさんに頭を下げてるんですか!?」


「知らないよ!! そんなの私が聞きたいぐらいよ!!」


 どうしてこのフェンリルは私に頭を下げてるの!? ブルードラゴンの時はそんなことなかったのに! 理由を! 誰か理由を教えてください!!


「ねぇねぇ」


「ん? どうしたのマリーちゃん?」


「聞いてみたら? もしかしたら喋るかも?」


 マリーちゃんは私に向かって可愛らしい絵のついた本を両手で掲げながら目を輝かせた。


「それだ!! ……っていうかマリーちゃん絵本持って来てたんだ」


「ん。いつも持ってる」


 なんて可愛らしい子なんだろう。絵本をいつも持ち歩いてるなんて。そういえば私も小さい頃お気に入りの白いクマのぬいぐるみをよく持ち歩いてたなぁー。「ファーファー」って名前までつけて高校生ぐらいまで部屋に飾ってたっけ……。


 おっと。今はそんなことよりフェンリルだ。


 さてなんて声をかけるべきかな? んー……。まっ、普通でいいか。普通で。


「フェンリルさん。なんで私に頭を下げてるの?」


 私が声をかけると、その声が聞こえたのかフェンリルはゆっくりと頭を上げた。


(おっ? 言葉を理解してるぽくないこれ? これなら喋ることもできるかも!)


『ガルルルッ! アォ〜ンッ!! バウバウッ!! アォ〜ン!』


(………………)


 フェンリルの鳴き声が響き渡り、束の間の沈黙がチカ達を包み込んだ。



「………………なるほどね」


「えっ!? 今ので何か分かったんですか!?」


「マサキさんには分からなかったの?」


「えっ? 俺にはただ吠えてるようにしか……」


「うん。……だからそういう事だよ」


「はい? ……それって。チカさんにも何を言ってるのか分からなかったってことですか?」


「分かるわけないでしょうがッ!! アオーンとバウバウ鳴いてるだけなんだからさ!!」

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