第132話 初飛行とシィーの心境

『空を飛びたい』


 それは遥か昔より多くの人々の夢であり憧れ。上空を自由自在に飛び回る鳥を見上げて、どれだけの人々が想いを馳せたことだろう。


 ある者は鳥を模倣し、またある者は焚き火から舞い上がる燃えカスを見て熱気球を完成させた。


 長い年月をかけて試行錯誤を繰り返し、いまなお続く空への渇望。


 チカはそんな夢の原点にして頂点とも言える空中飛行の真っ只中にいた。



「ひゃっふぅ────ッ!!」


 妖精城の庭園。たくさんの妖精達が見守る中、チカは歓喜の声を上げた。


 慣れるまではゆっくりと慎重に飛ぶようにとティターニアに言われたにも関わらず、すでにチカの飛行速度は時速100kmを優に超えていた。まさに有頂天だ。


 一方、妖精達は驚きを隠せずにいた。


 妖精は精霊力と生まれもった羽を使って空を飛んでいる。だが生まれてすぐ飛べるわけではない。人間の赤ちゃんがおぼつかない足取りで二足歩行をはじめるように、妖精もまたよろめきながら空を飛び始めるものなのだ。


 個人差はあるものの、安定して空を飛べるようになるにはおよそ1年ほどかかるのが普通である。妖精の頂点であり優れた精霊力を誇るティターニアですら1ヶ月ほどかかった。


 だが目の前の人間はものの数分で飛び方を理解し、1時間もしないうちに自由自在に上空を飛び始めたのだ。


 妖精達の受けた衝撃は計り知れない。



「シィーッ!! ティターニア様ーッ!! みてみてっ!! 私飛んでるっ!!」


 そんなこととはつゆ知らず、楽しそうに笑いながら呑気に手を振るチカ。その様子を眺めながらシィーはティターニアに向かって話しかけた。


「......ねぇ。ティターニア様。勇者様......。カエデ様もこんな感じだったの? あれは......普通?」

「......いえ。異常だわ。......確かにカエデも魔王の居城に攻め込む頃にはあれぐらい飛べるようになってはいたけど......」

「......けど?」

「......空を飛ぶようになってから2年は経っていたもの。はじめは地面から浮き上がることすらうまくできなかったわ」


 ティターニアの話を聞いて、一瞬シィーの脳裏にミーアの姿がチラついた。


「まさか......?」


 ──またミーアと入れ替わってるの?


 ドラゴンのブレスを消滅させる防御魔法、光線を放つ圧倒的な攻撃魔法、妖精にしか使えないはずの転移門。ミーアの常軌を逸した行動をたびたび目撃してきたシィーが、ミーアを存在を意識してしまうのは無理もないことだった。


「いたっ!? 何か目に入って......。 ゴミ? うわっ!? ゴミじゃなくてこれ虫じゃん! もぉーっ!! せっかく気持ち良く飛んでたのに!!」


 上空でガックリと肩を落とすチカ。その様子を呆れた顔で見上げながら、シィーは先ほど思い浮かんだ懸念を否定した。


 後先を全く考えないあの能天気な性格。それに飛んでる時に見せていた無邪気な笑顔。出会った頃からずっと見てきたチカの姿がそこにあったからだ。


 シィーは自身が少し神経質になっていることに気づき、おもわず笑みを溢した。


 楽しいことにしか興味がなかった私が、こんなにも他人の心配をするようになったのは一体いつからだろう……。



 ──物心ついた頃から面白さ至上主義だったシィー。チカを騙し契約した理由も面白そうだったからであり、適当にフォローして外の世界で自由気ままに楽しむつもりでいたのはいうまでもない。


 そんなシィーの思惑に誤算があったとしたらチカの性格だ。お互い無自覚ではあるが、チカとシィーは似た者同士なところがある。特に欲望に忠実なところや後先をあまり考えないところはそっくりだ。


 常に周りを振り回わしてきたシィーが、振り回される側になるのは当然の成り行きともいえる。


 そんなチカとの生活がシィーの心境にある変化をもたらしていた。


『他者を思いやる気持ち』だ。


 それは妖精の里にいた頃のシィーにはなかったものであり、遥か昔ティターニアがカエデから学んだ女王の資質のひとつともいえるものだった。



「ふふふっ!」

「シィーちゃん? 急に笑ったりなんかしてどうかしたの?」

「ううん。なんでもないの!!」


 げんなりした様子で地上に降りてくるチカを見つめながら、自分の心の成長を誇らしく思うシィーなのであった。



 ◆◇◆◇



 水魔法でだした水で顔を綺麗に洗ってから、私は大きな溜息をついた。


 理由は簡単。身体中に埃や小さな虫がへばりついてることに気づいたからだ。


「こりゃ大迷宮に向かう前にお風呂に入らなきゃダメだな......」


 んー。できれば飛んでるときの虫や塵の対策もしたいところだけど......。まぁ。そこまで時間をかけるわけにもいかないよね。


 私は衣服を軽く叩いて汚れを落としてからシィーとティターニア様のもとへ向かって歩きだした。


 あれ? 飛んでる時は興奮して気づかなかったけど、いつの間にか他の妖精さんも中庭に来てたみたい。んー? それにしても妖精さん達の視線がなんかおかしいような......。気のせいかな?


 ティターニア様とシィーのところに近づくにつれて、熱気を帯びた視線が私に集中する。


 よく見ると何人かの妖精さんが顔を赤らめてモジモジしていることに気がついた。手には小さめの色紙とペンみたいなのを握っている。


「やっぱり明らかにおかしいよねっ!?」


 私が周囲の反応に困惑しているとティターニア様と何故かニコニコしたシィーが私の方へ歩いてきて事情を説明してくれた。


「まさか空を飛ぶのに練習が必要だったなんて......」


 ──なんの違和感もなく普通に飛んじゃってたよ私。そりゃ妖精さん達がビックリするわけだ。


「ねえ。チカちゃんは元の世界で空を飛んだことがあるのかしら? とても初めて飛んだようには見えなかったけど......」

「飛んだことないよ!! っというか私の世界じゃ飛行機やヘリコプターとかじゃないと空なんて飛べないし!」

「ヒコウキ? ヘリコプター? それを使えば空を飛べるのですか?」


 私の言葉を繰り返しながら、不思議そうに首を傾げるティターニア様。


 なんだか微妙に話が噛み合って気がする。カエデさんから飛行機やヘリコプターのことは聞いてないのかな?


「もしかしてカエデさんから聞いてない?」

「んー。そうですね......。歳をとらなくなった子供達が住んでいる宙に浮かんだ島に空を飛ぶ男の子と妖精がいるみたいなお話は聞いたことがありますが......」


 ──空を飛ぶ男の子と妖精......歳をとらなくなった子供達......? あっ!!


「ピー○ーパンかッ!!」

「それです!! 髭面の大人達と戦う勇敢な男の子と可愛らしい妖精の物語。カエデが寝る前に聞かせてくれたお話のひとつです」


 髭面の大人達って......。まぁ間違ってはいないけど。あっ、もしかしてこの世界に海賊がいなかったとか? というかカエデさんはなんでそんな子供向けの話をティターニア様にしたんだろう。



 結局あの後少しティターニア様とも話し合ったけど、なぜ私がすんなり空を飛ぶことができたのかは分からなかった。そりゃそうだ。だってただ飛ぼうと思ったら飛べちゃったんだもん。私自身なぜかと聞かれても回答に困る。


 そういえばシィーがミーアの存在が何かしら私に影響してるんじゃないかって心配してくれてた。確かにその可能性は捨てきれない。話を聞く限り色々と規格外みたいだし。


 まぁ、例えそうだとしても今回はそれでもいいと思ってるんだけどね。だって練習しないで済むならそれに越したことないし!


 っというか今はそんなことより......。これいつ終わるんだろ......?


 私が思考を巡らせながらペンを走らせていると、遠くから可愛らしい声が聞こえてきた。


「持ってきたのぉーっ!!」

「僕も持ってきたーっ!!」


 手に持った小さな色紙を左右に降りながらふわふわと飛んでくる妖精の子供達。それを見たシィーがすかさず怒声を飛ばす。


「コラーッ!! お前達もちゃんと列に並ぶのっ!! 犬人間もしっかり誘導しろなの!!」

「私は犬人間じゃないって言ってるのにぃーっ!! ご主人さまぁぁーっ!! ご主人様からもシィー様に何か言ってくださいよぉー!」

「チカは今サインで忙しいの!! そんなことも分からないなんて、駄犬もいいところなのっ!!」

「あうぅ......。それはいくらなんでもあんまりです......」


 そう。私は今サイン会の真っ最中なのだ。


 もう50枚近く書いてるのにまだまだ終わりが見えてこない。ホントはこんなことしてる場合じゃないんだけどなぁ......。


「私の番きちゃあああーッ!! チカさまーっ!! えーと......。あのねあのね! フィローネへって書いてほしいのぉー!!」


 ──うん。可愛すぎ。天使かな? 


 私は笑顔で頷いてから、小さな色紙にフィローネへと書いて、その下に私の名前とカワイイ猫の絵を描いてあげた。


 妖精の女の子は私から小さな色紙を受け取ると、瞳をキラキラと輝かせながら両手に持った色紙をジーッと見つめて喜びの声を上げた。


「ふぉおおおおっ!! 可愛い猫さんなのっ!! チカ様ありがとぉー!! 一生大事にするのぉーっ!!」


 ......マサキさんごめん。この子達を無視するなんて私には出来ません。だからもうちょっとだけ待っててね?



 チカのサイン会が終わったのはそれから2時間後のことだった。

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