第89話 彼女の名前は?
燃え盛る真紅の炎が王都を赤く染める中、チカは額に汗を滲ませながら、頬をピクピクっと引きつらせて、上空の強大な火球を見上げていた。
「ティターニア様。とりあえず、あの上空に浮いてる火の玉をどうにかできない?」
「ふふふっ。そうですね。さっさと王都を焼き払ってしまいましょう」
「それはやめてねっ!? もうっ!! 危ないからその火の玉消しちゃってよっ!!」
ティターニアはキョトンとした顔でチカを見つめると、不思議そうに首をかしげた。
「何故ですか? コイツらは貴女を殺そうとしたんでしょ?」
「いや、それはシィーが勝手に言ってるだけで、殺されそうになったわけじゃ......」
「でも魔力を封じられて、監禁されたのは事実しょ?」
「それは......。確かにそうだけど」
チカの困惑した表情をみて、内心に懐かしさと既視感を感じながら、ティターニアは溜息をついた。
彼女を見ていると、なぜこうも心が騒つくのか。なぜ焦燥感に駆られ冷静でいることができないのか。なぜ胸に抱えてきた復讐心と嫌悪感が膨れ上がっていくのか。
──その理由がいま分かった。
チカは似ているのだ。身に纏う雰囲気、優しさ、甘さ、反応や行動に至るまで。
私の大好きなカエデに......。
ティターニアは真剣な目でチカを見つめると、ゆっくりと口を開いた。
「ねえ、チカちゃん。大事なことだからよく聞いて?──この世界の人間を簡単に信用しちゃダメ。残念だけど、ここは貴女がいた平和な世界とはまるで違うの。命があっさりと奪われてしまうような残酷な世界なの」
「............」
「そんな世界で魔力を封じられ監禁されるなんて、いつ殺されてもおかしくない状況だったとは思わない?」
ティターニアの真剣な物言いに、チカは少し悩んで、
「──ごめんね。例えそうだったとしても、私は関係ない人まで巻き込むようなことはして欲しくないかな」
一瞬。ティターニアの目には、チカとカエデが重なって見えた。
──あぁ。やっぱり貴女はそう言うのね。
ティターニアは湧きあがる想いを、そっと胸の内にしまい込み、優しく微笑みかけながらチカを見つめた。
「そう。それが貴女の意思なら尊重しないわけにはいかないわね」
そう言うと、ティターニアは指をパチンと鳴らして、燃え盛る巨大な火球を霧散させた。
「ありがと。カエデさんのことで人間に恨みもあるのに、思いとどまってくれて」
「いいのよ。ふふっ。でも次はないわ。彼女に感謝することね」
「えっ?」
──彼女って誰? あっ、カエデさんのことを言ってるのかな?
ティターニアの言葉を聞いて、チカが首をかしげていると、背中に抱きついているマリーがチカのお腹をポンポンと軽く叩いた。
「ん? マリーちゃんどうしたの?」
「チカ、大変。下を見て?」
「下?」
チカがうつむいて王都に視線を送ると、唖然とした視線が自分に集中していることに気がついた。直後、静寂に包まれていた王都にどよめきが起こる。
「うおおおおっ!! あの黒い猫の服を着たチカという少女は何者なんだっ!?」
「あぁ......。黒猫のチカ様......」
「なあ。あれってギルドで話題になってる黒猫じゃないか......?」
歓喜の声をあげる者、祈るように手を組んで膝をつく者、反応はまちまちだが、聞こえてくる言葉と話題が、チカの顔を引きつらせていく。
「ひぃっ......!」
「ちか。大丈夫?」
「だいじょばないよっ!! ど、どうして? なんでみんな私の名前を知ってるの!?」
チカは先程のティターニアの言葉を思い出し、ハッとして肩を震わせると、目を大きく見開いてティターニアの方へ顔を向けた。
ティターニアはチカの反応に、一瞬キョトンとした顔を見せると、直後何かに気づいたかのように両手をポンッと叩く。
「あー! 途中からきたから知らなかったのね。私の声が王都全域に聞こえるように精霊魔法を使ってたのよ」
「王都......全域......?」
「ふふふっ。チカちゃん有名人になっちゃったわね!」
「笑えないよっ!! って待ってっ!! もしかしてこの会話もみんなに聞こえてるの!?」
「え、ええ。まだ聞こえてるわよ?」
「いやああああっ──!! すぐやめてっ!! 早くやめてっ!!」
「チカ......。もっと大変。あれをみて?」
「今度はなにっ!?」
マリーの指差した方角に視線を送ると、王城の方角から金装飾を施された豪華な馬車がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「マリーちゃん。あ、あれは......? ──いや。やっぱりいい!! 聞きたくない!!」
「えっ!? チカでもあれは──」
「シィーっ!! はやく妖精の里への扉を開けてっ!! はやくここから逃げないと!」
『ふふふ。どちらに行かれるおつもりなんですか?』
「ひぃっ!!」
チカは聞きたくなかった声が、下のほうから聞こえたことに気づき、恐る恐る顔を向けた。
やっぱりハート女王陛下だ。薄ら笑いを浮かべながら馬車から顔をだして、こちらをジーと見つめている。
「ふふふっ。人間の分際で偉そうに。あれは誰ですか?」
「あ、あはは......」
ティターニアが不快そうに発した言葉に気づき、二人の女王の視線が交差する。
ピリピリと空気が張り詰めていくのを感じながら、チカは二人の間で薄ら笑いを浮かべることしか出来なかった。
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