ICL手術をしてきたっていう話
ちびまるフォイ
怖すぎて全米が泣いた。
ICL(インプラントコンタクト)手術とは目の中にコンタクトレンズを入れる手術のこと。
昔から目が悪く、メガネをかけても視力0.1という状況。
街でキレイな女性からあやうく宝石買わされそうになったのは、
きっとよく世界を見えていなかったからだろう。
「この視力なんとかなりませんかね。レーシックとかでちょちょっと」
「レーシックは角膜削りますよ」
「なにそれ怖い」
「でしたら目の中にコンタクト入れます?」
「なにそれもっと怖い」
「レーシックとは違い角膜を削らないから
その点に関してだけはリスクは少なめです」
「……やるならそっちかなぁ」
レーシックではなくICL手術を選んだ私だったが、
持ち前の「凄まじい乱視」×「絶望的な近視」という二重苦により
目の中に入れる用のコンタクトは特注となった。
「えっと……在庫あるか確認しますね。
なかったら製造からになるので2ヶ月はかかるかと……」
「心の準備しておきます」
メガネを作るときも特注ビン底の乱視矯正レンズだったので、
この手の特注になる展開は予想していた。
そして予想に反せず製造となり手術決意から時間があいた。
すっかり手術費用67万円を払ったことも忘れた頃、
クリニックから目薬を渡されたことを思い出した。
"いいですか。手術3日前には必ずこの目薬を使ってくださいね。
毎日ですよ。もし忘れてしまったら、手術はできません"
まるで鶴の恩返しのような童話調のいいつけを守らなければならない。
なにせ手術延期となったらキャンセル料がかかる。
きっと鶴のハタ織りを覗いたおじいさんも
あとで鶴からハタ織りキャンセル料を支払ったに違いない。
手術当日の朝は地球が人間を殺しにかかる暑さだった。
クリニックで目の調子を確認した後、
定期的にスタッフがやってきて私の目に目薬をいれて去っていく。
「〇〇さーーん」
「はい」
「目薬入れますね」
ぽとっ。
「じゃ、また後で」
この数秒の作業が何巡も繰り返される。
実は自分の知らないところで時間が何度も巻き戻され、
同じ時間を何度も繰り返しているだけなんじゃないかと錯覚させられる。
繰り返す目薬ルーティーンは目の瞳孔を開かせる効能もあり、
徐々に視界がぼやけていくのがわかった。
最後の点眼を終えると別室へと案内される。
「こちらへどうぞ。ゆっくりしてください」
通されたのは待合室というよりも漫画喫茶のくつろぎスペース。
間接照明がぼやっと照らした中にリクライニングチェアがある。
周囲はカーテンで仕切られているリラックス空間。
「これから目に麻酔の目薬を入れていきます。
麻酔が効き始めたら目に印をつけて、それから手術です」
「麻酔って、眠くなりますかね」
「目の痛みの感覚がなくなるものなので、眠くはなりませんよ」
リクライニングチェアに背中を預けて麻酔目薬を定期的に指していく。
麻酔がきいている感覚はなかった。
麻酔がきいているから感覚も感じないのかもしれない。
「それじゃ先生お呼びしますね」
先生というので奥から陶芸家のような人が出てくるかと思ったが
すでに手術着に身を固めたお医者さんがやってきた。
「こちらへ来てください」
案内されたのはまたカーテンで間仕切りされた場所。
「ではおでことアゴを乗せてください」
言う通りにして目を開けるように言われる。
なすがままに目を見開くと、先生はおもむろにペンらしきものを目に向けてゆく。
「ええええ!? なんですか!?」
「ちょっ……動かないでください。目に印つけるんですから」
「目に書くんですか!?」
「麻酔効いてるんで痛くないですよ」
「そういう問題ではなく!!」
すでにこっちはプチパニック。
目の前に迫るペン先に頭がおかしくなりそうだった。
先端恐怖症の気持ちがよくわかる。
「頭動かさないでください。書けませんよ」
「動かそうと思ってるわけじゃないですっ!」
お医者さんの言う通り、痛みはまったくなかった。
眼球にサインペンで線をひかれる感覚はあった。
なにこの拷問。
私がギャンギャン騒ぐものだから、
眼球に印をつけてから再び休憩となった。
休憩ののち、今度は本当の手術室へと移る。
ドラマでしか見たことがなかったような手術台。
青緑色の布団をかぶせられて、手術台に寝かされる。
顔には目以外すべてを隠すような「のぞき穴マスク」を乗せられる。
「まずは消毒をします。上を向いてください」
目線を上に向けたとき、ギャグ漫画のようなでかい注射器から赤い消毒液が目の間にドバっと注がれた。
眼球と目の肉の隙間にそうそう消毒液が入るはずもなく、ほとんどは目から外へ溢れる。
「はいでは下を見て」
消毒液の滝が目に当てられる。
心頭滅却せよというお達しなのかこれは。
「でははじめますね」
ゴツめの機械が目の上に持ってこられる。
眩しい光が当てられる。
「いいですか、ここからは危険なので顔を絶対動かさないでください。
動かすと危険ですから」
「ひ、ひぃぃ……」
布団の中で両手は懺悔するように組まれていた。
手は痛いほど握りしめられて、手の甲に爪痕が残るほど。
「一番まぶしい部分を見ていてくださいね」
「まぶしいところをずっとですか!?」
機械から放たれる光源を直視しなければいけない。
太陽をずっと見ていてくださいね、と言っているようなものだ。
「動かないでください。動かないで一番まぶしいところを見て」
「要求が複雑過ぎますよ!!」
「ああ、ほら。頭が動くとできませんよ」
もうこっちはそれどころじゃない。
目にどんどん近づいていく手術用の器具に半狂乱。
でも目を背けることもつむることもできない。
光を見ながらも目に迫ってくる危険物を直視してはならない。
まぶしい光を見続けることだって楽じゃないのに。
体はブルブルと震え出して、マグニチュード5.0くらいの体振動に頭も触れる。
お医者さんは器具を近づけては諦め、近づけては諦めを繰り返し
だんだん声色に「早く手術進ませろ」といらだちがにじんでいく。
「もう動かないでくださいよ」
「いや動きたくないんですよ。私も同じ気持ちです!
でも体が恐怖で勝手に動いちゃうんですっ!」
「……どうします? 辞めますか?」
「今はあまりの強さに辞めたい気持ちが出てきています」
「では続けますね」
「聞いてました!?」
歯医者さんの「痛かったら手を上げて」や、
お母さんの「お年玉は預かるね」をはじめとする大人の闇を垣間見た。
ふたたび視界いっぱいに器具が近づいていく。
あまりの恐怖にまた体はブルブル震えだす。
「ひいいいい!!」
「頭動かさないで! 楽にしてください!」
「この状況で楽にできるわけないでしょ!?」
見かねたスタッフが声をかける。
「大丈夫ですか!? 僕が手を握りますか!?」
「妊婦の夫か!」
目の中にずるんと横からなにか入っていく感覚がわかった。
眩しい光を見つめながら「怖くない」と念仏のように繰り返す。
右目、左目と同じ施術が行われた。
実際には20分程度のものだったと思うが、
私の抵抗により手術は伸びに伸びまくった。
手術が終わるとふたたびリラックススペースへと案内させられた。
私の取り乱しようからスタッフもかいがいしくなり、
「楽にしててくださいね」
「足を伸ばしてください」
「横になってください」
「電気消しますね」
と、扱いは王様のようなものだった。
しかし私はそんな扱いを誇りに思える心の余裕はなく
ただ呆然と天井にある間接照明を見ながら生まれた意味を考えていた。
しばらくの休憩の後、待合室へと移動し、ふたたび診察を受ける。
「はい。もう大丈夫ですね。このまま帰っていいですよ」
「ありがとうございました……」
「あ、でも瞳孔が開いているのと
薬がまだ残っているので足元には気をつけてください」
「はい……」
ぼやける視界で外に出ると、容赦ない暑さが襲ってきた。
瞳孔は薬で開いているのでまぶしさも調節できない。
ふらつく千鳥足の薄目をあけた不審者がおぼつかない足取りで駅のホームへ向かう。
周りが私を見ていたのは今にも飛び降りそうな印象だったからか。
ぼやけた視界もだんだん慣れてくると、
徐々に手術の成果が出て視力が回復していった。
これまで見えるわけもない遠くの看板の文字も見え、
電車で向かいに座る人の顔もわかるようになった。
解像度が上がった気がする。
今までドット絵だったのが3Dでキレイに見えていく。
「うおおおお! す、すごい!!」
感動だった。
物体の境界線が見えるようになったことで、
風景に奥行きが出ているように見える。
メガネをかけているとき以上の視力が出ているとわかった。
必死に手術を耐えきって本当によかった。
自分へのご褒美をたくさん買い込んでから家に帰った。
「ようし、今日はご褒美タイムだーー!!」
家の鍵をあけて玄関に入ったときだった。
"おかえり"
玄関の戸を開けたすぐ目と鼻の先。
触覚や羽、足の1本1本がわかるほど高精細に
黒光りするソレが視界へ飛び込んだ。
私は夏が嫌いになった。
ICL手術をしてきたっていう話 ちびまるフォイ @firestorage
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