第8話『北区梅田 茶屋町・1』
大阪ガールズコレクション:8
『北区梅田 茶屋町・1』
梅田に凌雲閣があったことを知ったのは五年前だ。
高校生になったばかりで、ちょっとウキウキしていた。
中学の頃は、基本的に自宅と中学校の往復だけで小学生とほとんど変わらない。
たまに梅田や京橋に出かけても、せいぜい自宅付近では買えない本を買いに大型書店に行く程度。穂乃花もわたしも門限が六時だったしね。
高校になると履物もスニーカーからローファーに変わった。
ローファーには羽根が付いている。
ほんとだよ。
門限も八時になったし、きちんと言っておけば十時くらいまで許してもらえたから、たまにコンサートとかライブにも行ける。コンサートやライブにローファーで行くわけにはいかないけどね。ローファーを履くような半分大人の高校生なら、私服で、ちょっとなら遠出してもいいという感じ。
まあ、チケット高いから、コンサートやライブにしょっちゅう行くわけにもいかないけどね。
穂乃花も、そんなに発展的な子でもなかったし。
でも、高校に入って獲得した『自由』を満喫したかった。
知恵を絞って『ソーシャルスタディーズ同好会』を作った。
日本語で言えば『社会科同好会』で、なんともモッサリしてるので英語読みにしただけ。
ネットと新聞とかで面白いことがあったら、そこまで行ってみるという同好会。
大阪城の抜け穴 蒲生にあった大阪国技館 空堀商店街に偲ばれる大坂城の外堀 哲学の道に西田幾多郎を偲ぶ 大正空港と呼ばれた八尾空港 中之島の軍艦最上のマスト 三ノ宮メリケン波止場に見る阪神大震災の爪痕 等々お出かけする口実には事欠かなかった。
「大阪にも凌雲閣があったの知ってるか?」
同好会を応援してくれている中谷先生がパソコンの画面を見せてくれた。
「あ、ほんまや!」
穂乃花の目が輝いた。
わたしには同好会はお出かけの口実だったけど、穂乃花は、ちょっと積極的だった。新発見をしたところを確認することに生きがいを感じ始めていたんだ。
二人とも浅草の凌雲閣を知っていた。浅草十二階とも言われたレンガ造りの塔にはエレベーターも付いていて、関東大震災で壊れるまでは、東京の名所だった。
研究して知ったわけではない。サクラ大戦のゲームの中に出てくるんだ。
その凌雲閣が梅田にあったというので出かけてみた。
東京の十二階には及ばない九階建て。むろん令和の時代には残っていない。昭和の初めに解体された。
今は『東梅田コミュニティー会館』と呼ばれている元東梅田小学校のあたりに在って、その門のあたりに石碑が残っている。
「ああ、なるほど、ここだったんだねえ(^▽^)/」
そう感動して写真を撮るだけ。小さな三脚を持って行って、石碑とかを背景に自分たちの写真も撮る。通行人やご近所の人に頼んで撮ってもらうこともある。大人たちは、そういうわたしたちを微笑ましく見てくれて「今どき感心ねえ」とか褒められたりすることもあって、ちょっと得意だったよ。
でも好事魔多しっていうんだろうか。
写真を取ってくれた小母さんが、あっちにも石碑があるわよと指さした。
穂乃花は「ちょっと見てくるわ」と言って、三脚を畳んでいるわたしを置いて角を曲がった。
…………それっきり穂乃花は帰ってこなかった。
それから五年がたって、わたしは久々に茶屋町に出向いた……。
つづく
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