第4話『アニメ声 阿倍野区 松虫通り界隈』
大阪ガールズコレクション:4
『アニメ声 阿倍野区 松虫通り界隈』 松虫(大阪市阿倍野区)
ハルカスに行こうと誘われたが断った。
含むところがあってのことじゃない。
もう、わたしには後が無いんだ。
口では「頑張ろう!」「うん、頑張る!」って受け答えしたけど、ほんとうに後がない。
今月分の家賃を払って、残るのは実家に帰る交通費がやっと。
それも、飛行機とか新幹線とかの贅沢はできない。夜行バスに乗って、それこそ尾羽打ち枯らして、スゴスゴとかオメオメとかの茨の冠を戴いて……。
「日比野さんはいいんだけど、狙いすぎてるというかハマり過ぎてるというか完璧と言うか、我々としては、未知数の領域のある人と冒険したいっていう感じなんですよ」
労わるように監督は言ってくれたけど、不採用に変わりはない。
「はい、ありがとうございました!」
はつらつとアニメ声で返事。
生の声だと泣いてしまいそうだから。アニメ声なら、設定の中で、いかような人物、いかような状況の声でも出せる。
だよね、梅田にある声優専門学校在学中からモブの仕事をやって、二年もすればテレビアニメの主役クラスをやれる!
先生たちも仲間たちも言ってくれた。自分でも二年後は自分の足で立っていると思っていた。
アルバイトも少しはやった。
でも、声優としての自分が二の次になるようなアルバイトには手を出さなかった。
いつのまにかバイトが本業になった先輩や仲間はいっぱい見てきた。
でも、深夜バスの料金払ったらスッカラカンという状態で帰りたくはない。
ちょっと見栄を張って、田舎で一か月ぐらい余裕で仕事探せるくらいで戻りたい。
文無しというのは裸で帰るように恥ずかしくて惨めだ。
あ、松虫通……
気づくと自分のアパートまで五分というところまで戻っていた。
このまま戻っては、着の身着のまま布団をかぶって出られなくなる。
ハルカスにも戻れず、アパートにも戻れず立ちすくんだ。
我ながらキョドってる。
一本手前の○○町商店街に踏み込む。道幅四メートルほどで、アーケードも無い。
ポールから伸びている看板がなければ、所々にお店がある通りとしか思わないだろう。
基本臆病なわたしは、この商店街と松虫通りの周辺で生活のアレコレをまかなっている。
ほどよくアパートからは離れていて、回遊するにはちょうどいい。
不動産屋と寿司屋さんの間が、いつのまのか空き家になっていて、シャッターにいろいろ張り紙が……文化教室、政党のポスター、ゴミ収集の作法と日程……それに混じってスーパーの求人広告。
……時給九百円から
何度か行ったことのある地元のス-パーだ。
ここにしよう。
通りを二つ戻ってスーパーを目指す。
習慣でカゴを持ってしまう。
スーパーに入って、カゴも持たないのは、なんだか不審だ。
でもって、いつまでもカゴを空にしているのも不審だ。
見覚えのあるスーパーのおじさんが商品の整理をしている。
パートの求人……
おじさんの後ろを二回通るが声を掛けられない。
いつのまにか、半額シールの貼られたうどん三玉と油揚げをカゴに入れてる。
まだ半分は残っている粉末のうどんスープを使えば二日はしのげるね。
半額うどんの賞味期限は明日まで……冷蔵庫に入れれば明後日ぐらいまでは大丈夫。
65円の刻み葱をプラスしてレジに並ぶ。
レジは四つあるけど、稼働しているのは二つ。
若い女の子と……新人らしいおばさん。
おばさんのレジに向かう。
「いらっしゃいませ……195円になります」
え……アニメ声だ。
スーパーのマニュアル通りの台詞なんだけど、声優の鍛えた声は分かってしまう。
見た目の年齢よりはニ十歳は若く聞こえる。いや、その気になって演ずれば幼児だって少年の声だって出せるだろう。
そんな余白、とんでもないキャパシティーを感じさせる声だ。
「あ、あの……声優とかやってらっしゃいました?」
ちょうどお客が絶えたこともあって、おばさんはにこやかに答えてくれた。
「アハハ、そういうあなたも声優さんね」
「え……?」
「エロキューションで分かるわ」
「あ、あ、ども」
「人手不足で駆り出されてるの、あそこで商品整理やってるのが主人」
「あ、奥さんなんですか!?」
「三十年前にだまくらかされて」
「えと……その声、支倉ちなみさんじゃないですか?」
「え、知ってくれてるの!?」
「はい、浪速アカデミーですから!」
支倉さんは、1980年代に一世風靡して、突如引退した七色声優仮面と言われた人だ。
それが目の前にいるのだ。
「え、えと、えと……パートで雇ってもらえませんか!?」
根性なしのわたしは、とりあえずスーパーのパートから。
でも、モチベーション最高の再出発ができそうです。
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