4-1
しばらく、ぶーんという扇風機の音と、窓の外からの野球中継の音だけが響く。
だらけ美女はだらけ果てたあげく寝てしまったのだろうか?
確かめないで、また天井を見上げる。
上に目をやったまま、髪が扇風機の風でふわふわゆらゆらと引っぱられるのを、焦点の合わない目の横の方で見ている。
ふと、ヒットが出たか、いや、たぶん何か相手側のエラーでいきなりチャンスとかいうのになったらしく、野球中継の声に緊張が走る。
走るんだけど、ここできいていると、その早口と、球場のわーっという喚声が、かえって、なんかのどかだな、って感じを運んでいる。
「ねーえ……」
もともと起きていたのか、それともいまので目が覚めたのか。
「うん?」
「わたしが全校あこがれの優等生だとか、しょーじき、思わないけどさ」
そうなのか、だらけ美女?
「全校あこがれの優等生」じゃなくて「全校あこがれの美人優等生」だ、とか言うんじゃないだろうな?
だらけ美女はやっぱり眠そうな声で言う。
「それ言うんだったら、全校女子に頼りにされてる、ものすごぉく頼りになる女子生徒顕生っていうのはどうなるの?」
ぷっ……!
「何よいきなり」
目が覚めた。
殺意っぽいものも目覚めた。
「なんでそんな話になる?」
「顕生がさ、わたしのこと優等生優等生って言うからさあ、じゃあ、顕生の、全校女子生徒の守護神っていうのどうなるのかなぁ、って」
得意そうな顔してるのかな、隣で。
「守護神、ってねえ」
さすがにそこまで言われたことはない。一つ息をついて
「だいたい、それって、弓岡顕生って名まえでだいたい男の子って思われてしまう、って、そういうことじゃない?」
と答えて、そこでこの話を止めようとする。
「あきお」という名まえのせいで、小学校のころからずっとそんなのを繰り返している。
とくに中学校に入ってすぐの一年生のときの印象がきつかった。名簿にちゃんと「女子」って書いてあって、男女別の名簿でもちゃんと女子のほうに入っていたのに、担任の先生が、コレハマチガイニチガイナイと勝手に男子のほうに移してしまった。それが何かのシステムとかに載ってしまったらしく、そちらがしばらく正式の名簿として通用していたのだ。
おかげで、体育では何回か欠席扱いされてしまうし……。
「弓岡? そんな生徒はいないぞ。クラス間違えたんじゃないか?」
という一年生のときの体育の先生の声はいまもはっきり思い出せる。同級生たちはわけのわからないまま笑った。そして、その体育の先生も、名簿を勝手に書き変えた担任の先生もいい先生だったのだ。恨む気になれない。
「そういうことじゃなくてさ」
だらけ美女がぱちっとした声で言う。
「先輩にまで頼りにされてるわけでしょ? 男子にばかにされたりいじめられたりしたら顕生を頼れ、って」
「うう……」
それが「全米が泣いた」みたいな誇張だと言えれば、さっきのこのだらけ美女優等生と同じような言い返しができるのだけど……。
これが誇張ではないので、その言い返しかたが使えない。
一年生のとき、気象部の三年生女子の先輩が泣いているのを見て、三年生の男子の先輩に文句を言いに行ったことがある。相手の先輩に
「一年のくせになまいきだぞ」
と言われてカッとなり、
「そんな言いかたないでしょだいたい先輩が○○先輩に□□とか■■とか勝手に決めつけたようなことを言って△△するから○○先輩が泣いちゃったんだから少なくとも○○先輩泣かせたことに責任とってくださいよそんなことでどっちが悪いかなんて小学校一年でもわかりますよ何が一年のくせになんですか」
などとまくし立てていたら、
「わかった、わかったからもう黙れ」
とうんざりしたというように言われたのでさらにカッとなり、さらに
「そんな言いかたないでしょわかったんだったらすぐ謝ってくださいよ○○先輩にわたしが黙るかどうかってそれは先輩が○○先輩にほんとにちゃんといますぐ謝ってくれたらわたしはほっといても黙りますよだいたい先輩が○○先輩に□□とか■■とか勝手に決めつけたようなことを言うのがよくないんでしょそういうのが全力でよくないんでしょだから全力で謝ってくださいよ○○先輩にそうしてくださったらわたしはすぐに黙りますよ」
と早口で全力でまくし立てたら最後に
「わかったよ。謝るよ。すぐに」
と約束した。そして、その場でそれを実行してくれた。
いま思えば、納得したからではなくて、早くうるさい一年生を帰らせたかったのだろうけど。
で。
どう言えばいいのだろう?
盛り上がっていた野球中継の声が、ようやく普通に戻って来た。
点は入ったんだろうか?
どうでもいい。
「それ、やっぱりさぁ」
声をだらけさせて答える。
「小学生のころから、学期の最初から男の子の群れに放りこまれつづけてきた影響なんだよ」
「違うと思うなあ」
なんだよそれ?
殺意っぽいのがいっそう研ぎ澄まされて戻って来た。
「やっぱりさあ、世界を相手にしてきたお母さん譲りなんだよ。顕生のお母さんのさ」
「ああ」
すぐには否定できない。
「うん……」
そうなんだろうなあ。たぶん。
お母さんはトラベルライターという職業であるらしく、世界じゅうのいろんなところに行っては、そういう系の会社のホームページとか雑誌とかに記事を書いている。東ヨーロッパに冬に行って顔じゅうがしもやけになって帰って来たり、名まえを聞いたこともない暑い国の森で
あれ、うちの料理に使ったのかなぁ……。
いまも、スペインだっけ、モロッコだっけ? なんかそんなところに行っていて、今朝も「暑い暑い暑い暑い」を繰り返すメッセージを送ってきた。「何言ってるんだあんたがいつも住んでる家のわたしの部屋のほうがもっと暑いわい!」とわめいて音声メッセージを送り返そうと思ったが、そんなことをするとよけいに暑くなりそうなので、やめた。
このお母さんは、自分がそんなのだから、幼かった裕美に、屋根に上がる上がりかたまで伝授してしまったわけだ。
すぐに否定できなかったものは、時間が経っても否定できなかった。だから
「で?」
と言い返す。だらけ美女が全校あこがれの優等生であることを意識していないのに対して、自分はその「男まさり」さを自覚してるんだから、ましじゃん、と思う。
「高校、やっぱり共学行くんだ」
そうか。やっぱりその話か。
さっき、気象予報士を受ける話をしたときにも、そちらに話を振りかけた。
「それは、まあ、ね」
顕生は答える。
「わたしのばあい、だいたい選択肢のほとんどが共学だから」
「女子校の選択肢ってないの?」
美女がきいてくる。
「ないなぁ……」
それは、資料とか集めて一つひとつ見て行ったら、一つぐらい湧いてくるかも知れないけど。
「だったら、ほとんどが、じゃなくて、全部が、でしょ? もー……おぅ」
拗ねる途中でみごとにだらけている。
先回りしてやったほうがいいのだろうか。
横を見てぱちっと瞬きする。次に瞬きするまでに言わなければ、こちらから言ってやろうと思う。
だらけ美女は、両手を頭の上に投げ出して、じっと天井を見ていた。
この空気ごと緊張感が失われているなかで、こいつの唇のピンクがむだに鮮やかだ。
こちらから見ると、窓からの光で横顔が白く浮き上がるので、さらに印象に残る。
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