第22話 就寝
就寝のためイルナスが案内された部屋は、かなり大きい間取りだった。今までは、小さな農村の馬房などで寝泊まりしていたので、天空宮殿にいる時よりも大きく、広く見えた。外では、ヤンがゼ・マン候と話を続けている。
なんだか、一人ぼっちになったようでイルナスは急に心細くなった。
ベットに座って、思わずため息をつく。今までは、逃げることに必死で考える余裕がなかったが、ここでは刺客に襲われる心配もしなくていい。
しかし、一人になったことで、母であるヴァナルナースや星読み兼家庭教師のエルグレスは大丈夫だろうかと頭に浮かぶ。自分の誘拐によって不遇を囲っていたりしないだろうか。
「イルナス皇子殿下、どうされましたか?」
話を終えてヤンが部屋に入ってきた。イルナスの表情が曇っているのを感じたのか、黒髪の少女は童子の隣に座って、優しく頭をなでる。イルテスは無性に甘えたい衝動に駆られた。
「……ヤン」
「お寂しいですか? お寂しいですねわかりました、一緒に寝ましょう」
!?
喜んでと言わんばかりに、黒髪の少女は童子を抱えてベッドに潜り込む。完全なる密着状態に、イルナスは思わず照れて離れようとする。それをなんとか阻もうと、ヤンはがっちりと彼を両手でホールドして放さない。放そうとしない。
「ちょ……2つベッドがあるのだから、一緒に寝ないでもよいであろう」
「いえ、いけません。ここは安全ですが、万が一ということもあり得ます。私がイルナス皇子殿下と一緒に寝るのは楽し……職務です」
い、今『楽しみ』と聞こえたのだが、とイルナスはため息をつく。そもそも、彼の精神年齢は一般の5歳児よりも遙かに高い。
と言うより、ヤンと同じくらいの精神年齢の感覚は持っていた。異常ではあるが、皇族としては普通である。彼らが最も重要なことは、優秀な子孫を残すことだからだ。
皇族は3歳で異性の容姿についての教養を学び、4歳から実際に社交場で異性との交流。5歳では性についての実学を学ぶ。
一般の上位貴族の5歳児が、『赤ちゃんは神からの贈りもの』と学んでいるときに、性交渉時の体位、どのような容姿・体型が優秀な交渉者なのか等々、あまりにも生々しい現実をつきつけられる。
一方、ヤンは逆である。16歳にも関わらず、その辺の教育は敬虔な修道女にはされていない。そしてヘーゼンに連れて行かれた後はそんな場合じゃなかったので、そこからほぼ成長していない。なので、どちらかというとその辺の機微には疎い。
「イルナス皇子殿下、寂しくなったらいつでもおっしゃってくださいませ。微力ながら、私があなたの側にいますから」
「……うん」
イルナスは、優しく頭をなでるヤンの柔らかい指の感触に委ねた。不思議と、触られるだけで、暖かい気持ちまで伝わってくる。
両親のいない寂しさが拭い去られていく。春の日差しのような笑顔に、胸のつかえがとれて安心した気持ちになる。
「……ヤン、そなたはなぜ、
「なぜって……当然じゃありませんか」
「……」
イルテスの中では、決して当然ではない。現に全ての人が嫌がった。母のヴァナルナースですらも、きっと彼と逃げる選択はしないだろう。
彼のために生きていく選択をすることができたのは、まったくの他人で、初対面で、黒髪の美しい少女だった。
なぜ、ヤンは自分のために人生すらを懸けてくれるのだろう。貴族は利害関係でしか動かない。そう厳しく教え込まれて生きてきた。皇族として天空宮殿に生まれた自分には、まったく理解ができなかった。
ただ、目の前にいる黒髪の少女には、決してそんなそぶりはない。
非常に賢いが、天然で愛らしい。すごく冷静だが、どこか感情的で熱い。巧妙でしっかりしているが、のほほんと自らを危機にさらす無防備さがある。厳しい現実を教えてくれると同時に、いつも明るく自分を導いてくれる。
そんな二面性を持つヤンに、イルナスは激しく魅入られる。
スーッとすぐに寝息が聞こえてくる。目の前の美しい黒髪の少女に、イルナスはソッと頭をなでた。
自分にとっての初恋が、まさかこんな形で訪れるとは思わなかった。ヤンは他の貴族女性とは違う。本当に自分のことを想ってくれる。
彼女のそれが恋愛感情でないことは、自分には痛いほどわかっているのだけど。
……せめて、自分の手で守れるようになりたい。
「う、うーん……イルニャスしゃまぁ……」
「……っ、はぁ」
寝言を言いながら、抱きしめてくるヤンに心臓ギュッと高鳴りながらも、イルナスはため息をつく。本当は自分がヤンの頭をなでたい。自分から抱きしめたいのだが。
そしてそんな自分のわがままを、黒髪の少女は嬉々としてそれを受け入れてくれるのは間違いないのだが、それは彼の自尊心が許さない。
長く艶やかな黒髪。すこし丸みを帯びた輪郭。柔和な笑顔……その輝く黒真珠のような瞳。イルナスは彼女の顔をしばらく眺めながら、息を吐いた。
「ヤン……
そっと寝ているヤンにつぶやく。早く成長したい。早く強くなって、ヤンを守れる一人前の男になりたい。そう心の中で願いながらイルナスは瞳を閉じた。
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